42歳からの新たなママ友づき合い!トラブルは避けられるか…
10歳と4歳の姉妹を持つママライターの七海ラテです。不妊治療を経て長女を出産したのが2009年。それから5年後、四十路を超えて「もう1人産みたい!」という思いがふつふつと湧いてきました。再び不妊治療専門クリニックの門を叩き、幸い最短周期で妊娠に至りました。前回から6年もブランクがあると、記憶は薄れて不安ばかり。カルテには○印に「高」の文字、しかも42歳! 産婦人科で見かける人々はみんな若く見え、ちょっぴり孤独でした。それでも出産後は、新たなママ友との出会いがありました。
第一子で経験したママ友付き合いからの不安も…
私にとってママ友は、あまり良い思い出がありません。長女が幼稚園に通っていたころ、お互いの自宅へ親子数組を招き合う慣例がありました。しかし、次第に派閥のようになってしまい、歩調を合わせないママの悪口まで出る始末に。
朝から始まるグループLINEも先生の噂話など、うんざりする内容ばかりでした。今度はどんなママ友と出会うのか、妊娠の喜びと同時に心配もありました。
次女を出産した産婦人科は、要安静のママ以外は食堂で食事をするシステムでした。院内ではもちろんノーメイク。普段は幼稚園の送り迎えでもメイクが欠かせない私。「42歳のスッピンを晒すなんて~」と入院前はかなり抵抗感がありました。
それでも毎日3度の食事、加えて授乳やオムツ替えで顔を合わせるうちに、ママたちとの距離が縮まっていきました。抵抗があったスッピンもお互い様、誰もが年齢不詳です(笑)。出産直後という環境からか、いつしか戦友のような絆が生まれ、6人のママとLINEグループを結成し、連絡を取り合うようになりました。
赤ちゃんを交えてのランチ会を開催。そして…!?
初めてのママ友ランチ会は、出産から5カ月後に開かれました。ママランチとしてはグレードの高い懐石料亭でしたが、出産以来、すてきなランチとは無縁だったので奮発しました。2度目は子連れママ向けのカフェで集まりました。ただ、動きたがる生後9カ月の赤ちゃんたちには、小上がり席も窮屈…。
大勢で外食するのは大変だからと、ママの1人が自宅に招いてくれたのは、ちょうど娘が1歳になったころでした。新婚夫婦に親御さんが建ててくれたという邸宅は、母子7組も悠々に入れる広さ!
しかし、我が家にこれだけの人数を誘えるか!? となると答えは「NO」。おまけにお土産やお菓子も用意してくれた心遣いもあり、次回へのハードルが急上昇してしまいました。優雅に暮らしているように見えるママもいれば、私のようにつましく暮らしているママもいるのです。案の定、次のランチ会は誰も提案しなくなりました。
子は成長し、環境は変わる。そして新たな出会いへ
その後、上がったハードルは下がることがなく、集まりはなくなりました。私自身は、これでホッとしています。長女のときに気にしていた、他の子の発育状態や我が子との違いにとらわれることがなく、なにより悪口や噂話を聞かずに終わったのですから。
産院で出会ったママ友との関係は、トラブルもなく自然消滅しましたが、そもそも偶然同じ時期に出産しただけの仲間。それ以上でも以下でもない、ドライな繋がりのまま終わりを迎えたのが良かったと思います。
今でも個人的に付き合いが続いているママは、上の子が同級生や習い事仲間だったり、一緒に産後ヨガ教室に参加したり、という共通項がありました。ママ自身の趣味が共通していると、深く付き合える関係に発展するのかなと、個人的には思いました。
例えば、私の場合、小学生からの友人は、今に続く親友もいれば、記憶の片隅にもない人もいます。そう、たまたま同い年で生まれただけの集団なのではないかと感じます。私が産院で出会ったママ友との関係も、これによく似ているように私は思います。我が子が同じタイミングで生まれてきただけ。「新しい出会いのきっかけ」と捉えればいいのではないかと感じました。次女は幼稚園に上がり、現在はクラス最年長ママとして、新たなママ友づき合いが始まっています。
[七海ラテ*プロフィール]
不妊治療を経験し、現在2人の娘の子育てに奮闘している在宅ワーカー・ママライターです。ペンネームは宝塚ファンの長女が考えてくれました。子どもの成長と自分自身の加齢という反比例した問題に、日々立ち向かっています。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。