上野万太郎の「この人がいるからここに行く」うきは市の里山にある「Pizzaロダン」で新しい人生を歩き始めたピッツァ職人と家族たち
うきは市の里山に出来た「Pizzaロダン」
オーナーシェフの藤吉智文(ともふみ)さん(36歳)は、2022年4月、うきは市の少し山に入った集落に完全予約制のピッツァレストラン「Pizzaロダン」を開業した。当初は智文さん一人で開業し、11月に愛犬エマちゃん、そして12月に後に妻となる沙也佳さんがスタッフに加わることになった。
智文さんは、ピッツァの調理技術だけでなく農業やイタリア文化にも興味を持ち、イタリア修業を通してワインやチーズにも精通している本格的なピッツァ職人である。
店を構えている建物は約100年前に建てられたもので、昔は保育園や柔道場として使われていたものだという。ここに移築されて80年くらい経つらしいが里山の自然の中で風雪を乗り越え堂々と現存している姿は趣というか威厳さえ感じられる。とは言え、うきは市の里山だ、ここに来るのは不便と言えば不便。何故そんな場所で智文さんが「Pizzaロダン」を開いたのか、智文さんの人生を振り返りながら彼の想いを探ってみたい。
福岡県で生まれ育ち、京都でピッツァに目覚めた智文さん
智文さんは福岡県春日市出身。福岡市内の高校を卒業後に京都の立命館大学に進学した。智文さんのピッツァ職人へのスタートはこの時期に始まる。智文さんは大学時代に京都のイタリアンレストランでアルバイトをしていた。その店にはピッツァはメニューになかったそうだが、大学生のアルバイトという立場にかかわらず、店にピッツァのメニュー化を提案したのだという。
「もともと料理好きでピザ好きだったのですが、そのイタリアンレストランでずっと働きたくて自分の存在価値を見出したかったというのもあるんです。そこで『ピザを始めませんか?』とシェフに提案したんですよ」
試作を食べてもらったら、「やってみよう」ということになり、それからピッツァを本格的に作り出したそうだ。自分で小麦粉を手ごねして生地を作る。当然ながらピザ窯はないのでオーブンで焼いて提供をした。するとお客さんにも好評で人気メニューになったそうだ。その頃からピッツァ職人としての片鱗が現れていたのは間違いない。
東京でワイン商社に勤務
大学卒業後は、東京のワイン商社に就職した智文さん。
「ワインの勉強もしたかったのですが、既にピッツァ職人になりたいっていう気持ちは固まっていたのでそのための就職でもありました」。
しかしイタリアンシェフではなく、ピッツァ職人になりたかったという。
「ピザが好きって言うのもあるのですが、職人っていうものへの憧れがあったんです。日本食で言えば、すし職人とか蕎麦職人とかいうイメージですかね、イタリアンの中でもピザ職人というのは、ちょっと違うイメージがあるんですよ」
3年間、ワイン商社で働いた後、智文さんは前々から決めていた通り、イタリアへ行くことにした。約1年間の語学留学だ。学校に行きながら、日本のレストランオーナーの紹介でナポリ近くのサレルノ県のピッツァレストランで修業した。その1年間は、智文さんにとって、イタリア語習得やピッツァのこと、そしてイタリアという国のことを含めてとても有意義な時間だったのは言うまでもない。
2度目のイタリア
語学留学から日本へ帰ってきた智文さんはレストランで働いた。今回は就職と言うより、とにかくお金を貯めてもう一度イタリアに行きたい!!という気持ちだった。そして30歳の誕生日の前に、智文さんは再びイタリアへ旅立った。
「2度目のイタリアは、バックパッカーみたいな感じでイタリア20州のうちの10州を転々とする生活でした。いろんな生産者を廻って住み込みで働きました」
「生産者とは、具体的にどんな人たちのことですか?」
「野菜やワイン、チーズ、サラミ、バルサミコ酢などの生産者です。将来的に日本でピザレストランを開業するということは決めていたので、もっとイタリアを知りたかったんです。アルバイト時代から10年近くピザ作りに関わって来て、ピザを作ることにも増して小麦粉や野菜やチーズなどをもっと知りたくなったんです。答えは生産の現場にあると思ったんです」と熱く語る智文さんだった。
さらに「前回イタリア留学した時に、働いていたレストランのシェフにお勧めの料理を尋ねたら、みんなが口をそろえて、『マンマ(お母さん)が作る料理だよ』って答えるんです。それを聞いた時に、本当に美味しい料理はイタリアの家庭にあると思ったんです。だから生産者の家に住み込みして、マンマの調理を味わいたかったんですよ」と続けた。
そうやって1年間のイタリア生活で、ワイン、チーズ、イタリア野菜、バルサミコ酢、サラミ、生ハム、燻製肉(ベーコンのようなもの)、そしてマンマの作る料理を学んだ智文さんだった。
里山での開業へのこだわり
日本に帰国した智文さんは東京のレストランで働いたり、福岡市内のナチュラルワインのお店や保育園の給食室で働いてアレルギーの勉強もした。日本国内の生産者を廻って旅もした。そして、いよいよ開業の準備に入るために32歳の時に福岡に帰ることにしたのだ。
店を作る場所について智文さんは決めていたことがある。
地元福岡県で店舗物件を探す。そして、里山を探すということ。「里山」とは、自然と都市との間にあり、集落とそれを取り巻く林、農地、ため池、草原などで構成される地域のこと。
「何故、里山にこだわったのですか??」
「イタリアの生産者を廻っていた時に、地域に対する愛情や想いが強いレストランやシェフにたくさん出会って素晴らしいなと思ったんです。素材の生産現場と近いところでピザを作ることが出来るのは幸せでしかないなと感じました。そして、国外に住んでみたから分かる日本において一番の日本らしさは里山にあると思ったんです」と智文さん。
さらに、「店が成功するか失敗するかについて場所を言い訳にしたくないと思ってました。どこでやってもお客さんが来てくれる魅力的なレストランにすれば良いと思ったんです」
「それは自信がないと出来ませんよね?」
「自信がないわけではなかったですけど、それよりも実験的な意味もありました。そして次の世代の人たちへの刺激となって一つの選択肢として地方でお店を開く人が増えてくれればそれは嬉しいなと思ってます」と智文さん。
「Pizzaロダン」開業
そして約1年、福岡県内の里山を巡り、うきは市小塩で築100年の建物と出会うことが出来た智文さんは33歳の時に「Pizzaロダン」を一人で開業した。
しかし、都会からよそ者が移住してくるのだ。高齢者の多い里山の方々にすんなり溶けこむことは出来たのだろうか、付き合いや交流は問題なく出来たのだろうか、そんな心配をしてしまうのは僕だけではないと思う。
「里山に男一人で移住してレストランを開業するという状況を逆の立場で見たら、ちょっと不気味ですよね。なかなかすぐに受け入れられるのは難しかったです。ただ、今となってはとっても良くして頂いてます。周りの人たちはまさに里山の生産者ですからね、モノや人を含めていろんなことを教えて頂いたり協力して頂けるようになりました」と智文さん。
さらに「この先飲食店をずっと続けていたらいつか田舎でやりたいと思う時が来るだろうと思うんです。だったら最初から田舎で店を開いたほうが良いと思ったんです。田舎に引っ越してそこのコミュニティに溶けこむというのはそれなりにエネルギーを使うと思うんです。だからこそ少しでも若い時の方が柔軟性もあるし体力的に良いと思います。今だから分かりますけど、田舎に住むとなにかと自分で身体を動かさないといけないことが多いんですよね。体力のあるうちに慣れておかないと難しいと思います」
こだわりのピッツァや料理
そんな人たちに支えられて、「Pizzaロダン」は地産地消の食材を使ったこだわりのピッツァや料理を提供できるようになった。ピッツァの生地になる小麦粉は福岡県産を使用。山を越えた隣にある八女市の田中製粉の小麦を使っている。これを使って京都のレストラン時代からやっていた手ごねにこだわりピッツァ作りを続けている。手ごねは生地の水分量が分かりやすく天候や季節に応じた生地つくりには最適だという。
また畑を借りて野菜作りも始めた。店の周りで作っている自家栽培には葉物、土物、果菜類、ハーブ類など季節に合わせた野菜がたくさん採れる。足りないものは集落の農家さんから仕入れることも出来る。
ハチミツは自家採蜜。集落の方に教えて頂いて二ホンミツバチを集めて蜜をとってるという。それも含めて答えは里山にあった、ということではなかろうか。里山には先生や先輩がたくさんいるのだ。
さらにハムやベーコンもほとんど自家製造している。もちろん、窯も手作りだ。長年、ピッツァ職人として働いてきたノウハウで開業前に作った窯。そのための薪(まき)も店の周囲にたくさんストックされている。
「Pizzaロダン」ではそんな野菜を使って日替わり、週替わりで季節に応じたピッツァ、デザート、ドリンクなどを提供しているのだ。出来る限り定番で提供しているのは、小塩平飼い卵と生ハムブラックペッパーのピッツァ(2,000円)、小塩平飼い卵のティラミス(500円)だ。
妻、沙也佳さんとの出会い
さて、もう一人の主役、妻となる沙也佳さんと出会ったのは、2022年3月、「Pizzaロダン」のプレオープンの時だったそうだ。共通の友人が客として一緒に沙也佳さんを連れてきてくれた。彼女はそれまで15年間保育士として働いていたがちょうど退職したタイミングだった。元々登山やアウトドアや自然が大好きだった彼女は春から長野県の山小屋での勤務が決まっていたらしい。
それまでの間しばらくのんびりしていた沙也佳さん。里山が気に入った彼女は、「ここの店前の庭にテント張ってキャンプして良いですか?」と聞いてきたらしい。え??っていう話だが、智文さんもその申し出を快く受け入れたそうだ。その話を聞いた僕は、「お互い一目惚れやん!!」と思った。
そこで恋が芽生えた二人は、「長野から帰ってくるまでその気持ちが続いていたら結婚しようか?」という合意の上で遠距離恋愛を続けたそうだ。そして、その年の冬、長野県の小屋閉めの前に仕事を終えた沙也佳さんは福岡に戻り、ここで一緒に働くようになったそうだ。そして翌年3月に無事に入籍。
沙也佳さんは「元々家族を持ちたいという願望もあったんですけど、この人ならうまくいきそうと思ったんですよね」と。
智文さんから以前こんなことを聞いたことがある。「知り合った頃にお店を手伝ったもらったことがあって、この空間でこの人が接客している光景がとてもしっくりして、ずっとここで働いてくれたら、きっと良いレストランになるだろうなぁと直感したんですよ」と。
その時僕もすごく共感した。というのも、僕が最初に沙也佳さんに会ったのは彼女が長野県の山小屋から帰ってきた後だったが、その接客する姿がとても素晴らしくて、この人がいればここは絶対人気店になると思ったことがあったからだ。
彼女のわざとらしくない笑顔、メニューを説明する張りがあり少し低音の声質、凛とした立ち居振る舞い、姿勢の良い歩き方がプロフェッショナルに感じたのだ。その時、「ずっと飲食店で働いてたんですか?」と思わず聞いたが「いえ、ずっと保育士してました」との返事にさらにビックリしたことを覚えている。
その後、めでたく第一子の誕生。今では7ヶ月になる息子さんを背負ってピッツァを焼いている智文さん。お父さんの背中でニコニコしながらお客さんに愛想を振りまくお利口過ぎる息子さん。それを微笑ましく見ながら仕事している沙也佳さんの表情がまたたまらない。
これからの夢
ここ3年間で退職、開業、結婚、そして父になった智文さん。人生の中ではなかなか大きなイベントが続いたわけだが、「Pizzaロダン」にとっての本当のスタートはこれからだろう。
大学生の頃からピッツァ職人になるための計画を具体的に立てそれを一つひとつ実行に移して実現してきた智文さんだが、「なるようにしかならないから」という言葉を本人から何回も聞いた。なるようにしかならないから、なりたいように努力するということだろう。そんな智文さんに「将来はどうなりたいですか?」と聞いてみた。
「いま野菜を作ってる畑でブドウを育てたいんですよ。そして将来的にはロダンオリジナルワインをここで作りたいんです!!」
それを聞いた瞬間、「あぁ、そういうことか~」と納得してしまった。すでにピッツァやイタリアや里山への愛があふれている「Pizzaロダン」だが、ワインの生産だなんて、それを想像するだけでどれだけ素敵な場所になるんだろう。それだけ聞けば、智文さんたちが思い描く夢がはっきり浮かんでくる。
僕が初めてここに来た冬の日。薪ストーブからの熱が店内を包み、里山風景が一面に見渡せる大きな窓からは太陽の光がポカポカとしていてソファで昼寝したくなった。というかここに泊まりたくさえなったくらい心地よかった。
そんな素敵な空間で、智文さん、沙也佳さん、そして愛犬エマちゃん、さらにいつもニコニコの息子さんの4人が優しく迎えてくれる「Pizzaロダン」。僕にとって料理も空間も環境もそして人もこんなに気持ちの良い場所はそんなにない。休日のお昼にちょっと足を延ばしてみませんか。
店名 : Pizzaロダン
住所 : 福岡県うきは市浮羽町小塩2533-1
電話 : 070-8453-6474
時間 : 11:00~OS15:00 (完全予約制)
店休日 : 水・木曜日
駐車場 : あり
メニュー : ピッツァ各種(小塩平飼い卵と生ハムブラックペッパーなど) 2,000円、ドリンク(幾里人珈琲焙煎所ブラックコーヒーなど) 500円~、スイーツ(小塩平飼い卵のティラミスなど) 500円~