初めての出産は激動のテニスボールマッチ!立ち会った夫も汗ダクに
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男の子と女の子を育てるライターの“ももんがまま”です。独身時代はアメリカや京都に住むなど、引っ越しばかりしていた私。そんな私が結婚して、初めて妊娠し、出産を迎えたときの出来事です。
不安×不安のウォーキング
予定日を過ぎても、おなかの子はなかなか出てくる気配がありませんでした。「あと1週間待って、出てこなければ促進剤を使いましょうか」という医師の言葉に、「なるべく促進剤を使いたくない」と思っていた私は不安になっていました。
一方、周囲からは、「歩け」、「スクワットだ」、「階段の上り降りをした方がいい」などといろいろ言われ、応援してくれているのだとは分かりつつも、イライラが募っていました。
まだ残暑が厳しかったある日、「破水したらどうしよう…」という不安がありつつ、「でも、歩かなきゃ!」といつもよりも遠くまでウォーキング。帰宅した父からの「まだなの?じゃあ、階段の上り降りだ」という何気ない一言に私のイライラがピークに。「もう寝る」と、険悪なムードのまま横になりました。
ついにその時が!真夜中の緊急発進
ところがその晩、深夜にトイレに行くと「おしるし」が。そして、今までに経験したことのない鈍痛が下腹部に走り始めました。「これがいわゆる陣痛かしら?」と自問自答。初体験のことなので「陣痛」という言葉は知っていても、それがどんな痛みなのかは分からなかったのです。
「いよいよかも」と、焦りながら産院へ電話をかけると、「痛みの間隔は?」、「始まってどれくらいですか?」と質問攻めに。冷静に答えられる心境でもなく、「とにかくもう産まれるかもしれません!」と必死に訴えました。
私のせっぱつまった声に看護師さんも圧倒されたのか、「それならば、いらして下さい」との返答。「待っていました!」とばかりに待機していた実母に車を出してもらい、真夜中の道を産院へと急ぎました。
あっけなく、スイッチバック
「まずは健診しましょう」と、私の焦った気持ちとは裏腹に、いやに落ち着いた看護師さんと先生。そして、まさかの一言。「はい、まだみたいですねー。もう少し痛みの間隔が短くなったらまた電話してくださいね」とあっけなく帰されることになったのです。
まさかそんなことになろうとは夢にも思わなかった私は、ヨレヨレのままリビングで横たわり、痛みの波に揺られながら、自宅にいた夫が来るのを待っていました。
そして、朝ドラが始まる時間帯になると痛みの波が激しくなり、その間隔も短くなってきました。おそるおそる産院に電話すると、やっと「OK」のサイン。
激動のテニスボールマッチ!
今度は帰されることなく、分娩室へ直行。夜中の陣痛から始まって6時間は経過していました。夫も一緒に入室し、持参した飲みものやBGM用のCDのほかに、テニスボールを出してもらいました。痛みが来ると同時に、テニスボールを肛門にグリグリ押し当ててもらうと痛みが和らぐという情報を仕入れていたので、さっそくやってもらいました。
最初はまだ余裕があって夫にいろいろ頼んでいた私も、だんだん痛みが増してくると、叫びとも悲鳴ともつかぬ絶叫をあげるように。そんな中、夫は看護師さんの指示を受けながら無我夢中で3時間近くテニスボールをグリグリ。夫の話では、赤ちゃんが押し出ようとする力はとても強かったそうで、夫の手首は腱鞘炎になる寸前だったようです。
私も夫も、「出産の時は互いの手を握りあって…」というイメージがあったのですが、現実は絶叫の中でテニスボールをグリグリの格闘技マッチのようでした。でも、そのおかげもあってなのか、初産にしては比較的スムーズな6時間で産まれてきてくれましたし、出産という壮絶な体験を夫婦で一緒に体験できて良かったと思います。もっとも、夫が周りの人に聞いたところによれば、立ち会いはしても、そこまでの体験はしたことないと言われたそうですが。
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男の子と女の子のママです。独身時代はアメリカに住んだり、京都に住んだりと引っ越しばかりしていました。結婚後、第2子を妊娠中に上の子の幼稚園に合わせてまた引っ越しを。終の棲家はどこになるのやら?しばらくバタバタ、育児に奮闘しそうなので、引っ越しはしばらく封印かな~~。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。
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