東長崎『やもり昆虫館』潜入記。扉の向こうに広がる世界とは?
東長崎にひっそりと立つ昆虫館をご存じか?一見謎すぎるその扉の向こうは、センス・オブ・ワンダーにあふれていた。
東長崎のコンコン通りを歩いていると……
あまりの暑さで、公園からも子供たちの姿が消える昨今の夏。山形で生まれ育った私の小学生時代の夏といえば、トンボ採集だった。
夏休みの自由研究として提出したトンボの標本は、市の奨励賞を取ったこともある(標本部分はほぼ父が作ったのだが)。また、叔父がカブトムシやクワガタを養殖するほどの愛好家だったので、ヘラクレスオオカブトやパラワンオオヒラタクワガタなどの外国産の個体をもらって飼育していた。特にヘラクレスにはハイグレードの虫ゼリーを与え、ランチュウ用の水槽に小型のヒーターを取り付けて温度管理するなど、それはそれは大切に世話をしたものだった。
あの頃からはや20年。現在は上野で大きな昆虫展があれば一応行ってはみるものの、習慣的な昆虫趣味はない。散歩中に水辺でトンボを見られれば、満足である。
8月某日。東長崎のコンコン通りを歩いていると、一見街の整骨院のような建物の前で足が止まった。緑色の入り口は、テントウムシの写真や標本づくりの手順を説明した貼り紙で埋め尽くされている。その名も『やもり昆虫館』。昆虫館なのに捕食者側の名前を冠しているのは一体……? ただならぬ気配を感じ、吸い込まれるように中に入った。
ずらりと並ぶ美しき標本。アナログにこそ意味がある
「入館料がかかりますけど、いいですか?」と、迎えてくれたのは標(ひょう)先生。この昆虫館にある標本の提供者だ。壁の両側に美しい標本が並び、いきなりときめいてしまったが、さらに2階と3階の和室にもたくさんの標本があって驚いた。この不思議すぎる空間は何なのか。成り立ちをうかがってみた。
標先生は、以前は小学校の校長も務めていた、まさに先生の中の先生。子供の頃から根っからの昆虫好きで、教員時代も採集や収集を続け、自宅の一室は標本のコレクションで埋め尽くされていたそうだ。
一方、創設者であるやもり館長は、その名の通りヤモリ好き。特段昆虫マニアではなかったが、あるとき、標先生が北池袋にあった私設の「アマゾン昆虫館」(閉館)へ案内したところ、感銘を受けてしまった。「私も昆虫館をつくりたい」と、思い立ったら即行動派のやもり館長は標先生に標本の提供を依頼。周りの人々は「冗談だろう」と思っていたそうだが、ついに物件も見つけてしまった。標先生もコレクションの整理を考え始めていたタイミングだったこともあり、大部分を提供することに。
こうして、2021年に『やもり昆虫館』は誕生したのだ(ヤモリは居ないが)。ところが、やもり館長は数年後に病のため亡くなってしまう。現在は、意志を継いだ片山信(まこと)さんが2代目館長として、標先生と共に昆虫館を守っている。
予約制の標本教室には、隣県から来る人もいるという。「親の方に興味があって、連れてこられただけって子供もいますね」と笑うが、通年かつマンツーマンで標本作りを体験できる場は貴重だ。在庫の昆虫(標本作成用)でも標本作りができるとのこと。
現代の子供たちは、検索一つで昆虫の解説にでも動画にでも、すぐにアクセスできてしまう。そんな時代において標本作りは採集から始まり、体の構造を肌で感じ、固定や乾燥にも1カ月はかかる実にアナログな趣味だ。「子供たちには、作業することの面白さを感じ取ってほしいですね」と、標先生。昆虫は、半ばバーチャルの世界で生きている現代っ子たちの感受性を高めてくれるはずだ。
やもり昆虫館
住所:東京都豊島区南長崎5-29-15/営業時間:13:00~17:00(入館は~16:30)/定休日:火・水・金(不定あり、来館前に問い合わせ推奨)/アクセス:西武鉄道池袋線東長崎駅から徒歩3分
取材・文=高橋 輝(『散歩の達人』編集部) 撮影=逢坂 聡
『散歩の達人』2025年11月号より
散歩の達人/さんたつ編集部
編集部
大人のための首都圏散策マガジン『散歩の達人』とWeb『さんたつ』の編集部。雑誌は1996年大塚生まれ。Webは2019年駿河台生まれ。年齢分布は20代~50代と幅広い。