国指定の史跡『和田岬砲台』の内部を見学してきました 神戸市
その昔、海外からの襲撃に備えて作られた砲台が和田岬にあることをご存じでしょうか?今回はその歴史を学ぶため、『和田岬砲台』の内部見学に行ってきました!
『和田岬砲台』は「三菱重工 神戸造船所」の敷地内にあり、場所は神戸市営地下鉄海岸線「和田岬」駅から歩いてすぐ。毎月第2木曜日に一般見学を受け付けています。
「三菱重工 神戸造船所」では潜水艦などを製造しており、6,000人ものの従業員が業務を行っているのだとか。敷地はかなり広く、受付を行った正門から砲台までは距離があるため、車で連れて行ってもらいました(20人以上の団体見学の場合は、歩いて20分ほどかけ砲台まで向かいます)。
【和田岬砲台の歴史をさらっとご紹介】
江戸時代末期、幕府から「外国からの襲撃に備えよ!」との指示を受けた勝海舟。和田岬・湊川・西宮・今津の4カ所に砲台を作ることを決め、和田岬砲台は1864年に完成しました。
1868年に「明治維新」が起き、新幕府は開国宣言をしたため、この砲台が実戦に使用されることはありませんでした。その後1921年には初めて国の史跡に指定。2009年から2014年にかけて大規模補修工事が行われ、今に至ります。
さっそく見学させていただくことに。砲台の大きさは直径約15m・高さ約11mで、イギリスにある「マルテロタワー」に模して製造されたそう。なんだか不思議な形をしています。
砲台は2階建てで広々としています。入ってすぐの場所には井戸があります。井戸は発射した後に高温になった砲身を冷やすためのもので、海水がひかれているのだとか。
井戸の上には内務省が設置した板が掲げられており、見えにくいのですが「周壁を傷つけ、又は汚さぬこと みだりに火気を用いぬこと」と書かれています。こちらは1922年10月に書かれたものだそうで、史跡を大切に思う当時の状況が伺えます。
砲台を支える天柱は4つ。2階を支えるためにもかなり頑丈に作られています。
奥には火薬や砲弾を置く棚が設けられています。
各棚に貼られている「いろはにほへと」のシールはいつ貼られたものか不明ですが、戦時中には備蓄庫として使用されていたそうなので、その頃のものではないか?とのことです。
2階には砲台や銃の設置場がありますが、安全面から見学できるのは1階のみ。見学では写真を用いて、2階の様子を学ぶことができます。
幕府からの指示により県内4カ所に建設された砲台ですが、取り壊しや火事による焼失などから内部を見られるのは『和田岬砲台』だけなのだとか。貴重な施設の内部見学を通じて、その歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?
場所
和田岬砲台
(神戸市兵庫区和田崎町1-1)