ハロー、マイ・ユーミン ② 時代の預言者たる1980年代の作品〜クリスマスやバブルだけじゃない
スリー・ストーリーズ by Re:minder
ハロー、マイ・ユーミン ② 時代の預言者たる1980年代の作品〜クリスマスやバブルだけじゃない
松任谷由実作品の全作詞600曲以上を収めた歌詞集が発売
2025年11月19日、松任谷由実のニューアルバム『Wormhole』の発売に合わせ、ユーミン作品の全作詞を収めた歌詞集『ハロー、マイ・ユーミン』がポプラ社から発売された。
ユーミン本人監修のもと、デビュー曲から最新アルバム『Wormhole』まで、さらに提供作品やコラボ曲も含め600曲以上の歌詞を完全収録した決定版である。1ページに1曲のシンプルで読みやすいレイアウトに加え、発表順に並べられた構成。そして、不二家ソフトエクレアのCMソングや、苗場スキー場の「ドラゴンドラのテーマ」、さらには『水の中のASIAへ』コンサートツアーで歌われた「REINCARNATION」の歌詞違いバージョンなど、様々なレア曲まで収録されている。また、その中の6作については、直筆歌詞とともにユーミンが制作エピソードを語っている。
ということで、今回の “スリー・ストーリーズ by Re:minder” では、歌詞集『ハロー、マイ・ユーミン』の発売に合わせ、ユーミンが発表した未来を予見するような楽曲を中心に、トレンドセッターであり、時代の預言者とまで呼ばれている彼女の世界観を辿っていきたい。第2話は1980年代のユーミン作品について。
ユーミンが預言したスキーブームとクリスマスの過ごし方
1980年代のユーミンは、まるで時代の預言者のように語られていた。特に我々の心に残っている預言は、スキーブームとクリスマスについてであろう。
ユーミンがスキーを歌にしたのは、1978年の「ロッジで待つクリスマス」が最初で、その2年後、1980年に発表したアルバム『SURF&SNOW』で決定的になる。収録ナンバーの中でも「サーフ天国、スキー天国」は夏と冬のリゾートスポーツの楽しさを歌った楽曲、サーフィンブームはすでに来ていたものの、スキーブームが訪れるのは1980年代半ばのこと。全国あちこちにスキー場が作られ、ゲレンデに向かう車で週末の関越自動車道が大渋滞になる現象が起きていく。
『SURF&SNOW』に収録された「雪だより」もスキーをテーマにした曲だが、こちらはむしろデートスポット、出会いの場としてのスキーが歌われている。
去年スキーで出会った人から
淋しい部屋に絵葉書届いた
ふいの贈りもの
木枯らしに乗って ポストに舞い降りた
いっしょにすべる約束を忘れずにありがとう
ゲレンデでの出会い。そして年を跨いだ恋。この曲が発表された段階では、一般的でなかったことが、数年後に大人気になるのは、ユーミンの見事な予見ぶりと言っていいだろう。その後、1984年のアルバム『NO SIDE』では決定的なスキーソング「BLIZZARD」が発表され、1987年に大ヒットした映画『私をスキーに連れてって』ではユーミンの楽曲が使われている。
そしてクリスマスといえば、同じく『SURF&SNOW』に収録されている「恋人がサンタクロース」。この歌が発表された頃、クリスマスは家族で楽しむものだったが、その後のクリスマスイブは恋人と過ごす日になってしまった。バブル期には高級レストランやシティホテルを予約して、カップルで濃密なデートをするようになる。人気のホテルは1年前に予約をするなんて時代が訪れた。
世界情勢の大きな変化を示唆する「時のないホテル」
ユーミンは、単に遊びのスタイルや流行を予見しただけではない。世界情勢の大きな変化を示唆するような楽曲もある。その代表的なナンバーが、1980年に発表されたアルバム『時のないホテル』の表題曲だろう。
ゆうべロビーのソファで出会い
愛し合った紳士は
朝焼け前に姿を消した
東側のタバコの吸いがら
電話のわきのメモはイスラエルの文字
彼らの写真は新聞を飾る
蜂の巣になり広場に死す
この曲は、言うなればユーミン版「ホテル・カリフォルニア」である。「ホテル・カリフォルニア」はイーグルスが1976年に発表した世界的ヒットで、アメリカンドリームの裏側を歌った楽曲と日本では紹介された。あちこちに散りばめられた比喩表現から、様々な解釈がなされているが、一度足を踏み入れたら抜け出すことができない、欲望や快楽主義の迷宮が歌われていると言われている。この「時のないホテル」もーー
世界のあちこち目には映らない
激しい河がうず巻いてる
ここは置き去りの時のないホテル
20世紀を楽しむ場所
ひげを抜かれたお客はみんな
けっしてここを出てはいけない
ーー と歌われており、爛熟した西洋文化の “快楽” と “堕落" に一度ハマると容易なことでは抜け出せない、というメッセージが見て取れる。そして、この曲の発表時に予見した未来の世界情勢を、ユーミンは実際にその後のライブで見せてくれた。1990年〜1991年の『THE GATE OF HEAVEN』ツアーでは、ガスマスクをつけた男たちが銃を構えてずらりとステージに並ぶシーンを演出。2007年の『YUMING SPECTACLE SHANGRILA Ⅲ -A DREAM OF A DOLPHIN-』ツアーでは、機関銃の音が鳴り響き、連行される女スパイといった風情のユーミンが左右に揺れるゴンドラの上で歌い、途中でイスラムの白装束・トーブ風の衣装に着替えて歌うシーンまで登場する。
「水の中のASIAへ」の中でユーミンが描くアジアとは
さらに、アジアへの視点も忘れてはならない。ユーミンは1981年に4曲入りのミニアルバム『水の中のASIAへ』を発表しているが、この時点でポップシンガーがアジアへ視点を向けることは稀であった。
1976年に細野晴臣が『泰安洋行』でアジア的エキゾチシズムの世界観を取り入れ、1977年に加藤和彦が「シンガプーラ」で東インド会社時代のリッチな世界観を描き、1978年にはゴダイゴの「ガンダーラ」も大ヒットしたが、これらの曲とユーミンの感性は全く異なっている。ユーミンが描くアジアは、異邦人の視点である。特に「スラバヤ通りの妹へ」は、インドネシアのスラバヤを訪れた際の体験がモチーフになっておりーー
やせた年寄りは責めるように
私と日本に目をそむける
ーー と、過去の日本がアジア諸国に侵攻したことをこの描写でさりげなく訴えかけている。そしてーー
オランダ造りの街もやがて
新しいビルに消されてゆく
ーー と、植民地時代の名残が消えてゆくことを惜しむかのようなこのフレーズは、21世紀に入り大規模な発展を遂げた東南アジア各国のその後を予見しているかのようだ。ほかにも、香港を舞台にした「HONG KONG NIGHT SIGHT」、旧満州を舞台にした「大連慕情」という楽曲が収録されているのだが、実はこの2曲が作られたのは1977年。前者は松任谷正隆のアルバム『夜の旅人』に作詞のみ提供したもので、後者は萩尾みどりへの提供曲である。
タイのプーケットやフィリピンのセブ島などに日本人観光客が訪れ、アジアの文化風習、リゾートとしての魅力に注目が集まるのはもっと後のこと。この『水の中のASIAへ』が発表された1981年、ましてや「HONG KONG NIGHT SIGHT」や「大連慕情」が作られた1977年の段階でアジアをリゾート的、観光者目線で見ることなど、日本のポップスには全く存在していなかった。もちろん観光視点だけではなく、その歴史的背景まで理解した上での、あまりにも早すぎる感覚にはただただ驚かされる。
バブル崩壊を予見している「ダイアモンドダストが消えぬまに」
最後は、ユーミンの預言者的な部分として多く語られる作品を紹介する。それは、1987年にリリースされたアルバム『ダイアモンドダストが消えぬまに』である。1987年といえば日本のバブル経済が本格的に始まった年。表題曲「ダイアモンドダストが消えぬまに」は、シャンパンの泡とスキューバダイビングの泡を掛け合わせたものだが、この曲がその後のバブル崩壊を予見しているのでは、と云われている。
この曲に関しては、この歌詞集でもユーミン本人がコメントを寄せているが、彼女がこの曲で描きたかったことは “もののあはれ” ということについて。好景気がずっと続くとは思っていなかったし、それこそシャンパンの泡のように儚いものだと感じていたそうだ。それが偶然、時代の空気とリンクするようになったのだと語っている。
「私の歌が先の時代を予言しているかのように言われることもありますが、書きたいと思っているテーマに入り込んで書いていると、自然とその先のことが見えてくるんじゃないかと思います」
ユーミンは本書『ハロー、マイ・ユーミン』の中でそう発言している。
Information
ハロー、マイ・ユーミン 荒井由実&松任谷由実&呉田軽穂 歌詞集
本人監修のもと600曲以上収録。提供曲・コラボ曲も初めて網羅した歌詞集。直筆歌詞、コメント、レアな楽曲も掲載!
▶ 発売:2025年11月
▶ 判型:B5変型判 / 659ページ
▶ 定価:4,180円(本体3,800円)