産後2カ月から働くことを選んだ、私の保育園探し&復職記
長年、勤務した会社を熟慮の末に退職し、現在は在宅ワークに奮闘中のママライター、【夏野向日葵】です。26歳で妊娠出産しました。結婚や妊娠と同時に専業主婦になる方も多いですが、私は働くことを選びました。そんな私の保育園さがしの経験をお話します。
妊娠して初めて知った保育園さがしの厳しさ
出産前は働く人の子どもなら、だれでも、いつでも保育園に入れるものだと思っていました。しかし、実際にはそう簡単に入れるものではないのだと、後に身をもって知りました。
正社員で働いていたため、なかなか仕事を休むことができません。市役所へ相談に行くことができたのは、産休に入ってからのことでした。
窓口で、「9月末が出産予定で、産休明けの2カ月から子どもを預けたい」と相談すると、「4月で保育士の人員配置がされるので、欠員が出ない限り、この時期に入園できるかどうかはわからない」とのこと。
「生後2ヶ月から預けることができる保育園は限られる」、「実際にうまれてからでないと、動けません」など、市役所の職員の対応は、実にあっさりとしたものでした。
こうなったら、片っぱしから電話攻撃しかない!
産後8週で復職が前提なのに、入れる保育園が決まらず、うまれるまで決められないなんて。このとき初めて、産休や育休から復帰を果たしたくても、保育園が決まらない待機児童が多い世の中の仕組みというものを、思い知った気がしました。
「それならば自分で探すしかない」と思い、タウンページに載った市内の保育園に、上から順に電話をかけて、受け入れてくれるところを探すことにしました。1件1件問い合わせましたが、答えは市役所と同じで、心が折れそうでした。
すがる思いで最後の1件に電話をすると、「あら、2ヶ月から?久々です。うれしいわ」、「うまれたら、赤ちゃんと面接にいらして下さい」と、快く受けていただきました。
無事出産!たった2ヶ月で保育園に預けて母は復職
初めての赤ちゃんのいる生活にあたふたしていると、あっという間に復職の日がやってきました。会社には、子どもが1歳になるまで、1日のうち、30分ずつ2回、授乳時間が取得できるという制度がありました。会社と相談したうえで、これを時短に利用し、業務終了を早めるのではなく、始業時間を1時間遅らせることにしました。
しかし、復職したのは、年末の超繁忙期。しかも、年度途中の半端な時期で、どこの部署も私を在籍させることができません。次の異動タイミングの4月までの間は、管理部門の「電算室預かり」所属となりました。
それまでは、「商品管理」部門に所属し、日々あわただしく伝票処理やデータ入力をしていたので、1日ファイリングをして過ごす「電算室預かり」は、以前の仕事と比べると忙しさがあまりにも違い、戸惑いを覚えたことを覚えています。
「元の職場に戻る気はあるか?」元の上司からのひとこと
「電算室預かり」は、となりの経理や総務にたまった伝票や書類のファイリングなどが主な仕事でした。私はその会社の産後復職者の第1号だったので、会社側も続けられるのかを見極めたかったのだと思います。
あるとき、元上司に「元の職場に戻る気はあるか?戻る気がなければ、人員を増員させることを考えている」と、声をかけられたのです。休職前の自分の働きを認めていてくださったのだと感じ、とても嬉しかったのを覚えています。
そして4月、念願の元の職場へ異動。それから20年以上、その期待に応えるべく頑張りました。
勤めていた会社で、産後復職者の第1号だった私。職場には、相談できる同じ境遇の仲間はいませんでした。何とか入園できた保育園の同じクラスのママ友が唯一の同士。子育てと仕事の両立に悩み、母として妻として、何度も心が折れそうになりました。
子育てでは、常に愛情をもって子どもに向き合うこと、仕事に対しては、権利を主張するよりも義務を果たすことを優先しながら、どちらも真剣に取り組みました。母であり、妻でありながらも、社会人として頑張ってきたことに誇りを持っています。
[夏野 向日葵*プロフィール]
働きながら2人の子どもを育てて20数年。やっと社会に子どもを送り出すことができました。気がつけば、老後を心配しなくてはならない年代に入っている、自称イケイケ主婦です。定年まで頑張れるかと思いましたが、無理しすぎたので、仕事は辞めてしまいました。今、自然なときの流れにのって余暇を楽しんでいます。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。