『胚培養士ミズイロ』作者・おかざき真里さん|不妊治療で大切なのは「自分が納得できているか」
マンガ『胚培養士ミズイロ』(小学館)を描いているマンガ家・おかざき真里さんに「仕事と不妊治療の両立」について伺いました。
不妊治療を選択している夫婦は、国内では4.4組に1組(※1)といわれ、不妊治療は私たちにとって身近なものとなっています。
しかし、不妊治療はスケジュールが読めなかったり、薬の影響で体調を崩したりと、仕事の両立の難しさに悩む人も少なくありません。プライベートなことゆえに職場や同僚に相談しづらいと感じている方もいるのではないでしょうか。
多くのクリニックや不妊治療経験者への取材をもとに生まれた『胚培養士ミズイロ』では、そんな「不妊治療」のリアルが描かれています。これまで多くの作品で「働く女性」を取り上げてきたおかざき真里さんが、本作の取材や創作を通じて感じたこととは。
「不妊治療」は誰にとっても他人事ではない
体外受精によってうまれる“胚(受精卵)”を培養・管理する「胚培養士」という職業を通して、不妊治療のリアルを描いた本作品。まずは、この仕事や不妊治療をテーマにしようと思ったきっかけを教えてください。
おかざき真里さん(以下、おかざき) 前作の『阿・吽』(小学館)の連載の終わりが見えてきたとき、編集担当さんに「次はどんなものを描こうか」と相談していて。担当さんがいくつか挙げてくれたテーマのなかに「胚培養士」があって、ピンときたんです。
私は子どもを3人産んでいるのですが、妊娠や出産と、いわゆる“社会”とのシステム的な折り合いが悪過ぎるとずっと感じていました。フリーランスの私がそう感じるのだから、会社員をしながら妊娠生活を送るのはハードだろうな、先の見えない不妊治療ならなおさらだろうなって。
“折り合いの悪さ”、とても分かります。
おかざき それから、ママ友や知人に不妊治療の経験者がいて「意外と身近なことなんだ」「当事者じゃなくても何かできることがあるかもしれないから、不妊治療について知っておくべきなのでは」とも考えていました。
友達や親族の誰かが治療をしている・するかもしれない。職場の部下から相談を受けるかもしれない。年齢や性別は関係なく、誰にとっても「他人事」ではないのかなと感じたんです。
仕事との両立を阻む「先の読めなさ」
そうして「マンガ」として情報を発信することを選ばれたんですね。本作を描くにあたり、かなりの取材をされたと伺いました。
おかざき 不妊治療を扱うクリニックなどを中心に4~5施設ほどと、大学病院やクリニックに勤務されている胚培養士さん10名以上にお話を聞きました。それから実際に治療を経験していらした方への取材は、担当さんからの紹介などを含めて10名あまりでしょうか。
仕事を続けながらの不妊治療はとかくスケジュールの調整が大変だと聞きます。本作でも仕事と不妊治療の両立に悩む女性がたびたび登場しますが、実際におかざきさんが治療経験者の話を聞く中で「こんなにも大変なのか」と感じたエピソードはありますか。
おかざき もともとお仕事が大好きでキャリアも積んでいたけれど、不妊治療のために仕事を辞めた方がいて。「両立ってそんなに難しいのか」と驚きました。
職場にお休みや仕事の調整の相談をするにしても、検査や採卵、移植など、全ての予定が「かもしれない」ですし、逆に実施が決まると急に「翌日来てください」なんてことも。
治療をしている方自身が予定や希望をはっきり伝えられないもどかしさがある一方で、職場側としても、どうしてあげることが正解か分からないことが多いと思います。
本作ではそういったもどかしさやモヤモヤがとても丁寧に表現されていると感じます。1巻で登場した女優の「ミチル」のエピソードでは、一時的にキャリアより治療を優先してたものの、なかなか結果が出ない苦しさがヒシヒシ伝わってきて......。妊娠にも仕事にも「次」がないかもしれないという重圧はとても大きいものですよね。
『胚培養士ミズイロ』より
おかざき 「どこであきらめるか」という問いは、不妊治療における大きなテーマだと思います。監修をお願いしているクリニックでは、高齢不妊を多く診察されていて、そういった患者さんの事例をよく聞きました。
「子どもを授かり、育てていく人生」は幸せかもしれないけれど、私は「子どもを持たない」という選択や、そこにある幸せも否定したくなくて。仕事やパートナー、それ以外の何か大切にしているものがその人にとって支えになることもありますよね。「幸せって何だろう?」という大きなテーマに向き合いながら、キャラクターたちの選択を描いています。
4巻では、治療スケジュールと職場との調整に悩むキャラクター「裕子」が登場します。職場の理解不足により「退職」を考える裕子の姿が印象に残りました。
『胚培養士ミズイロ』より
おかざき 妊活というプライベートなことを職場に伝え、治療がどういうものなのかを知らない人に説明しなければならない。しかも見通しは立っていない。その相談を受ける側の上司やマネージャーも、本人のプライベートにどこまで踏み込んでいいのか分からない……。
そんなお互いの「分からない」によって、不妊治療と職場の関係は折り合いがつきにくくなってしまっているなと感じます。
本人も職場も手探りな状態であることが、双方の話し合いを難しくさせているのかもしれません。
おかざき そういった意味では、青年誌である『週刊スピリッツ』に掲載してもらえていることは、すごく意味があると思っています。
職場のマネージャーや管理職のような立場の男性が手に取ってくれることで、当事者でなくても不妊治療を知るきっかけにかもしれない。
裕子の上司のように、誰でも「当事者のそばにいる人」になる可能性がありますから。職場側の理解が進み、本人との話し合いのハードルが少しでも下がってくれたらいいなと。
男女の“情報の差”を埋めるのは「日頃のコミュニケーション」
不妊治療中であることは周囲に打ち明けづらく、治療中の女性はさまざまな事情から孤独を感じやすいと思います。どんな支えが必要だと思いますか。
おかざき 一番は「共に歩むパートナーの理解」だと思います。治療を終えた後、子どもがいてもいなくても、そのパートナーとはおそらく一緒に生きていくことになるでしょう。そう考えると、一番の理解者や頼れる存在はパートナーかなって。治療中だけなら、担当医師や胚培養士さんに「助けて~!」と、べったり頼ることもできるかもしれませんが(笑)。
パートナーとの間に知識量や情報量の差があり、悩んでしまう人もいるのではと考えます。どのように不妊治療の情報を交換したり、コミュニケーションを取ったりすればよいと思いますか。
おかざき 確かにネットや本などで情報を調べたり、知識を身に付けたりといったことは、女性の方が積極的な印象があります。
コロナ禍では、来院人数も制限されていましたし、そもそもレディースクリニックは男性が入れないところも多いです。そうなると必然的に女性が来院し、医師の説明を聞き、それをパートナーに伝える……という構図になりがちなんです。
だからこそ「何かあったときは何でも相談できる関係性」を日頃から築いておくことが大切なのではないでしょうか。
そういった関係性であれば、たとえ治療に関する情報や知識に「差」があっても、何気ない会話の中で少しずつ埋めていくことができそうです。
おかざき あとは気軽な情報収集の手段として『ミズイロ』を活用してもらえるとうれしいなと思います。
「『ミズイロ』を夫が読んでいたので、治療のステップアップの説明がスムーズだった!」とか、「妻がどんな診察を受けているのか知ることができた」といった声をSNSなどで見かけることがあるんです。この作品が少しでも不妊治療に関心を抱くきっかけになればと思います。
自分が「納得」できていれば、どんな選択をしてもいい
治療の現場や治療経験者、読者の声を聞く中で、おかざきさんは「不妊治療において大切なこと」は何だと考えていますか。
おかざき 「自分が納得できるかどうか」なのかなと思います。自分が納得できるならどんな選択をしてもいいし、その選択の一つ一つが人生を形づくる。
不妊治療には「やらない」という選択肢もあるからこそ、常に「次はどうするか」という問いと向き合っていく必要があります。だから、自分の納得感を大切にしてほしい。「それが難しいんだよ!」というジレンマはあると思うんですけど、誰のどんな決断も尊重されてほしいし、それをサポートする社会でありたい、あってほしいと思いますね。
「納得できる選択」をするためには、どうすればよいでしょう。
おかざき 現在の不妊治療はある意味、入り口がカジュアルになっていますよね。心理的なハードルはあれど、保険適用になったし、まずは検査から……とスタートしやすい環境になっているのかなと。それはとてもいいことだけど、一方で「いつまで続けるか」をあまり話し合わずに始めるケースもあると思うんです。
だからこそ、ご夫婦で「どこまで・いつまでやるか」を都度しっかり話し合うことが大切かもしれません。もちろん、あとになって気持ちが変われば、ゴールを変えてもいい。あくまで、いまの自分はどこまでやれば納得できるのか、互いの気持ちを確かめておくことが重要だと思います。
仕事をしながらの不妊治療に、つらさを感じている人も多いと思います。
おかざき 「こうすべき!」みたいなアドバイスは私にはできませんが......。本当に単なる個人の願いとしては、今その手に持っているものは、できれば離さないでほしいなと思います。私は仕事が好きですし、出産や育児で苦しいとき仕事に救われました。
現実的な話になってしまいますが、どうしても今の社会は、一度仕事を手放すと戻ってきにくい構造になっているし、仕事と子どもはトレードできるものでもありません。
だから本当に難しい決断だと思うけれど、自分とパートナーの納得できるところを見つけてほしい。そして、その決断を応援してくれる社会であってほしいと願っています。
今後も『胚培養士ミズイロ』では「働きながら不妊治療」を選択するキャラクターが登場すると思いますが、扱いたい職業やテーマはありますか?
おかざき 働き方が多様化しつつあるし、職業による性差もなくなっていくと思うので、描きたいテーマは尽きないですね。例えば、転勤族の夫婦はどうやって不妊治療を進めているのだろうと......。取材を続けるほど、たくさんの疑問が湧いてきます。
高度経済成長のころから築き上げられてきた今の社会のシステムと、不妊治療のどのようなところが食い違っているのか、また今後どのように噛み合わせていくべきなのか。このマンガを通して問いかけ続けたいと思います。
取材・文:藤堂真衣編集:はてな編集部
お話を伺った方:おかざき真里
6月15日生まれ。長野県出身。集英社「ぶ~け」でマンガ家デビュー。代表作『サプリ』月9ドラマ化、『彼女が死んじゃった。』土9ドラマ化、『渋谷区円山町』『ずっと独身でいるつもり?』映画化、『かしましめし』ドラマ化。海外翻訳多数。最澄と空海を主人公にした『阿・吽』が2021 年 小学館「月刊!スピリッツ7月号」にて完結。現在、『胚培養士ミズイロ』(既刊5巻)を小学館「週刊ビッグコミックスピリッツ」にて、『かしましめし』( 既刊6巻) を祥伝社「FEEL YOUNG」にて連載中。