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【特別寄稿】毒殺未遂を経て最後までプーチンを震撼させたナワリヌイの実像とは?

NHK出版デジタルマガジン

【特別寄稿】毒殺未遂を経て最後までプーチンを震撼させたナワリヌイの実像とは?

SNSや調査動画などを駆使し、獄中からも最後までプーチン政権の裏側を追求してきた反体制派指導者ナワリヌイ。「自由なロシア」のための長年の活動からノーベル平和賞の有力候補とされ、2021年には人権擁護や思想の自由、民主主義の発展に貢献した個人・団体に与えられるEU「サハロフ賞」を受賞しました。日本で唯一の関連書『ナワリヌイ プーチンがもっとも恐れる男の真実』(NHK出版より2021年11月刊行)より、ナワリヌイ氏の死をめぐる最新状況を加筆したNHK解説委員・安間英夫氏の解説を特別公開します。
*本記事は、NHK出版公式note「本がひらく」より、一部を編集して転載したものです。

写真提供:Alamay/PPS通信社

ナワリヌイを通じて見るプーチン体制

 ロシアの大統領・プーチンは、ナワリヌイのことを「ブロガー」、「ベルリンの病院の患者」などと呼び、その名前を決して口にしない。まるで存在を認めないかのようだ。
 ナワリヌイは、南アフリカのネルソン・マンデラやソビエト時代の反体制作家アレクサンドル・ソルジェニーツィンらの名前をあげて比較される。人権や民主主義、言論の自由をめぐって、プーチン体制の映し鏡と考えられ、プーチンがもっとも恐れる存在とされている。
 ロシアの政治に関しては、プーチンやプーチン体制についての本が数多く出版されている。これに対してナワリヌイについて書かれた本はそんなに多くない。メディアでは、プーチン大統領と対峙する政敵として頻繁にニュースとして取り上げられてきたが、まとめて記されたことは少なかった。『ナワリヌイ プーチンがもっとも恐れる男の真実』は、ドイツとイギリスに拠点を置く新進気鋭の研究者たちが、あまり知られていないナワリヌイの実像に多角的な視点から迫り、そこに映るプーチン体制の姿を考察しようという試みである。
 ナワリヌイとそのチームの真骨頂は、強大な権力をふるうプーチン政権の裏側を、映像や資料を駆使して具体的に明らかにすることだろう。2021年1月に公開された調査動画のタイトルは「プーチンのための宮殿」。ロシア南部の黒海沿岸に建設された豪邸をドローンで撮影するとともに、豪華な内装の劇場やカジノをCGで再現し、建設費は総額1400億円と指摘。プーチン大統領と親しい資産家などが建設費を負担したとして、「世界最大の賄賂」だと主張している。
 政権側は否定する一方、プーチンに近い実業家がホテルとして建設しているものだと名乗り出た。このことは、プーチンに近い人間が富や利権を分け合っているという、ナワリヌイが指摘した実態をかえって裏付ける結果となり、人々は「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」実例と受け止めたことだろう。
 こんなに汚職の疑いや不条理がはっきりしているのに、なぜプーチンの人気が衰えないのか。ナワリヌイがなぜ有力な政治家として支持を集めないのか。抗議行動が頻繁に起きてもなぜ政権がひっくり返らないのか。ロシアやプーチン体制に特殊性があるのか。『ナワリヌイ プーチンがもっとも恐れる男の真実』は、こうした疑問の答えを導くヒントを与えるものとなろう。

ナワリヌイとは何者か

 ここで、ナワリヌイについて振り返っておこう。
 反体制派の野党指導者であるアレクセイ・ナワリヌイは、1976年、モスクワ近郊で生まれた。2000年、リベラル派の野党のメンバーとなり、2007年から、国営企業の少数株主として企業の不正などを追及する活動や、インターネットでプーチン政権の汚職を告発する活動をはじめ、2010年ごろまでには、若者たちに人気のブロガーとして名前を知られるようになった。
 一躍有名になったのは、プーチンが大統領に復帰することを決めた2011年から大統領選挙のあった2012年にかけての抗議行動だ。プーチン政権の腐敗ぶりや下院選挙の不正を追及し、プーチン政権与党の統一ロシアを「詐欺師と泥棒の党」と厳しく非難。これが多くの人たちの支持を集めた。ナワリヌイは、その後も野党指導者、反体制派として活動を続け、プーチンの政敵ナンバー1と言われるまでの存在となってきた。
 内外に衝撃を与えたのは、2020年8月の毒殺未遂事件だった。ロシア国内を航空機で移動中に突然体調を崩して意識不明の重体となり、ドイツの病院に搬送されて治療を受け、奇跡的に意識を回復した。原因の究明にあたったドイツ政府は、ナワリヌイが、旧ソビエトで開発された神経剤「ノビチョク」と同じ種類の物質に攻撃されたと発表し、内外でプーチン政権に対する批判が強まった。
 それでもナワリヌイは2021年1月、療養先のドイツからロシアに帰国。『ナワリヌイ プーチンがもっとも恐れる男の真実』の冒頭は、帰国する航空機の描写から始まっている。到着したモスクワの空港で、過去の刑事事件で執行猶予付きの有罪判決を受けながら出頭の義務に違反したという理由で逮捕された。その後、裁判所がナワリヌイの執行猶予を取り消し、収監されたままとなっている。

ナワリヌイが持つさまざまな顔

 ナワリヌイはさまざまな顔を持つ。弁護士、ブロガー、反体制野党指導者、抗議行動のリーダーなどだ。さらに革命家、独裁者、ポピュリスト、差別主義者という言い方もされる。
 『ナワリヌイ プーチンがもっとも恐れる男の真実』では、反汚職運動家、政治家、抗議活動家の三つの側面から分析しようという試みをとっている。ただそれぞれの活動の時期が重なっているうえ、明確に区別がつきにくい。たとえば、選挙運動のなかで政権や与党の汚職を追及するし、抗議行動も行う。いつからいつまで反汚職運動家、次は政治家、その次は抗議活動家という時期で区切って説明できるわけではなく、時系列も前後している。
 ナワリヌイがプーチン政権の映し鏡と考えると、プーチン政権の歩みを時系列で整理しておく必要があるかもしれない。

12000~2008年 プーチン大統領時代(第1回目 2期8年)
2008年 プーチン 大統領をいったん退任後、首相に就任
22008~2012年 メドベージェフ大統領時代 プーチンは首相(1期4年)
2011年 プーチン 大統領復帰表明 下院選挙 大規模な抗議行動
32012年~ プーチン大統領時代(第2回目 2期12年)
2014年3月 クリミア併合 プーチン支持率急回復

 プーチンが最初に大統領に就任した2000年5月からすでに21年になるが(2021年10月時点)、プーチンはずっと大統領を続けてきたわけではない。憲法で連続3回の立候補が禁止されていたため、2008年、いったん大統領を退き、2012年に復帰した。プーチンは、首相にいったんなったとはいえ、最高指導者、最高実力者として20年以上にわたってロシアを統治している。

 一方、ナワリヌイの主な活動は次のようになっている。

12000~2008年 プーチン大統領時代(第1回目)
2000年 野党ヤブロコ入党
2007年 ヤブロコ党除名
国営企業の少数株主活動 反汚職活動を開始
22008~2012年 メドベージェフ大統領時代 プーチンは首相
2009年 キーロフ林業顧問
2010年 アメリカ・イェール大学留学
2011年 下院選挙で抗議デモ組織 政権与党を「詐欺師と泥棒の党」と非難
32012年~ プーチン大統領時代(第2回目)
2012年 プーチン大統領復帰前後 抗議行動で身柄拘束
キーロフ林業に対する横領罪で起訴
2013年 キーロフ林業に対する横領罪で有罪判決
モスクワ市長選挙立候補 第2位 予想外の善戦
2014年 自宅軟禁 フランスの化粧品会社イヴ・ロシェに対する詐欺罪で有罪判決
2017年 メドベージェフ首相に関する動画「彼を〝ディモン〞と呼ぶな」公開
2018年 大統領選挙 ナワリヌイは立候補を認められず プーチン大統領再選
2020年 毒殺未遂事件 ドイツの病院で療養
2021年 帰国後、逮捕
動画「プーチンのための宮殿」公開 収監

 このように見てみると、ナワリヌイのさまざまな活動は、プーチンが初めて大統領に就任してから20年あまりとそっくり重なっている。
 ナワリヌイを見ることで、プーチン体制が反体制派を抑えるためにより厳しく、権威主義的な傾向を強め、強権的、独裁的とまで言われる体質に推移していったようすが浮かび上がってくる。

読みどころ

 『ナワリヌイ プーチンがもっとも恐れる男の真実』の読みどころはどこにあるだろうか。
 まず、権威主義的な体制のなかで弾圧を受けた反体制派の英雄とだけ扱っていないことだと思う。記述は事実を積み重ね、刺激的な表現や単純化を避けるかたちでなされている。
 とりわけ野党内部、ほかのリベラル派との不和と確執と挫折、ナショナリストとして民族的に排外主義的な指向があることについても、詳しく記述されている。
 また、ナワリヌイの一方的な主張だけを取り上げているわけではない。プーチン政権の汚職が深刻であることを実例をあげて記述する一方、政権側の反論やナワリヌイの活動に金銭面や第三者の利益をはかるという動機があるのではないかと非難している(ナワリヌイは否定している)ことも併せて記述している。
 ナワリヌイは何度も身柄を拘束され、毒殺未遂にあって生命の危険にさらされ、収監されてまでプーチン政権と闘ってきた。なぜここまで弾圧されても政権に対峙していくのか、『ナワリヌイ プーチンがもっとも恐れる男の真実』では、次のように記述されている。
「はじめはただの投資家で、大志をもっていたわけではなかった」
「要するに、ナワリヌイはロシア企業の内情をのぞいたことがきっかけで(中略)活動家になった。『そのうちに、それは信念になった』」
 ただこれをもってしても、なぜ自らの身の自由と安全を制限されたり危機にさらされたりしてまでプーチン政権と闘うのか、なかなか腑に落ちない。通常の正義感や勇気を超えるものがあると思われるからだ。解説者が2011年から2014年までモスクワで取材していた当時のナワリヌイの発言、内外のメディアで本人が語る発言を見ても、自らを突き動かす本当の動機というのが見えてこないというのが実情だ。
 もちろん政権側が主張する、よこしまな動機があるというのは説得力に欠けている。ナワリヌイ側は、政権側の腐敗や汚職の具体的な事実や証拠を示しているのに対して、政権側の反論や指摘は具体的なものではないためだ。
 ナワリヌイの信念というものは、簡単に理解できるものではないのかもしれないが、『ナワリヌイ プーチンがもっとも恐れる男の真実』に書かれている多岐にわたる活動や歩みを押さえておくことはその理解の助けとなるだろう。
 なお本書では、2017年に発表された、当時の首相メドベージェフについて扱った「彼を〝ディモン〞と呼ぶな」という動画について触れているが、ここでもう少し詳しく説明しよう。
大統領も務めたメドベージェフは、プーチン政権のナンバー2にありながら、インターネットも駆使する比較的若いリベラルな政治家として若者からの支持もあり、ネット上ではディモンという愛称で呼ばれることもあった。これに異議を唱えたのが、メドベージェフの報道官であり、「彼をディモンと呼ばないで。首相なのに」(ロシア語の原文では、「彼はあなたにとってディモン――親しく呼びかけるような存在――ではない。首相なのに」)と述べたのだ。
 この発言をタイトルにした動画では、メドベージェフの豪邸とされる建物を上空から撮影。メドベージェフの信用を大きく傷つけることになった。2018年に行われた大統領選挙に向けて、当局がいっそう取り締まりを強める契機になったといえる。
 さらに、「外国エージェント」という表現にも注意が必要だろう。これは、ソビエト時代、「スパイ」を意味する表現だった。外国から資金を受け取り、ロシア当局から「外国エージェント」と指定された組織は、その旨を表示しなければならなくなった。
 つまり「私たちは外国の『スパイ』です」と明示することを意味している。

ロシアの今後

 プーチンの大統領としての支持率は今(2021年10月時点)でも60パーセント前後を保っている。これに対して大統領選挙があった場合、ナワリヌイに投票するとしているのは数パーセントに過ぎない。なぜ、ナワリヌイに対する支持が拡大していかないのだろうか。
 まず『ナワリヌイ プーチンがもっとも恐れる男の真実』で指摘されているように、プーチン政権は2000年代に経済的な発展をもたらしたほか、支持を奪われないように人気取りの政策をとり、巧みに現実的な対応をとってきたことがあるだろう。プーチン政権が決して力のみで統治してきたわけではないのだ。
 ナワリヌイの支持率が低いままにとどまっているのは、ロシアの人たちがおよそ30年前、ソビエト連邦という国家体制があっけなく崩壊し、人生が変わるほどの辛酸をなめる混乱を経験したことが大きな要因と考えられている。「正義を重視した無秩序の混乱」より、「ある程度腐敗し自由が制限されたとしても秩序ある安定」の方がまだましと捉える人たちが、いまだに混乱の時代を経験した世代を中心に大半を占めているからだ。
 では、ナワリヌイはプーチンの地位を脅かす政治家にはなっていないのに政権側が神経をとがらせるのはなぜなのだろうか。
 プーチンはナワリヌイについて2020年12月、「アメリカの特殊機関に支持されている」と指摘した。さらにその後、抗議デモなど反政権的な動きについて、帝政が倒れたロシア革命やソビエトの崩壊といった自国の歴史を例にあげながら、体制や国家の崩壊につながるおそれがあり、無許可のデモは決して容認できないという立場を示した。この発言から見て取れるのは、プーチンにとってナワリヌイは「欧米の手先」であり、背後にいる欧米が抗議デモを支援して体制転覆を狙っているという警戒感だ。主張の真偽より、最高権力者のプーチン本人がこのように警戒心を抱いていることが重要だ。
 ナワリヌイの主張に賛同するのは、若い世代、都市部、テレビよりネットを見る人たちに多い。時代の推移とともにこうした層が増えていけば、世論の動向も変わるかもしれない。ただそれには、まだ長い期間がかかりそうだ。
『ナワリヌイ プーチンがもっとも恐れる男の真実』では、ナワリヌイが収監されたあと、2021年4月、政権側がナワリヌイと反汚職基金(FBK)を過激派組織に認定するよう裁判所に求めたことが書かれている。その後、6月に認定され、活動はきわめて難しい状態となった。G7やEUなどは厳しく批判しているが、プーチン政権は、ナワリヌイの活動の舞台となるSNSなどネット業者も含め、徹底的に規制を強めたり、取り締まったりしていく構えだ。
 ナワリヌイは、2021年8月に掲載されたニューヨーク・タイムズ紙の書面インタビューで、政治犯と同じように、プロパガンダ映画を見せられたり、睡眠を妨げられたり、苦痛を受けているとしている。
 ロシアでは2021年9月、2024年の大統領選挙の前哨戦と位置づけられる下院選挙が行われたばかりだ。プーチン政権与党の統一ロシアは前回2016年のときより得票率、議席数を減らしたものの、それでも定数450人の70パーセントを超える324議席を獲得した。
 プーチン政権は2020年、憲法を改正し、プーチン大統領は2024年以降も立候補して当選すれば、最長で2036年、83歳まで大統領職にとどまることができるようになった。ロシア政治の最大の焦点は、プーチン大統領が再び立候補するのか、それとも後継者を指名するのかだ。ただいずれの場合でも権力側はプーチンが築き上げた体制、システムを存続させることを目指している。
 政権側にも言い分があるだろう。体制を揺るがす行動をして、かつてのように本当に国家体制が崩壊したらどうなるのだろうと。
 しかし『ナワリヌイ プーチンがもっとも恐れる男の真実』にも登場する石油会社ユコス元社長のホドルコフスキーや、投資家の弁護士のマグニツキーなど、政権に反対する人たちが投獄されたり、殺害されたり、危害を加えられたりという現状が続いているのは覆い隠せないロシアの現実だ。
 権威主義、強権主義を強める体制にどう向き合っていくのかは、ロシアに限らない問題であり、決して目を閉ざしてはならないと思う。
 ナワリヌイは2021年10月、欧州議会から、人権問題や思想の自由を守るために献身的な活動をしてきたとして、旧ソビエトの反体制物理学者の名を冠した「サハロフ賞」に選ばれた。また、2021年のノーベル平和賞に選ばれたロシアの新聞ノーヴァヤ・ガゼータの編集長ムラトフも、ナワリヌイがノーベル平和賞にふさわしいという考えを述べた。

ナワリヌイの死

 ナワリヌイをめぐる出来事は、『ナワリヌイ プーチンがもっとも恐れる男の真実』で描かれた枠に収まらなかった。
 2024年2月16日、ナワリヌイが収監先の刑務所で死亡したというニュースは再び内外に衝撃を与えた。刑務所のある北極圏のヤマロ・ネネツ自治管区の冬場の気温はマイナス20度を下回り、収監先は「北極の狼」と呼ばれ、ロシアで最も過酷な刑務所のひとつと言われてきた。
 母親のリュドミーラは弁護士ともにすぐに現地に駆けつけたが、刑務所当局から「〝突然死症候群〞だ」と告げられ、検査のため、14日間、遺体を引き渡せないと通告された。リュドミーラによると、当局は、密葬にするよう求め、埋葬の場所、時期、方法など条件を突きつけ、同意しなければ、刑務所内に埋葬すると迫ったという。リュドミーラは「当局による脅しだ」と主張した。
 結局、遺体が引き渡されたのは1週間以上たった24日になってからだ。葬儀も当局から「混乱を招かないように」とさまざまな制限がつけられた。反対派に対しては葬儀の自由も抑圧する。プーチン体制の姿勢が表れていた。
 ナワリヌイ氏の死因や当局の対応には不可解な点が多い。ナワリヌイの妻ユリアは「プーチンが殺した」と主張している。
 ただ仮に当局が言う突然死だったとしても、ナワリヌイは厳しい弾圧を受け、過酷な環境で収監され、獄中死した。政治犯を結果として死に至らせたことは間違いなく、プーチン政権の責任は免れない。

ナワリヌイ自身は結末を予測していたのか

 私は『ナワリヌイ プーチンがもっとも恐れる男の真実』の日本語版刊行当時2021年10月に書いた上記の解説に、ナワリヌイが毒殺未遂にあったり収監されたりしながらもなぜプーチン政権と闘うのかについて「腑に落ちない」、「ナワリヌイの信念というものは……簡単に理解できるものではないのかもしれない」と書いた。
 今になって思うと、ナワリヌイは2021年1月に療養先のドイツから帰国した時点で、みずからの命をかけてプーチン政権と闘う信念と覚悟を固めていたのだと考えられる。国外の安全な場所から政権批判をするのをよしとせず、国内でプーチン政権と真正面で対決する道を選んだ。プーチンが統治するロシアを、自由と民主主義によって統治される「もうひとつのロシア」、「プーチンのいないロシア」(いずれも反体制派野党のスローガン)に本気で変えたいと考えていた。
 ナワリヌイは、書名にあるように「プーチンがもっとも恐れる男」、また「プーチンの最大の政敵」、「プーチン体制にもっとも恐れを知らない政治家」と呼ばれた。ロシア共産党やロシア自由民主党などのいくつかの野党はプーチン体制に従順な「体制内野党」と言われるようになったが、ナワリヌイは体制に恐れを知らないことを体現していた。
 政権側はどうだったのか。ロシアでは、ナワリヌイの死の報に各地で追悼と抗議の動きが広がった。政権側はこうした人たちを厳しく取り締まり、拘束された人は400人以上にのぼったとされる。政権側の動きは、ナワリヌイの死が政権批判や混乱に発展することに神経をとがらせたことの表れだ。
 こうした政権側の警戒心について、ナワリヌイの娘ダーシャはかつてこう断言していた。「プーチンは臆病者だ」と。どちらが臆病者だったのかは明らかだろう。

ナワリヌイの死とプーチン

 ナワリヌイの死から1か月後、ロシアでは3月15日~17日まで大統領選挙が行われ、中央選挙管理委員会の発表によると、プーチンは過去最高の約87%の得票率で圧勝したとされる。
 今回の選挙でナワリヌイは生前、獄中から支援者をつうじてプーチン以外の候補に投票するよう呼びかけていた。妻ユリアは夫の遺志を継いで、投票最終日の正午に一斉に投票し、プーチン以外の候補に投票するよう呼びかけていた。
 各地で支持者とみられる多くの有権者がそれに呼応したが、発表されたプーチンの得票率は当初の予想を大きく上回るものとなり、ナワリヌイを支持、追悼する有権者の声はかき消されてしまったようだ。
 プーチンは、ナワリヌイの死について口を閉ざしていたが、当選が確実になったあとの記者会見でアメリカの記者に問われ、ようやく口を開いた。プーチンはナワリヌイの名前を口にすることはなかったが、初めて「ナワリヌイ氏」と言った。曰く「ナワリヌイ氏は亡くなった。悲しい出来事だ。刑務所で亡くなった人は他にもいる。アメリカでも何度もあったはずだ」と。さらにプーチンは、ナワリヌイと欧米で拘束されている人物を交換する交渉が進められ、ナワリヌイが帰国しないことを条件に同意したとも述べた。
 この発言に、ナワリヌイの支援団体の代表であるペフチフは「冷笑的でうそつきの屑」と怒りをあらわにした。ペフチフは先に、ナワリヌイ氏をめぐる交換交渉が進められていることを明らかにしていたが、「プーチンが同意しなかったため、殺害された」と主張していた。「うそつき」というのは、こうした主張の違いを意味している。

プーチン体制の今後は

 プーチンはこれで、2000年の就任以来、首相時代も含め、30年にわたってロシアを統治することになる。すでにソビエト時代に停滞と言われたブレジネフの18年を抜き、独裁者と言われたスターリンの31年(ソ連共産党書記長就任から死去まで)に迫ることになる。
『ナワリヌイ プーチンがもっとも恐れる男の真実』の刊行後、ロシアを取り巻く状況をかつてないほど大きく変えたのが、プーチンが2022年に踏み切ったウクライナへの全面侵攻であることは疑いがないだろう。プーチンはこの戦争をウクライナの背後にいる欧米との戦いと位置づけているが、本来国内問題であるナワリヌイら反体制派に対する弾圧も密接に関係している。なぜならプーチン自身がナワリヌイらを、ロシアの体制転覆を狙う欧米の手先だと思い込んでいるからだ。
 弾圧はとどまらない。2022年にノーベル平和賞を受賞したロシアの人権団体「メモリアル」の幹部、オルロフが2024年2月、軍の信頼を失墜させたとされる罪で実刑判決を受けた。ナワリヌイ側近の弁護士のボルコフも3月、リトアニアで襲撃され重傷を負い、プーチン政権が犯行に関与していた疑いが持たれている。
 ではプーチン体制に死角はないのか。
 プーチン側近の下院議長ボロジンはかつてプーチンを称え、「プーチンあってのロシアであり、プーチンなしのロシアはあり得ない」と述べたが、奇しくもこれが最大の危機だろう。長年の統治であまりにプーチン1人に依存する体制になってしまい、プーチンに何かあった場合の先が見通せないのだ。
 プーチン政権下で反戦や反政権の声は厳しい取り締まりで抑え込まれているが、ウクライナ全面侵攻や反体制派の弾圧は国内の閉塞感を確実に強めている。やめることができるのはプーチン次第だが、もはや取り返しのつかない段階までになっている。過去最高の得票率をとったとしても、決して盤石、安心できるとは言えない。
 ナワリヌイは、ドイツから帰国する前に収録したドキュメンタリー映画のなかで、もし殺害された場合どのようなメッセージを残すかという問いに「悪が勝つのは善人が何もしないからだ。諦めるな」と述べた。
 ロシアで自由や民主主義を求める声は消滅することはないはずだ。
 国際社会もロシアの政治犯の弾圧や人権状況に監視と関与を諦めてはならないと思う。

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