二十一世紀の今よみがえる『五輪書』――魚住孝至さんが読む、宮本武蔵『五輪書』#1【NHK100分de名著ブックス一挙公開】
魚住孝至さんによる、宮本武蔵『五輪書』読み解き
わが道を極め、自在に生きる――。
戦国時代を浪人(当時の表記は「牢人」)として生き、晩年は熊本にて細川家につかえた剣の達人・宮本武蔵。29歳までに60あまりの勝負をして、一度も敗れたことがなかったという武蔵が、晩年にそこで体得した剣術の極意を著したのが『五輪書(ごりんのしょ)』です。
『NHK「100分de名著」ブックス 宮本武蔵 五輪書』では、自分を保つための心得や、状況を見きわめる極意、鍛錬の先に開ける自由など、現代を生きる私たちに多くの示唆を与えてくれる本書の魅力を、魚住孝至さんが解説します。
今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第1回/全4回)
二十一世紀の今よみがえる『五輪書』(はじめに)
宮本武蔵(むさし)といえば、すぐに佐々木小次郎との「巌(がん)流(りゆう)島(じま)の決闘」が思い浮かぶのではないでしょうか。けれどもこれは、武蔵にとって数ある勝負の一つに過ぎないものです。もう少し詳しいと、「少年時代、父に反抗して武者修行に出て以来、一度も負けなかったが、勝つためには何でもした」「沢(たく)庵(あん)和尚との出会いによって精神的に成長したが、生涯浪人で放浪した。晩年になってようやく熊本で落ち着き、『五(ご)輪(りんの)書(しよ)』を書いた」といったイメージをお持ちかもしれません。
けれども、これらは「巌流島の決闘」の顚(てん)末(まつ)も含めて、吉川英治が書いた小説『宮本武蔵』による虚像です。この小説は、映画や芝居、ラジオやテレビ、マンガなどで繰り返し変奏され、そのイメージがあまりに強固なものになっています。吉川自身が、小説のフィクションと史実が混同されることを恐れて『随筆宮本武蔵』を書いています。その中で武蔵について史実として確かなものはたった三千字程だと言っていますが、吉川は『五輪書』の内容をきちんと読んでいたのか疑問です。実際に『五輪書』を読んでみれば、小説の主人公のような武蔵には、とても書けるはずがない内容であることが分かります。
私が初めて『五輪書』を読んだのは、三十五年程前に『古典の事典』で「武道の三大古典」の解説を書く仕事をした時のことです。「三大古典」とは、柳生(やぎゆう)宗(むね)矩(のり)の『兵法家伝書』、沢庵の『不動智神妙録』、そして宮本武蔵の『五輪書』を指します。この三つを読んでみると、『五輪書』が圧倒的にすばらしいと感じました。記述がきわめて具体的かつ明(めい)晰(せき)で、人間のからだに即しており、まさに武道の「思想」を論じた書だったからです。卓越した論理構成力にも驚かされました。このような、近世以前には類を見ないすぐれた文章を書いた武蔵という人間が、ただの狷(けん)介(かい)孤高の浪人とはとても考えられません。本当の武蔵はどのような人物だったのかを知るために、私は研究を始めました。
ここ五十年程の間に、武蔵とその周辺の人物についての資料や、武蔵が関係した藩の文書などが数多く発見されています。また、これまで通念とされてきた武蔵像が、厳密な史料批判によって再検討されてきました。私も各地を調査して、武蔵の著作は『五輪書』を含めて六点もあることが分かりました。武蔵の手になることが確実な書・画・細工(木刀・鞍)は二十点以上あります。これらの研究の結果、二十一世紀になってようやく武蔵の実像が明らかになってきたのです。
小説『宮本武蔵』やその影響を受けたフィクションは、青年期の武者修行の勝負までを主に描くので、「素浪人・武蔵」のイメージが強いのですが、武蔵の思想を考える上で重要なのは、むしろ壮年期以降です。譜代大名に「客分」として迎えられ、藩主の息子や家臣に剣術を指導した武蔵は、一方で禅僧や林(はやし)羅(ら)山(ざん)などの知識人たちと交流を持ち、諸芸を嗜(たしな)む自由もありました。また養子を採って大名の側に仕えさせましたが、養子は後に藩の家老にまでなります。『五輪書』が剣術の鍛練に止まらず、何事においても人に優れんとする武士の「生き方」まで説くことができたのは、広い視野を持ち、武家社会の中枢も知っていたからだと思います。
宮本武蔵は六十歳を越えた最後の一年半の間に『五輪書』を書いています。『五輪書』は、「地・水・火・風・空」の五巻で成ります。「地の巻」の最初に、自らの人生を振り返って、その経験から見出した真実を書くと宣言しています。それゆえ、第1章では、ここには十分には書かれていない武蔵の生涯と時代背景について、研究で明らかになったことを紹介します。「地(ち)の巻(まき)」本論は、兵法とは何かを論じて、社会の中で武士を位置づけ、武士の職分を説明します。その上で、個人としての武士と、千人、万人を指揮する大将のあり様(よう)を分けて論じます。後者ではリーダー論も述べています。その上でさまざまな武術を見た上で剣術論を展開するのです。ここまで第1章で解説します。
第2章は「水(すい)の巻」で、剣術の技法・鍛練の仕方を解説しています。日常の生活から、心の持ち方や姿勢を常に鍛練していく。また、太刀の構えと太刀遣いの原理を明らかにして稽古法を示しますが、これらをマニュアルのように覚えるのではなく、太刀を振る感覚を自分で研(と)ぎ澄ませ身につけていくことこそ大事だと強調しています。さらに、常に実戦でどう戦うかを考えて稽古せよと言っています。
第3章は「火(か)の巻」を考えます。武蔵は、勝つには勝つ道理があるとして、戦う場と敵をよく知って、自分が有利に戦えるように徹底して工夫しています。敵を崩すために、技の工夫とともに心理戦も仕掛けて、敵に崩れが見えた瞬間を間(かん)髪(ぱつ)容(い)れずに勝つ。生涯無敗であったのもなるほどと思われます。有名な吉岡一門との戦いや巌流の小次郎との勝負についても、遺された資料から実際はどうであったかを推測してみます。加えて、剣の戦い方は合戦の戦い方にも応用できることを示しています。
第4章では「風(ふう)の巻」と「空(くう)の巻」の内容を扱います。「風の巻」は、他流剣術の誤りについて考えることで、確かなものを浮かび上がらせています。その上で武蔵は、自らの術理が現実にいついかなる場でも通用するか、絶えず大きなところ──「空」から見ていました。迷いなく、自らの感覚を磨いて、鍛練を徹底していけば、やがて自在な境地に開かれる。それが「空の巻」の目指すところです。
『五輪書』で武蔵は、「ここに書かれていることを自分で試して工夫せよ」と読む者に繰り返し勧めています。その勧めにしたがい、私自身も真剣や武蔵自作の木刀の複製を振り、二天一流の伝承の形(かた)を試してみることで、武蔵が苦心して言葉にしようとしたことが実感として分かってきました。本書で、その一端をお伝えします。
『五輪書』は、最初の英訳から四十五年余り経ち、今や十以上の言語に訳され、世界中で読まれています。
二十一世紀はグローバル時代と言われますが、確固とした人生観・世界観を持ち難い時代です。グローバル化したゆえに、二〇二〇年には新型コロナウイルスが世界中に爆発的に蔓延し、国や地域を越えた人間の移動が制限され、さらに人間同士の接触が警戒されて、社会生活が大きく制約される事態になっています。先進国ではオンラインが急速に普及して、対面せずに情報だけで伝達や拡散が容易になった面がありますが、それは擬似的で表面的な情報であって、人とのリアルな対応の仕方は状況によって無限の可変性を秘めるものであり、身体的な体験のレベルで吟味していくのでなければ、安易に情報に流される危険性があることも十分に自覚するのが大事だと思います。そんな二十一世紀の今にあって、戦国から江戸へと変わっていく激動の不安定な時代、自らの道を貫いて確固たる自己を生きた武蔵の『五輪書』は、私たちの生き方にも大きなヒントを与えてくれる、普遍性のある書物だと思います。
では、これから一緒に『五輪書』を読んでいきましょう。
著者
魚住孝至(うおずみ・たかし)
放送大学教授。83年東京大学大学院博士課程単位取得満期退学。博士(文学)。専門は日本思想、実存思想、身体文化。国際武道大学教授を経て現職。著書に『宮本武蔵──日本人の道』(ぺりかん社)、『宮本武蔵──「兵法の道」を生きる』(岩波新書)、『芭蕉 最後の一句』(筑摩選書)、『道を極める──日本人の心の歴史』、『哲学・思想を今考える──歴史の中で』(以上、放送大学教育振興会)、『日本の伝統文化6 武道』(山川出版社)、訳書にE・ヘリゲル『新訳 弓と禅』(角川ソフィア文庫)などがある。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。
■「100分de名著ブックス「宮本武蔵『五輪書』~わが道を生きる」(魚住孝至著)より抜粋
■書籍に掲載の脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛しております。
*本書における『五輪書』の本文および現代語訳は、『ビギナーズ日本の思想 宮本武蔵「五輪書」』(魚住孝至編、角川ソフィア文庫)に拠りますが、振りがななどを適宜補いました。
*本書は、「NHK100分de名著」において、2016年5月に放送された「宮本武蔵『五輪書』」のテキストを底本として加筆・修正し、新たにブックス特別章「わが道を生きる──宮本武蔵の生き方」、読書案内などを収載したものです。
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