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【静岡の高校サッカー戦後史Vol.52】藤枝北に1953年度、念願のサッカー部が産声

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【藤枝北①】静岡国体代表の座争う

※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。静岡サッカー応援アプリ「シズサカ」でまとめてご覧いただけます。

1953年度創部当初のメンバーと指導陣


1965年(昭和40年)度、本県3校目の全国選手権代表が誕生した。初代代表は50年度の静岡城内(現・静岡)。55年度からは藤枝東が圧倒的強さを誇り、64年度まで10年連続、代表の座を占めていた。その藤枝東の連続出場を阻み、3校目に名を刻んだのが藤枝北である。

学校創設は1903年(明治36年)3月、志太郡立農学校として歩み出す。県立藤枝農学校を経て、48年(昭和23年)度、新制・藤枝農業高として新たなスタートを切る。現校名の藤枝北高に改称されたのは、半世紀前の61年度だ。

初代主将は深津三郎

サッカー部誕生は藤枝農時代の53年度。生徒たちの熱い思いが、部誕生の原動力となった。初代主将の深津三郎(焼津市在住)によると、「クラス対抗サッカー大会の盛り上がりはすごいものがあった」。

深津や2代目主将の鈴木常夫(静岡市在住)らが部創設運動を展開。教え子たちの声を受けた、赴任3年目の若手教諭、植田永二(藤枝市在住)の熱心な働きかけもあって、念願のサッカー部が産声を上げた。

監督に就任した植田の下、唯一の3年生だった深津、1年後輩の鈴木、それに1年生で3代目の主将になる八木敏夫(藤枝市在住)のサッカー経験者トリオが中心になってメニューを組み、練習に取り組んだ。

グラウンドが狭かったため、母校での練習はままならず、近くの小学校や建設中だった国道1号で、トレーニングに励んだ。それでも、先輩格の藤枝東と合同練習をしたり、地元の社会人チーム・志太クラブの指導を受けたりして、着実に力を伸ばした。

1957年度、国体予選決勝で藤枝東と激突

部誕生から4年目の57年度は1巡目静岡国体開催年だった。地元開催とあって、学校が初めて合宿練習に許可を与えた。「この合宿は良かった」と主将の原木祥光(藤枝市在住)。初合宿を通し、結束力を強めたチームは、手応えをつかんで国体予選に臨んだ。

原木や副主将の寺田悟朗(藤枝市在住)を軸に決勝に勝ち進んで、藤枝東と対戦した。練習試合は勝ったり負けたり。植田は「いけると思った」が、結果は0−3。振り返った植田が「東高の方が試合上手だった」と指摘すれば、原木には「欲がなかった」ことが敗因に映った。

最後に敗れたとはいえ、県代表の座を争った経験は、創部間もないチームにとってまたとない財産となった。(敬称略)

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