自身のルーツに改めて向き合う ピアニスト・長富彩インタビュー
ハンガリーをはじめとするヨーロッパやアメリカで多くの人を魅了し、2010年に日本コロムビアよりデビューしたピアニスト・長富彩。『イスラメイ~100年の時を経て甦る、ピアノの黄金時代』から10年以上の時を経て、『長富彩ピアノ・リサイタル -イスラメイ- オール・ロシアン・プログラム』で再び看板曲である「イスラメイ」と自身のルーツであるロシア音楽に挑む彼女にインタビューを行った。
ーー今回は「オール・ロシアン・プログラム」ということです。
ロシア音楽は私の音楽人生のルーツだと考えています。母が私を妊娠している時から父がレコードを流していましたし、生まれてからもシンフォニーなどを聞いてきました。その中で自然と好きになり、ピアノを始めて大好きになった演奏家がキーシン。
ロシア音楽の中でも大きな存在だったのはラフマニノフですが、今回はプログラムに入れていません。いろいろな人生経験を経て「イスラメイ」をどう演奏できるかチャレンジしたい。また、「ロシア音楽が好き」と言いながらいわゆるロシア5人組などにしっかり向き合わず、ラフマニノフばかり演奏してきたなと思って。
今回はまっさらなプログラムで考えようと、弾いてこなかった曲を聞き漁った中で1曲目に置きたいと思ったのが「アンプロンプチュ」。キュイはショパンから大きな影響を受けていて、この曲の中に「軍隊ポロネーズ」を思わせるフレーズがあったりするんです。他の作曲家たちも私が愛して演奏してきたリストやシューマンから影響を受けている。ロシアの風景が浮かぶと同時に、影響を受けたであろう作曲家のエッセンスが出てくるのがすごく面白いです。
ーー「イスラメイ」を弾いて、今だからこその気付きなどはありましたか?
昔からモンゴルの広い土地をたくさんの馬が駆け出していく様子でスタートするイメージの曲で、冒頭の単音にすごくこだわりがあります。デビュー当時は「どうしたらうまく弾けるか」というプレッシャーが大きく囚われていましたが、10年以上経ち、悔しいことや失敗も含めたいろいろな経験をして、単音のフレーズがナチュラルに出せるようになったと感じます。その後の超絶技巧も以前より迫力を増して弾きたいですが、単音の部分が「イスラメイ」の全てを表していると思います。聞いてくださるお客様にも、違う国にワープしたような感覚になってもらえたら嬉しいです。
ーーSNSで譜読みや曲のイメージ作りの様子もアップされています。プログラムの聴きどころを教えてください。
知らない曲でも、誰の影響を受けていたかなどを知るとグッと身近に感じられると思ってSNSで発信しているので、少しでも知ってもらえたら嬉しいです。
キュイに関しては、短い中にも展開が多くドラマティックで美しい曲です。ショパンを愛していただけあっていろいろなところに「ポロネーズ」のフレーズが出てきますし、リストの影響も受けていて細かいパッセージが「エステ荘の噴水」に似ているところもある。その辺を探して楽しんでいただきたいですね。
バラキレフは「イスラメイ」とグリンカの「ひばり」を演奏します。彼はリストから影響を受け、リストの華やかなヴィルトーゾを参考に用いてアレンジしたと言われているので注目して欲しいです。「ひばり」もデビュー当時から大事に演奏している曲。私は情景を感じられるように音を奏でることにこだわりと喜びを感じています。「ひばり」はグリンカが作った「ペテルブルクへの別れ」という悲しい曲集から作られていますが、美しいメロディーを飾る華やかなヴィルトーゾとひばりの囀りにこだわって演奏しているのが伝わったらいいなと。原曲を聞いてきていただけるとより楽しめると思います。
ムソルグスキーの「展覧会の絵」は、そんなに演奏回数は多くないけど得意としている曲です。ムソルグスキーはバラキレフに習っていた人で、他にもベートーヴェンなど、ドイツ音楽を習っていた人でもあります。この曲は画家・ハルトマンの死を悼み、彼の展覧会に行った時のイメージを曲にしたと言われています。曲によってテンポ感が違うのは、立ち止まってじっくり見たり、ちょっと通り過ぎて見たりする様子を表現しているのではないかという説もある。自分が美術館に行った時を想像しながら楽しんでもらえるといいなと思います。あと、ハルトマンの絵は奥深くてすごく面白い。彼の絵も見てきてもらえるとより楽しんでもらえると思います。
チャイコフスキーの「グランド・ソナタト長調Op.37」は、最後を飾る曲。上昇・下降や和音の多さなど、チャイコフスキーのコンチェルト1番を思わせるフレーズが出てくるので、知っている方は「お、出てきた」という楽しみ方ができると思います。私は普段短調の曲を弾くことが多いですが、この曲はト長調。明るさとロシアの寂しさみたいなものの両方あるのが魅力だと思います。
また、コンサートは一緒に作ってくれる方がいて成り立っているという思いが年々強くなっています。自分の中では「私はこういう曲が好き・得意」と凝り固まってしまっている部分もある。そんな時に友人などから「あの曲、彩に合うと思う」と言われて聴いたり弾いたりすると、目の前がパッと開けることがあるんです。「グランド・ソナタ」もそんな曲の一つ。スタッフさんから曲名が挙がったので改めて聞いてみたら取り憑かれたようになってしまって、今回のコンサートはこの曲ありきで作ろうと思いました。導かれて取り組むことになった曲なので、オーケストレーションなども精一杯表現していきたいです。記事を読んだ方が「そんな背景があったんだ」と思いながら聞いてくださったら嬉しいですね。
ーーデビュー当時から現在までを振り返って、ご自身の変化や成長はどこに感じますか?
デビュー前は「自分のやりたい音楽ができればいい」と思っていましたが、デビュー後は不安やプレッシャーから抜け出せなくなりました。自分に使える時間が無限にあったので、本番までは1日中弾いていて、周囲からも「いい意味で諦めて、もう少しリラックスして挑みなさい」というアドバイスされていました。
いろいろな方法を試して少しずつ不安から抜け出し、さらに子供が産まれて時間がなくなりました。小さい頃からの夢がピアニストとお母さんだったので、悩むこともありましたが叶えたかったんです。
それがむしろ良くて、自分の殻を破ることができるようになりました。時間がないことを理由に中途半端な演奏会にしないために必死に練習するし、自分がやりたい音楽をちゃんと届けたいという気持ちが増して、音楽家として強くなれたと思います。不安はたくさんあるけど、舞台の上では表現に専念できるようになってきたのが一番の変化で、今後さらに追求していきたいです。
ーー最後に、楽しみにしている皆さんへのメッセージをお願いします。
今回半分ほどが聞く機会の少ない曲だと思いますが、本当に美しく、ピアノ1台で演奏しているとは思えない豊かな曲が並んでいます。それをちゃんと体験していただけるように精一杯準備します。そしてなんと言っても「イスラメイ」。私のデビュー当時から見守ってくださっている方は特に、どんな変化があるか注目してくださっていると思います。私自身もどんどん追求して本番に向かうので、ぜひ楽しみにしていてください。
取材・文=吉田沙奈