『新聞記者』のシム・ウンギョン、河合優実、堤真一らが〈つげ義春の世界〉を演じて、ロカルノ国際映画祭グランプリを受賞した『旅と日々』と三宅唱監督
原作・つげ義春、「海辺の叙景」と「ほんやら洞のべんさん」の2つの漫画作品を合体させて、韓国人の女性脚本家の「旅と日々」を描いた。
主人公の李(シム・ウンギョン)が手がけた脚本の物語を大学の講義で上映している。強い日差しの夏の浜辺で、幼さを残した大人になりかけたような少年、夏男(髙田万作)と憂いのある女、渚(河合優実)が出会う。何を語るでもなく、ただ時を過ごす。二人は台風が近づく荒波の海で泳ぎはじめる…。
「海辺の叙景」を観終わって、学生から感想を問われると、李は、「私には才能がないな、と思いました」と答える。自らの作品に納得できていないことは浮かない表情が語っている。死期が迫っていた魚沼教授(佐野史郎=双子)から、「気晴らしに旅行にでも…」と声をかけられる。時を経ず弔問に出かけると、瓜二つの双子の弟から半ば押し付けられるように兄の形見のカメラを託される。李は、そのカメラを携えて旅に。
思い立って無計画で出掛けた先は、雪深い北国。宿泊先の当てもなく、訪ねるホテルや旅館は満室で断られる。辿り着いたのは、雪の重さで傾いているような古びた一軒家の宿だった。そこには客を迎える風もない、横着な主人・べん造(堤真一)がいた。
原作「ほんやら洞のべんさん」には、「越後魚沼一帯の部落には〝鳥追い〟という豊作を祈る行事がある 小正月に行われるもので この日子どもたちはホンヤラ洞という雪のカマクラを作り楽しい一夜を過ごす」と記された吹き出しがある。ものぐさなべんさんは雪下ろしもせず、雪に埋まった宿はまさにホンヤラ洞のような格好になっている。暖房もなくまともな食事の用意もなく、布団は自分で敷けという宿に、初めのうちは面食らう李は、二泊目の際、「錦鯉のいる池に行こう」というべん造の誘いに乗る…。
『ガロ』の時代、リアルタイムでつげ義春と触れていた者にとって、「海辺の叙景」(67)と「ほんやら洞のべんさん」(68年)が一つの旅の物語になることに脱帽した。いずれのつげ作品にも共通する、何事も起こりそうにない静けさへの興味と不気味なリアリズムに惹かれながら、虚無感を味わった覚えがある。あの時代、団塊の世代は、つげ義春に何を求めていたのか。サクセス・ストーリーで惹きつける、あり得ないヒーローが多かった劇画作品に、つげ作品は飄々として近寄ることがなかった。全共闘時代、学園紛争が起ころうがどこ吹く風の、そんなつげ義春の作風と世界観にのめり込んでいた。右往左往しながらつげ義春に人生の方途を見つけ出そうともがいていたのだ。
『旅と日々』はCGやAIを駆使してヒーローを作り上げる現代にこそ、一矢報いる作品ではないだろうか。
『無能の人』(竹中直人)、『ゲンセンカン主人』(石井輝男)、『雨の中の慾情』(片山慎三)などに続いてつげ義春の世界を映画化したのは、監督・脚本 三宅唱1984年生まれの41歳である。新進気鋭の映画監督として『Playback』(12)で第22回日本映画プロフェッショナル大賞新人監督賞を受賞。『ケイコ目を澄ませて』(22)、『夜明けのすべて』(24)など、発表する作品のことごとくが国内の映画賞を受賞。本作で、第78回ロカルノ国際映画祭 インターナショナル・コンペティション部門〈金豹賞〉というグランプリを射止めた。三宅監督は、特に本作の二つのつげ作品が好きだった、という。50年以上の時間差を感じさせず映像作品として〈つげ義春の世界〉を現代によみがえらせた意義は大きい。
『旅と日々』
11月7日(金)TOHOシネマズ シャンテ、テアトル新宿ほか全国ロードショー
出演:シム・ウンギョン 堤真一 河合優実 髙田万作 佐野史郎 斉藤陽一郎 松浦慎一郎 足立智充 梅舟惟永
監督・脚本:三宅唱
原作:つげ義春「海辺の叙景」「ほんやら洞のべんさん」
配給・宣伝:ビターズ・エンド
© 2025『旅と日々』製作委員会