元読売新聞会長・白石興二郎さんと語る、外国語学習の必要性【杉田敏の 現代ビジネス英語】
白石興二郎さんと杉田敏先生の特別対談を公開!
読売新聞社で政治記者として活動した後、同紙の論説委員、論説委員長を経て、同社社長、次いで会長を務めた白石興二郎さん。昭和から平成、令和へと移り変わる中で、政治の変遷を見つめ、報道の第一線で活躍しました。
さらにその後、スイス兼リヒテンシュタイン大使に転身。外国語学習の必要性から、読売新聞社における渡邉恒雄さんの人物像まで、多岐にわたり語っていただきました。
※『杉田敏の 現代ビジネス英語 2025年 冬号』より一部抜粋して掲載。
政治記者を経て、論説委員長に
杉田 白石さんと初めてお会いしたのは2010年ごろだったと思います。そのときにいただいた名刺の肩書きは読売新聞社の論説委員長でした。
白石 私は1969年に新卒で読売新聞社に入り、地方支局などで取材経験を積んだあと、1976年に政治部に配属されました。政治記者を20年ほど務めて論説委員になり、その後、論説委員長になりました。元日付の社説を書くのは、論説委員長の仕事です。政治や経済の今後はどうあるべきか、日本はどういう方向に進むべきか、中長期的な視点に立って新聞社の主張を明らかにするのが元日付の社説の役割で、大変重い責任を感じたように記憶しています。
杉田 20年にわたる政治記者生活の間に多くの政治家を取材されたと思いますが、インタビューの相手として興味深かったのは?
白石 インタビューの相手として、政治家はあまり面白くありません(苦笑)。基本的に本音を言いませんしね。ただ、田中角栄さんの「田中番」は興味深い仕事でした。当時田中さんは政界に復帰して「闇将軍」として自民党を動かし、ひいては日本の政治に大きな影響を与えていました。田中さんとは数人の記者とともに雑談する機会がしばしばあり、目白の私邸や新潟の実家を訪問したことも。そうしたときに本音に近い発言を聞けたこともあります。取材対象としては難しい相手でしたが、虚々実々の政治の舞台裏を知るうえで大いに参考になりました。
「ナベツネ」の人物像
杉田 あるベテラン・ニュースキャスターに「これまででいちばん面白かったインタビュー相手は?」と伺ったら、「ナベツネ(渡邉恒雄)さん」とおっしゃっていました。白石さんの目から見た渡邉恒雄さんは、どのような人物ですか?
白石 渡邉が読売新聞の政治部長をしていたときに、私はその下で政治記者をしていました。渡邉の勉強熱心さ、物事の追求力、表現力は、自社・他社、過去・現在の記者を見渡しても群を抜いていると思います。
杉田 どんな経験から、そう思われるのですか?
白石 渡邉主導で行われた、読売新聞独自の憲法改正試案の発表と、日本の戦争責任の検証は、その象徴と言えます。憲法改正試案は私も論説委員時代に特設チームの一員として担当しましたが、有識者を社内に呼んで勉強会を重ね、最終的には合宿までやって案文をまとめました。また、戦争責任検証も、シリーズものとして紙面で定期的に研究成果を紹介しました。いずれのテーマのときにも渡邉は欠かさず出席し、発言していました。彼の言動に対しては外部から批判されることもありますが、戦争を経験し、自由と民主主義の重要性を知るリベラリストとしての血が脈々と流れているように感じますね。
杉田 読売新聞社のリーダーと言えば、正力松太郎さんも有名です。私は1966年に大学を卒業したのですが、実はこのときに「正力さんの秘書にならないか」と誘われたことがあるんです。
白石 そうなんですか。それは驚き。
杉田 当時の私は、高松宮杯全日本中学校英語弁論大会(現・高円宮杯)を組織する日本学生協会(現・日本学生協会基金)のメンバーで、この協会が読売新聞社内にあった関係で読売新聞の事業局のスタッフ何人かともつきあいがあり、打診されたんです。親に相談したところ、「お前に正力さんの秘書が務まるはずがない」と猛反対され、お断りしました。
白石 杉田さんが正力の秘書になっていたら、私の人生は変わっていたかもしれませんね(笑)。
杉田 ええ、お互いに(笑)。
スイス大使時代は英語が必須。ドイツ語も学びました
杉田 さて、白石さんは読売新聞会長を務めたのち、スイスとリヒテンシュタインの大使を3年間務めました。打診されたときはどのようなお気持ちでしたか?
白石 青天の霹靂でした。私自身は国内政治の取材が中心でしたので、海外駐在の特派員経験はありません。ワシントン特派員を希望したのですが、これは残念ながら同期生が行くことになり、実現しませんでした。その代わり、というわけではないのですが、40歳代にハーバード大学付属研究所の研究員として、ボストン郊外のケンブリッジで1年間過ごしたことがあります。機会があれば再び海外生活の経験をしたいという願望を持っていたこともあり、大使の任をお引き受けしました。赴任先のスイスはドイツ、フランス、イタリア文化の混じった多言語国家で、国民皆兵制度をとり、自国防衛に高い意識を持っている興味深い国です。
杉田 赴任に際して何か準備されたことはありますか?
白石 1か月ほど研修を受けました。
杉田 研修?
白石 ええ。大使の心得についての研修と、赴任地のスイス・ベルンはドイツ語圏なので、ドイツ語の研修もありました。実際に現地に行ってみると、スイスのなまりがきつく、研修で習ったドイツ語の発音とはかなり違っていたのですが……。でも読み書きには役に立ちますし、ヘルマン・ヘッセの小説やゲーテの詩を原語で読みたいという気持ちもありましたので、ドイツ語の勉強は帰国まで続けました。
杉田 大使生活はいかがでしたか?
白石 初出勤の日は「新聞記者時代は外務省の秘密を暴くのが仕事でしたが、大使になった今、秘密を守る仕事になりました」と挨拶しました(笑)。大使の仕事は、現地政府との折衝、他国大使との情報交換、地元の人たちとの友好親善が柱になります。日本大使館の最も重要な職務は邦人の保護・安全確保ですが、スイスとリヒテンシュタイン(スイスと隣接するミニ国家)は基本的に治安がいいので、それほど心配するような事例はありませんでした。
杉田 3年間の大使生活の中で特に印象に残っていることはありますか?
白石 着任直後の2020年春から新型コロナウイルスの世界的な流行の渦に巻き込まれ、公私ともに活動が制限されました。2022年2月にはロシアによるウクライナ侵攻があり、ヨーロッパ全体に緊張が走りました。ベルン市内にはウクライナから逃れてきた人たちのための仮設住宅が建てられ、日本大使館の目の前の農地がその敷地にあてられました。やはりこの2つの出来事が大きかったかなと思います。
杉田 スイスでは英語を話すことも?
白石 大使としての仕事をこなすうえで必須なのが外国語、特に英語の力です。専門分野についてはそれぞれ担当の大使館員がいて、事前に折衝し、また会議の際のサポートをしてくれますが、場合によっては大使自身が自ら出向いて日本政府の意向を伝えます。その際は英語が主流になっています。
杉田 白石さんであれば、英語力に問題はなかったでしょうね。
白石 実務に関しては英語だけでも不自由はしないのですが、せっかくドイツ語圏にいるので、簡単な挨拶ぐらいはドイツ語で、と思い、家庭教師を頼んで月に2回、毎回2時間のドイツ語のレッスンを受けていました。ドイツ語は大学時代も含めて勉強したことがなく、ゼロからの出発で苦労しましたが、現地のスイス人職員に訳してもらった挨拶文を読むぐらいのことはできるようになりました。
杉田 大変な勉強家でいらっしゃいますね。
白石 外交に限らずどんな仕事でも、海外に出たら下手でも構わないのでなるべく現地のことばを使い、意思疎通を心がけるのが鉄則だと信じています。私が若いころに感銘を受けたハインリッヒ・シュリーマンは「古代への情熱」を持ってトロイの遺跡を発見するのですが、語学の才に恵まれ、諸説ありますが18か国語を話せたと言います。能力と努力のたまものでしょう。彼にははるかに及ばずといえども、ほんの少しでも近づきたいと思います。AIによる自動翻訳が人間の能力を超える時代になりつつあると言われますが、やはり、自分の考えを自分のことばで語ることの重要性はなくなりません。相互理解に不可欠のツールとして、外国語、中でも英語の学習の必要度が減ずることはないと思います。
区民館で英語ディスカッション会を開催
杉田 読売新聞社長時代には、社内で「英語道場」のような会を持ったりして社員に英語研修を奨励し、国際的なマインドの醸成を促していましたね。
白石 単に外国語を操る新聞記者ではなく、日本の政治や経済、社会を理解したうえで、海外の出来事を分析できる記者が必要で、そのための社内外での研修が不可欠です。また、海外駐在志望の国際部記者に政治、経済、社会部での取材経験を積ませること、逆に政治、経済、社会部志望の記者に外国語の習得の機会を与え、海外での駐在を経験させることが重要だと考え、私が編集局長時代から具体的に実現するようにしました。若手、中堅記者をはじめ、社員の海外研修の機会も増やしました。人材は一朝一夕に育つものではありません。社員の継続的な努力を幹部がサポートする仕組み作りが大事だと考え、実践した次第です。
杉田 すばらしいですね。さらに敬服しているのは、現役を退かれてからも英語のディスカッション会を、ボランティアで主宰されていることです。
白石 ありがとうございます。始めた背景には、スイス人の英語力の高さに驚き、彼らの多言語能力に圧倒されたことがあります。観光立国であるスイスでは、いわばリンガ・フランカ(国際共通語)である英語の習得が当然視されています。日本とスイスとでは事情が違うので同列には論じられないのですが、英語での発信力を高める必要があるのは、誰しも否定できないのではないでしょうか。そこで、自分のできる範囲で何か役に立てないかと、誰でも参加できる英語の「町道場」を作ろうと思いつきました。そして今年(2024年)2月に、「英語ディスカッション会 Let’s Discuss the World and Japan in English」を立ち上げました。
杉田 千代田区の区民館の会議室を借りて開催されていて、私も一度参加させていただきましたね。
白石 はい、おかげさまでとても有意義な会になりました。毎月2回、土曜日の午後に開催していますが、毎回10人前後が集まります。参加者は私のラジオ体操仲間や、昔からの英語好きの知り合いなどです。できればその場でテーマを決めてディスカッションしていくのが理想的ですが、今のところは私が事前にテーマを決め、資料や日英の表現集を参加者にメールで送っておいて、それを参考にディスカッションする形式です。アメリカの大統領選挙、大谷翔平選手の活躍の秘密、パレスチナ問題、地球温暖化、食の多様化、観光公害、伝統芸能など、多岐にわたるテーマで意見交換を楽しんでいます。
(『杉田敏の 現代ビジネス英語 2025年 冬号』より一部抜粋。)
『杉田敏の 現代ビジネス英語 2025年 冬号』では、この対談の完全版や、「Buy Secondhand(中古品を買おう)」「Life After Retirement(退職後の人生)」など、ビジネスパーソン要注目のトピックをめぐる英会話をお届けしています。
◆撮影/海野惶世
◆取材・構成/髙橋和子白石興二郎(しらいしこうじろう)1946年、富山県出身。京都大学文学部を卒業後、69年に読売新聞社に入社。政治部次長、論説委員、東京本社取締役編集局長などを経て、2011年に読売新聞グループ本社代表取締役社長に就任し、読売巨人軍オーナーを兼任。13年からは日本新聞協会会長を務め、16年に読売新聞グループ本社代表取締役会長となる。19年9月に日本政府よりスイス大使に任命され、22年11月までベルンで駐スイス兼リヒテンシュタイン大使を務めた。
24年2月に「英語ディスカッション会」(Let’s Discuss the World and Japan in English)を発足。白石興二郎さん主催「英語ディスカッション会」について
・場所 : 東京都千代田区立麹町区民館
・日時 : 毎月第2土曜と第4土曜(開催日は会場の都合で変わることがあります)
午後2時~ 5時
・会費 : 500円
参加者全員が議論に加わり、意見交換を楽しむ勉強会。事前に設定したテーマについて参加者それぞれが意見を言うが、英語で意を尽くせない場合には日本語でも発言できる。
杉田敏(すぎた・さとし)昭和女子大学客員教授。1944年東京・神田の生まれ。66年青山学院大学経済学部卒業後、「朝日イブニングニュース」記者を経て71年オハイオ州立大学に留学。「シンシナティ・ポスト」経済記者を経て、73年PR会社バーソン・マーステラのニューヨーク本社に入社。日本ゼネラル・エレクトリック取締役副社長(人事・広報担当)、バーソン・マーステラ(ジャパン)社長、電通バーソン・マーステラ取締役執行副社長、プラップジャパン代表取締役社長を歴任。NHKラジオ講座「やさしいビジネス英語」「実践ビジネス英語」などの講師を、2021年3月まで通算32年半務める。2020年度NHK放送文化賞受賞。著書に『アメリカ人の「ココロ」を理解するための 教養としての英語』(NHK出版)、『英語の新常識』『英語の極意』(集英社インターナショナル)ほか多数。