修学旅行を休むのはダメなこと?発達障害娘はクラスで孤立しパニックに…わが家の決断【読者体験談】
監修:井上雅彦
鳥取大学 大学院 医学系研究科 臨床心理学講座 教授/LITALICO研究所 スペシャルアドバイザー
教室でひとりぼっち……修学旅行が引き金になった娘のSOS
大学1年生になった娘は、ADHD(注意欠如多動症)とASD(自閉スペクトラム症)の特性があり、診断がおりたのは小学1年生のときでした。おっとりと穏やかな性格ですが、家ではパニックや自傷行為を起こしてしまうこともあります。
高校2年生の春、娘は新しいクラスに馴染むことができませんでした。始業式初日にクラス内の小さなグループはあっという間に固まってしまい、どこにも入れなかった娘は、この一年間、お弁当を一人で食べることになりました。
娘は、「イジメられているわけではない。体育の授業とかグループ活動には普通に参加できている。ただ、お弁当を一緒に食べたり、放課後にお喋りしたり、移動教室などで一緒に行動する子がいなくてつらい」と、自分の気持ちを打ち明けてくれていました。「クラスで孤立している話」をし始めると泣き出してしまう娘。見守ることしかできず歯がゆい思いでした。
そんな娘にとって最大の壁として立ちはだかったのが、「修学旅行」でした。 行事が近づくにつれて、娘は日に日に追い詰められていきました。
「仲間外れになったらどうしよう……」という不安から、家でパニックを起こし、自分の頭を叩いたり、腕に噛みついたりする自傷行為が明らかに増えていったのです。
「あの子とだけは……」娘を追い詰めた非情なグループ分け
ある日の放課後、ついに修学旅行のグループ分けが行われました。娘は泣きながら帰宅し、私に報告してくれました。
グループやバスのペア、部屋割りも、その日のうちに一気に決められたそうです。友だちの輪に入れずにいた娘は、どの枠にも入れず、最終的にクラスで残っていた別の女の子とペアを組むことになりました。その相手は小中高と同じ学校で、人を悪く言っては人間関係を崩してしまう「あの子とだけは一緒になりたくない」とずっと避けていたクラスメイトでした。しかし、何も言えずに、残ってしまった者同士でくっつけられてしまったとか。
この日から、娘の状態はさらに悪化しました。夜も眠れず、朝には泣き腫らした顔で起きてくる……。憔悴しきったその姿に私は、ある決断をしました。
「一度しかない修学旅行の機会を、お母さまの判断で奪われるのですか?」担任の言葉に揺るがなかった母の決意
私は、娘をこれ以上苦しませることはできないと、修学旅行を欠席することを決意し、担任の先生に電話で申し出ました。しかし、先生から返ってきたのは、予想外の厳しい言葉でした。
「一度しかない修学旅行の機会を、お母さまの判断で奪われるのですか?」
先生には私の発言が娘の思い出を奪ってしまうように見えたのかもしれません。しかし、私の決意は揺らぎませんでした。 「先生には見えないかもしれませんが、娘は自宅でパニックを繰り返し、心身ともに限界です。このまま無理に行かせれば、娘の心は壊れてしまいます。ですから私の判断で欠席させてもらいます」 そう強く伝えました。
実はこのとき、娘自身はまだ「休みたい」とは言えていませんでした。学校行事は絶対に参加しなくてはならないという使命感と、参加への恐怖心との間で、身動きが取れなくなっていたのだと思います。私が娘を守らなくてどうするんだ!その一心でした。
みんなが修学旅行へ行っている間、娘は毎日高校へ通いました。いつもは遅刻ギリギリなのに、その期間はむしろ少し早めに家を出て、教室で静かに自習をしていたそうです。
「ありがとう」娘の言葉がくれた確信。そして今、友だちとの旅行へ
修学旅行が終わって1か月ほど経ったある日。二人きりでいるときに、娘がぽつりと言いました。
「お母さんが『修学旅行に行かなくていいよ』と言ってくれて、本当に良かった。ありがとう」
その言葉を聞いた瞬間、私の選択は間違いではなかったのだと、心から安堵しました。母親がちゃんと自分のことを見て、守ってくれていると感じ取ってくれていることが、何より嬉しく思いました。卒業アルバムの修学旅行のページに、娘の姿はありません。それを見たときは、少しだけ寂しい気持ちにもなりました。しかし、大学生になった娘は、今とても前向きです。
「私は高校の修学旅行に行かなかったことを後悔していないよ。今は、心から一緒に行きたいと思える友だちとの旅行や、大学の留学が楽しみで仕方ない!」
そう言って笑う娘は、友だちと自分たちで予算を考え、旅行の計画を立てています。その姿は、高校生の時とは比べ物にならないほど、たくましく輝いて見えます。
行かない選択肢が心を守ることも
学校生活における団体行動は、社会性を学ぶ上で大切なのかもしれません。しかし、発達に特性のある子にとって、返ってストレスになることもあります。
娘との経験を通して、「みんなと一緒」でなくても、その子なりのペースや参加の形があることを学びました。そして、子どもが「つらい」と心の悲鳴をあげているときは、無理をさせるのではなく「行かない」という選択肢で心を守ることも必要だと感じています。
願わくは、行事への参加が難しい子どもたちのために、静かに学習できる時間が選択肢として用意されるような、柔軟で優しい教育環境が整うことです。すべての子どもが「ここにいても大丈夫」と感じられる、そんな学校が当たり前になる未来を、心から願っています。
イラスト/マミー・マウス子ビッツ
※エピソード参考者のお名前はご希望により非公開とさせていただきます。
(監修:井上先生より)
娘さんの苦しむ姿を毎日お家で見るのは親としてとてもつらかったと思います。先生の立場での修学旅行は、全員参加で楽しみな活動という先入観があったのだと思いますが、親として自分の意思をなかなか表に出せない娘さんのことをその限界点も含めて理解しておられたことが適切な判断に繋がったのだと思います。また「自分を守るために休む」という選択肢を経験できたことは娘さんにとっても修学旅行の参加以上の貴重な体験になったのではないでしょうか。「みんなと同じでないと」という思いは少なからず親にも子どもにもあると思いますが、それにとらわれず、クラスの状態や子どもの体調にあわせてその時々で判断することが大切だと思います。
(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
ADHD(注意欠如多動症)
注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。
ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。