第7回【東宝映画スタア☆パレード】黒沢年男 三船敏郎以来の野獣的演技。今こそ見るべき『パンチ野郎』と『死ぬにはまだ早い』
今でもスタジオ入口に『七人の侍』と『ゴジラ』の壁画を掲げる東宝。〝明るく楽しいみんなの東宝〟を標榜し、都会的で洗練されたカラーを持つこの映画会社は、プロデューサー・システムによる映画作りを行っていた。スター・システムを採る他社は多くの人気俳優を抱えていたが、東宝にもそれに劣らぬ、個性豊かな役者たちが揃っていた。これにより東宝は、サラリーマン喜劇、文芸作品から時代劇、アクション、戦争もの、怪獣・特撮もの、青春映画に至る様々なジャンルに対応できたのだ。本連載では新たな視点から、東宝のスクリーンを彩ったスタアたちの魅力に迫る。
黒澤明監督と三船敏郎の名前を合体したような名を持つ俳優・黒沢年男(現:年雄)。その存在を東宝のスクリーンで強く意識したのは、どの作品だったろうか。デビュー作だという『女体』(64)や三船主演作『侍』(65)で黒沢に着目した記憶はなく、もしかするとそれは、特撮テレビドラマ「ウルトラQ」(66)の一話「海底原人ラゴン」だったかもしれない。
三船のイメージを引き継いだような粗暴さは、新聞や雑誌の取材で黒沢自ら「目標は三船敏郎さん」と再三語っていることからも明らかだが、どこか東宝のお偉方からの指示も感じられる。
「八方一郎」などというあまり嬉しくない芸名を提示され、これを拒否して本名で通したところなどは、大先輩ミフネの反骨精神を引き継いでいるかのよう。事実、東宝という会社であれほどまでの野性味を漂わせる男優は三船以来だった。
東宝に入る前の黒沢が歌手を目指し、ジャズ喫茶などに出入りしていたことはあまり知られていない。その職歴について自ら明かしたところでは、ダンプカーの運転手、キャバレー・バンドのドラマー、ボーイ、バーテン、土工、セールスマンなど、十七の職に及ぶ。
「今となっては、いろんな職業を転々としたことがかえってプラスになりました」
これは、成瀬巳喜男監督『女の中にいる他人』(66)でバーテン役をやった時に発したコメントだが、『エレキの若大将』(65)のベーシスト役(バンド名はヤングビーツ!)もなかなか様になっていた(※1)。
デビュー後すぐに、成瀬や稲垣浩など巨匠の作品や、『若大将』、『社長』といった人気シリーズに連続出演できたのは、会社の期待の表れに他ならない(※2)。硬軟取り混ぜた役柄を、まずはそつなく演じきったという印象だが、黒沢がその真価を発揮したのは『歌う若大将』(66)の添え物で、『パンチ野郎』と題された青春コメディだった。
若大将ネタがふんだんにちりばめられた本作で黒沢は、嬉々として歌唱場面に挑戦。本当は歌手になりたかったという本音が透けて見えるかのようだ。カメラ、IVYファッション、学生運動など、当時の若者文化も巧く取り入れられていて、地方住まいの若者は黒沢を通じて東京への憧れを募らせたに違いない。
脚本は田波靖男、監督が岩内克己と、もしかするともうひとつの〝若大将シリーズ〟になったかもしれない作品だが、媒体も観客もこれを徹底的に無視。〈不遇な作品〉となったことから、以降、こうした軽い役や企画は黒沢にはほとんど回ってこなくなる。
▲『パンチ野郎』レコード・ジャケット。黒沢の歌唱シーンは『燃えろ!太陽』(67)や『燃えろ!青春』(68)でも見られるが、レコード化はされず。(鈴木啓之氏提供)
黒沢年男の魅力が、あの狂おしいばかりのパッションの発露であったことは言うまでもない。そのワイルドな演技は、三船敏郎を除く東宝俳優(池部良~宝田明~久保明~夏木陽介~加山雄三)の系譜には全く属していない。
目をむき甲高い声で叫ぶ姿は、まさに彼の真骨頂。その代表的作品が、決起ならずに自害する青年将校に扮した『日本のいちばん長い日』(67)であり、川崎の自動車工場で汗まみれで働く若者を演じた『めぐりあい』(68)であることは、どなたも否定されないはず。どちらも若者の鬱屈(現代であれ、戦時であれ)をストレートに爆発させた野獣的演技で、黒沢の代表作に挙げられよう。
しかし、黒沢自身が傾倒していたのは岡本喜八や恩地日出夫ではなく、実は西村潔と出目昌伸という若手監督であった。
西村潔のデビュー作『死ぬにはまだ早い』(69)を見た時の激しくも静かな衝撃は、今でもはっきり記憶している。低予算を逆手に取ったワン・シチェーション劇にして、現実時間とほぼ同時に進行するサスペンス映画は、もうひとつの『恐怖の時間』(64:岩内克己監督・山崎努出演)と言えるもの。本作では、深夜のドライブインに拳銃を持った殺人犯=黒沢が闖入したことで生じる「恐怖の時間」が描かれ、黒沢の破滅的な演技には、観客を圧倒するインパクトが確かにあった。
▲緊迫という言葉しか浮かばない『死ぬにはまだ早い』。緑魔子、高橋幸治、草野大悟、中山仁など、東宝俳優ではない面々の出演も新鮮だった イラスト:Produce any Colour TaIZ/岡本和泉
偶然拳銃を手にした若者の悲劇を描く西村の次作『白昼の襲撃』(70)では、さらに才気走った演出スタイルが見られる。日野皓正のトランペットが炸裂する音楽の使い方も実に巧み(西村のジャズ好き・音楽好きは、ジュークボックスの使い方からもよく分かる)だが、筆者は閉塞感や緊張感の高まりが尋常でない前作のほうに軍配を上げる。ちなみに西村は、『パンチ野郎』のチーフ助監督でもあった。
虚無的な空気が作品全体を覆う出目昌伸監督作『俺たちの荒野』(69)は、その映像表現やカメラワーク(撮影は黒澤映画の中井朝一)から、出目がアメリカン・ニューシネマや『突然炎のごとく』、『冒険者たち』といった外国映画を意識したことは明らか。女性脚本家・重森孝子の起用も奏功した東宝青春映画異色の作品だ。
ただ、ここでの黒沢は〈いつもどおり〉の黒沢であり、むしろ(逆立ちや強姦未遂シーンで)挑発的な演技を披露した酒井和歌子の方が目立つ結果となった。「それまでの受け身の姿勢」とはがらりと変わったワコちゃんに、大きな衝撃を受けた方も多いのではないか。
本作で黒沢&酒井と三角関係になる青年・純に扮したのは東山敬司。『兄貴の恋人』(68)の一般公募で内藤洋子の恋人役に採用され、以来、東宝青春映画に出演してきた二枚目俳優だ。
共演者の赤座美代子さんに聞けば、このとき黒沢は東山を「素うどんみたいな俳優」と称したという。そのココロは「見た目は良いけど味がない」。確かに映画俳優としては長続きしなかったが、東山は本作で複雑な心の内を全身で表現、実に「良い味」を出していた。彼抜きでは、黒沢もあれほどまでに引き立つことはなかったろう(※3)。
「目一杯好き勝手に演じさせて貰った両監督には、感謝の気持ちでいっぱいです」
後年、黒沢はこう西村と出目に謝意を述べるとともに、松田優作から「その両作品に憧れ、俳優になろうと決心した」と告げられ、「くすぐったい気持ちになった」ことを明かしている。実際、優作の‶遊戯シリーズ〟(村川透監督)には、『白昼の襲撃』の影響が色濃く感じられる。
東宝時代の代表作には〝東宝ニューアクション〟の一作、『野獣都市』(70)も挙げねばならない。監督は傑作犯罪映画『血とダイヤモンド』(64)の福田純。どちらもハードボイルド映画が嘘臭くなく、日本でも通用することを証明した極めて稀な作品で、本作では黒沢のクールな持ち味が十二分に堪能できる。
この映画で、憧れの俳優、スティーブ・マックイーンに少しは近づいたようにも感じるが、あなたのお気に入りの黒沢年男はいったいどの役だろうか。よもや『伊豆の踊子』(67)の一高生ではないと思うが……。
※1 実弟の黒沢博は寺内タケシのバンド「バニーズ」で活躍、その後、ヒロシ&キーボーとして人気を博した歌手。これも黒沢年男と寺内が『エレキの若大将』で共演した縁による。
※2 黒沢を売り出したい藤本眞澄(製作者)が黒澤明に『赤ひげ』への起用を要請したものの、ある理不尽な理由で断られたという話も聞くが、これはまたの機会に。
※3東山は結局、俳優として大成せず、『社長学ABC』正続篇(70)を最後に東宝のスクリーンから姿を消す。
高田 雅彦(たかだ まさひこ)
1955年1月、山形市生まれ。生家が東宝映画封切館の株主だったことから、幼少時より東宝作品に親しむ。黒澤映画、クレージー映画、特撮作品には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。東宝撮影所が近いという理由で選んだ成城大卒業後は、成城学園に勤務。ライフワークとして、東宝を中心とした日本映画研究を続ける。現在は、成城近辺の「ロケ地巡りツアー」講師や映画講座、映画文筆を中心に活動、クレージー・ソングの再現に注力するバンドマンでもある。著書に『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)、近著として『今だから! 植木等』(同2022年1月刊)がある。