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母のリハビリ、恩送り。

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母のリハビリ、恩送り。

京都駅で「のぞみ」を降りようとした時、高齢の母親からスマホに着信があった。

電話をかけてくることなど、めったにない人だ。

なにか良くないことが起きたのかと、階段を下りながら慌てて対応する。


「もしもし、すごいじゃないのこの講演会の写真!もしかしてこれ、今話してる最中?」

(何かの記事をみて、嬉しくなり電話をしてきただけか…)

ご機嫌をとりながら少しばかり話し、電話を切る。


しかし、何かがおかしい。

言っていることがズレている上に、気のせいか滑舌も悪い。何よりも、そんな電話を平日の昼間にかけてくるなど、絶対にしない人だ。

そんな漠然とした違和感は、その日の夜に答え合わせがある。


「もしもし、ヤスノリか?オカンが意識不明で家で倒れてた。今、病院に搬送中や」

そう話す兄の向こう側から聞こえるのは、救急車のけたたましいサイレン音。

(脳梗塞か…)


違和感を放置しなければ良かった、もっと話しておけば良かったと、後悔がつのる。

回復は難しいかもしれないと、医師から説明があった。


しかし三途の川で、きっと追い返されてしまったのだろう。

わずか2日で意識を取り戻すと、驚くほどあっけなく娑婆(しゃば)に戻ってきてしまう。

治療の経過も順調で、リハビリ専門の病院に転院することになった。


さっそく回復の足しになるものを見繕っている時、ふと思いつく。

(文字も大きくて読みやすいだろうから、何か絵本か児童書でも持っていくか)


私には、母に買ってもらった幼い頃の思い出の一冊がある。

もう40年以上も前のことだが、言葉を話す1匹のネズミと図工教師の交流を描いたハートウォーミングな児童書、『放課後の時間割』(偕成社文庫)という本だ。


これなら昔話をしながら一緒に楽しく読みつつ、リハビリできるかもしれない。

そう考え、さっそく取り寄せるとパラパラとめくり始めた。


いつこの本が私の手元から無くなってしまったのか、正直わからない。

きっと40年以上を経ての再会なのだろう。

読み始めるとあまりの懐かしさに昭和の記憶がよみがえるのだが、やがて一つのことに気が付き驚く。


「そうか、そういうことか…」

この本が色濃く、自分の一部になっていることを確信したからだ。


「現場の足を引っ張るんです」

話は変わるが、日清のカップうどん「どん兵衛」について、少し聞いて欲しいことがある。

ご存知のようにどん兵衛は、東日本と西日本では味もパッケージも異なる。

東日本では、鰹だしに濃口しょうゆを合わせたスープ。

西日本では、昆布と鰹だしに淡口醤油(薄口醤油)をあわせたスープで喰わせる。

さらに最近は「南・北」バージョンが新たに発売されるなど、出汁と醤油の組み合わせをいろいろカスタマイズして楽しませてくれる。


うどんはいうまでもなく、出汁と醤油の旨味だけで小麦麺をすする、とても単純な料理だ。だからこそ、地域の特性や好みがまともに現れる、奥深い料理なのだろう。

よく今まで、東・西だけの2パターンだけで日本を代表するカップうどんになれたものだ。


考えてほしいのだが、旅行先で一番驚く味覚の違いは、醤油と出汁のはずだ。

九州に行き、醤油の甘さに驚いたことがある人は多いだろう。

北海道に行けば、さしみ醤油でも出汁の旨味を感じる事が多い。

関東のうどんは色が濃く、静岡おでんは濃口醤油で食材もすべて黒く染める。


一方で私が育った関西では、うどんやおでん、煮物は家庭料理でも、薄口醤油を使う。

刺身に使うのはたまりか再仕込みなど醤油の旨味で喰わせるもので、甘みや出汁味を感じることはない。

それら“違和感”と出会うことこそ、旅の楽しみでもある。


そしてこの味覚の違い。

私たちが自覚している以上に、心の奥深いところで逃れがたいほどに根付いている。


もう20年ほども前のことだが、全国で病院給食を手掛ける、ある大手企業のM&A担当役員と話していた時のことだ。

その会社は年商数千億円規模にもかかわらず、地方に進出する時はその地方の小さな給食会社を買収し、事業を拡大していた。

年商10億円程度の小さな会社でも、決して安くないコストを掛けて買収するのである。


「いつも疑問に思うのですが、御社ほどの知名度があれば支店を出して、栄養士や調理師を募集すればよいのでは。なぜわざわざ、会社を買うのですか?」

「桃野さん、観光地のメシならともかく、毎日でも受け入れられる食事の味って、地元の人でしか出せないんです」

「そういうことですか…。しかし栄養士や調理師が地元の人であれば、それで機能するのではないでしょうか」

「そう思われるのはわかるのですが、そういった人たちの上に東京から管理職をポンと置いても、機能しないんです。地元の味も食習慣もわからないので、現場の足を引っ張るんですよ」


そういえば、全国で宅配食材や宅配弁当を手掛ける大手企業の役員からも、同じ話を聞いたことがあった。

小さな弁当店や惣菜店を営む地元の会社を買収しないと、全国展開などとてもできないという趣旨だ。

調理師や栄養士だけでなく、リーダーになる管理職を含めて一括で揃えないと、“毎日の食事のお手伝い”などとてもさせて頂けない、という話である。


「それほどまでに、味覚の地域差は大きいものなのか…」

その時の感想は正直、その程度だった。

しかし今になって思うことは、違う。


「現場が機能する組織をつくれたからこそ、あの会社は大手企業になれたのだろう」

さらにいえば、きっとそれら企業も地元で人を募集し、“東京のエラい人”に管理をさせて失敗をした経験があったのではないだろうか。

その失敗から、“部下の役に立てない”リーダーなど組織にとって害悪でしかないことを悟ったのだと、確信している。


味覚による地域差は、確かにとんでもなく大きい。

しかしそれ以上に学ぶべき教訓は、きっとこういうものなのだろう。

「人の心を理解できるトップリーダーは、やはり強い」


“人間万事塞翁が馬”

話は冒頭の児童書、『放課後の時間割』についてだ。

人の言葉を話すネズミと図工教師のハートウォーミングな物語がなぜ、自分の一部であることに気がつき驚いたのか。


著者・岡田淳氏の狙いについて、数ページめくっただけで色濃く伝わってきた意図は以下だ。

“読者の裏をかきたいという、いたずら心”

“かんたんで読みやすい言葉選び”

“会話文と描写から情景を感じて欲しい”という、読者への想い


それを裏付けるように、巻末には《解説》として、以下のような書評が記載されている。

「この作者は意表をつく話を設定しながら、子どもが悪戯でもするように自分自身楽しんでいるに違いない。そう思った。どこをとっても鮮やかなイメージが息づいていた」


私が描きたいコラムの目指すところは、まさに同じ価値観であることに気がつかされた。

海外旅行の空港で40年ぶりの友人にバッタリ会ったかのような、そんな衝撃である。


そして話は、「味覚の地域差」についてだ。

普段余り意識することはないが、私たちの体は、幼い頃に食べた愛情溢れる多くの料理で形作られている。

そしてその時に焼きつけられた味、香り、想い出は、とても抗うことができないレベルで心の深い所に根付いている。

年商数千億円の会社が10億円の会社に教えを乞うほどに、この壁を超えることなどとてもできない。


同様に、親族や地域の人たち、学校や友人から受けたたくさんの影響が、今の自分を形作っているのだろう。

そしてそれを、順繰りで伝えていく。私たちはそれを“恩送り”と呼ぶ。

頂いた教えや恩をバトンリレーする、大切にしたい価値観であり言葉だ。


今回、母のリハビリのため手に取った『放課後の時間割』は、そんなことを私に改めて教えてくれた。

自分はまだまだ、お世話になった皆様に十分な「恩送り」ができていないことにも気が付かされた。

だからこそ、今回の母の入院を期に、社会や人のために今以上に役に立てる人間でありたいと決心している。


なんせまずは、この本を病院に届けた時に母がなんと言うのか、楽しみである。

忘れてても構わない。

むしろ思い出してもらうために、一緒にリハビリを楽しみたいと思う。

***


【プロフィール】

桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。

主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など

私が幼い頃に大好きだった夕食は、脂が乗りプックリと太ったサンマでした。
夕方、家の外で遊んでいる時に流れてきたあの香りは、昭和の記憶そのものです。
脂に火がつき、悲鳴を上げながら焼く母の姿も良い思い出です。

X(旧Twitter) :@ momod1997

facebook :桃野泰徳

Photo by:Toshihiro Gamo

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