マイケル・ジャクソン「スリラー」スーパースターはアイドルでありアーティストでもある!
ジャクソン5としてデビューしたマイケル・ジャクソン
今から43年前の1982年11月30日、マイケル・ジャクソンのアルバム『スリラー』がリリースされている。
マイケル・ジャクソンを知ったのは、ジャクソン5からだった。ジャクソン5は1969年に「帰ってほしいの」(I Want You Back)でモータウンからレコードデビューし、「ABC」「アイル・ビー・ゼア」などをヒットさせていった。当時12歳だったリードボーカルのマイケル・ジャクソンは凄い才能だと思ったが、ジャクソン5に対しては子供のアイドルグループというイメージが拭えなかった。それは、ジャクソン5をモデルに登場した日本のアイドルグループ、フィンガー5の印象と重なっていたのかもしれない。
1960年代に、白人をもターゲットにしたポップなソウルミュージックという前代未聞のコンセプトを打ち出し、ヒット曲を次々に世に送り出していったモータウンは、1970年代に入るとマーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダーといったアーティストたちが、よりクリエイティブな作品を輩出するようになっていった。ただ、その中において、ジャクソン5は1960年代のポップ路線を引きずっている印象があったのだ。
実際、彼らのヒット曲は、モータウン創始者のベリー・ゴーディ Jr. たちによるプロデュースチーム、ザ・コーポレーションによって作られていて、彼ら自身がアーティスティックな才能を発揮する余地はあまりなかったとも聞く。だから正直な話、1970年代のマイケル・ジャクソン(ジャクソン5)に対して、僕はやや偏見を持っていたという気もする。しかし、そんなマイケルに対する認識を変えたのが、この『スリラー』というアルバムだった。
「オフ・ザ・ウォール」に続くクインシー・ジョーンズのプロデュース
ジャクソン5のメンバーも、自分たちが置かれていた状況に不満を持っていたようで、1975年にモータウンからEPICレコードに移籍し、ジャクソンズとして再出発する。その後、マイケル・ジャクソンは、1979年にクインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎えたソロアルバム『オフ・ザ・ウォール』を発表。音楽作品としての完成度の高さを評価されると共に、アメリカだけで300万枚以上を売り上げる大ヒットアルバムとなった。
この『オフ・ザ・ウォール』はコンテンポラリー・ソウル色の強いアルバムで、ジャクソンズの作品よりも幅広い層にアピールするものになっていたが、この時期のマイケル・ジャクソンの動きに対して、僕はリアルタイムで反応できていなかった。マイケル・ジャクソンが “来ている” 気配は感じていたけれど、積極的には食指が伸びなかったのだ。
当時僕は、日本でも放映されていたアメリカの音楽番組『ソウル・トレイン』を欠かさず見ていたり、アース・ウインド&ファイアーやグラハム・セントラル・ステーションなどのファンクムーブメントに興味を持つなど、ソウルシーンに関心が無かったわけではない。しかし、1970年代の後半におけるマイケル・ジャクソンには、どうしても過去の人という印象が残ってしまっていた。
初めてのムーンウォーク。モータウン25周年ライブでの「ビリー・ジーン」
そんな偏見をちょっと変えさせたのがマイケル・ジャクソンがポール・マッカートニーと共演したシングル「ガール・イズ・マイン」(1982年)だった。けれど正直に言えば、ポールとの共演には話題性を感じたが、この曲を書いたのがマイケル・ジャクソン自身だということも、この曲が『スリラー』の先行シングルだということの意味もピンとはきていなかった。
しかし、そんなマイケル・ジャクソンに対する見方が、アルバム『スリラー』から2曲目のシングルカットとなった「ビリー・ジーン」で一気に覆った。切迫感と緊張感のあるビートとボーカルのマッチングがなんともカッコ良かった。そしてどこか謎めいたプロモーションビデオ(PV)のダンスパフォーマンスも鮮やかだった。
そして、決定的となる出来事は『モータウン25周年記念コンサート』での「ビリー・ジーン」のパフォーマンスだった。このライブは1983年3月25日に行われており、アメリカでは5月にテレビ放映されているが、その直後にこの曲とアルバム『スリラー』の売上がグンと伸びたという。当時どうして手に入れたのか思い出せないのだけれど、僕はそのライブ映像をかなり早い時期にビデオで観ている。そして、初めてムーンウォークを披露したといわれるそのパフォーマンスの美しさにノックアウトされた。あのライブを観た人全員がそう感じたはずだ。
映像の重要さを決定づけた「今夜はビート・イット」
このライブと前後して観た「今夜はビート・イット」(Beat It)のPVも圧倒的だった。この頃になると、新曲やアルバムのリリース時にPVを制作するケースが増え、アメリカでは1981年に音楽専門チャンネルのMTVが開局するなど、映像を使ったレコードプロモーションが当たり前になっていた。マイケル・ジャクソンは『オフ・ザ・ウォール』の時もシングルカットした楽曲のPVを作っているが、それは単に歌っていたりパフォーマンスを映像化しただけのシンプルなものだった。
しかし、「今夜はビート・イット」のPVは、不良同士の決闘をテーマに丁寧に作り込まれ、ストーリーと曲を融合させた印象的な映像が、エディ・ヴァン・ヘイレンのギターをフィーチャーしたロックサウンドと見事にマッチして、観る人に強烈な印象を残した。
ダンスと決闘の融合というシチュエーションは、少し上の世代には映画『ウエスト・サイド物語』(1961年)へのオマージュを感じさせるものだった。その意味で、このPVは “音楽とダンスの融合” といったテーマの継承でもあった。しかし若い世代にとっては理屈抜きに新しくカッコ良いパフォーマンスとして映ったのだろう。その結果として「今夜はビート・イット」は、新曲プロモーションにおけるPVの重要さを決定づけるとともに、その後の映像制作に大きな影響を与えている。
そしてもうひとつ、音楽表現におけるダンスパフォーマンスの重要性にも決定的な影響を与えたことは忘れてはならない。1980年代以降のヴォーカルダンスグループの原点は、この「今夜はビート・イット」にあると言っていいんじゃないだろうか。
アーティストとしてのステイタスを確立させた「スリラー」
マイケル・ジャクソンはアルバムのタイトルソングでもある「スリラー」のPVでさらに大胆なチャレンジをおこなった。5分57秒の曲に対して、なんと13分42秒という映像作品を作ったのだ。監督は映画『ブルース・ブラザーズ』(1980年)でも知られるジョン・ランディス。彼のヒット作『狼男アメリカン』(1981年)をヒントに、マイケル・ジャクソンと脚本をつくった本格的ショートムービーで、1億円以上の制作費がかけられたという。
“PVにこれほど贅沢をするのは本末転倒ではないか” という声もあったが、これによってアルバム『スリラー』は圧倒的にセールスを伸ばし、結果として1億枚とも推定される、史上もっとも売れたアルバムとなり、マイケル・ジャクソンのアーティストとしての絶大なるステイタスを確立させる作品となったわけだ。
マイケル・ジャクソンのアイドル性とアーティスト性の結晶
もうひとつ、『スリラー』で感じたことが、アイドルとアーティストとの関係だ。よく日本でも、“〇〇はアイドルではなくアーティストだ” という評価を耳にする。そのまた逆も然り。けれど、アイドルとアーティストという概念は対立するものなのだろうか? そんなことを考えるきっかけになったアルバムでもあった。
本文中、僕はジャクソン5のことを “子供のアイドルグループ” と書いたけれど、それはあくまで売り出し方や人気の出方の話で、マイケル・ジャクソンはアイドルからアーティストになったわけではなく、その両方を持ち続けていたに過ぎないのだ。アイドルとは “華がある” こと。そしてアーティストとは “腕がある” こと。マイケル・ジャクソンは “華があって腕がある” からこそ、スーパースターとして時代に迎えられたのだ。
彼は世界中のリスナーや後継者に夢を与えたアイドルであると同時に、自分の想いを作品やパフォーマンスで表現し続けたアーティストだった。大ヒット曲の「ビリー・ジーン」や「今夜はビート・イット」のソングライターがマイケル・ジャクソン自身だということを知らない人も多いだろう。そう、この『スリラー』は、まさにマイケル・ジャクソンのアイドル性とアーティスト性の結晶と言うべきアルバムなのだ。
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