石井琢磨がウィーン・フィル『サマー・ナイト・コンサート2024』ブルーレイで公式レポートを執筆 アルバム収録の裏側などウィーン滞在の様子をプロデューサーが語る
自らのYouTubeチャンネル「TAKU音-TV」がフォロワー数27万人を超え、9月のコンサートツアーも続々と完売となる中、6月にシェーンブルン宮殿(オーストリア・ウィーン)を舞台に行われたウィーン・フィルの恒例名物行事『ウィーン・フィル・サマー・ナイト・コンサート2024』の模様を収録したブルーレイ(8/14発売)で、ピアニスト石井琢磨が公式レポートを執筆することが判明した。
今、日本のクラシック音楽シーンでも、新しい存在感を放ち、反田恭平や角野隼斗につづき売切れ公演が続出するピアニストである石井がどんな風に、ウィーン・フィル年間最大のコンサートイベントを見たのか、またその直前に録音し終えた、ニュー・アルバム『Diversity』の録音や撮影の模様など、同行したアルバム・プロデューサー青木聡氏に話を聞いた。
――まずはCDのレコーディングはどんなところでどんな雰囲気の中で行われたのでしょうか。
昨年のアルバム『Szene』を録音し終わった瞬間から、次回もベーゼンドルファーのファクトリーで録音出来たらいいよね、という話になって。それほど、最高の状態で心地よいレコーディングが出来たのですよ。まずは、第一には、素晴らしい最高の状態のピアノがある。それでいて、スタジオではないので、リラックスした雰囲気もある。もちろん石井さんは3日間でアルバム一枚分の曲を仕上げねばならないので、実はリラックスしている暇もないのですが、スタジオやホールのような緊張感に満ちた場所でないことが、演奏するということに集中できる環境を担保しているように感じます。本人はまあそんなことを考える暇もないくらい、次々と録音していたので、あっという間の3日間だったんじゃないかと想像しますけど。グリーグの「朝」をレコーディングをしている最中、譜面にも鳥の鳴き声を真似たところがあるのですが、その演奏に応じるみたいに実際の小鳥が鳴いているのが聞こえてきたり。もちろんレコーディングでは使えないですが、そんな日常とのつながりが心地よい環境なんですよ。ファクトリーのあるウィーナー・ノイシュタットはウィーン市内から特急に乗って40分くらいの田園地帯にある、こじんまりとした街で、オーストリア・アルプスの山登りの拠点にもなっているところなので、本当に長閑で雑音の少ない環境だと思います。そんなこともあって、去年同様今年も、石井さんはとにかく演奏することに集中できたと思いますよ。
――去年と違うこともあったのでしょうか?
本来はウィーンの5月は晴れて、とても気持ちが良い季節なんですよ。ところが、今年は地球全体の異常気象の影響か、 大雨の連続で。レコーディング初日も、到着した時には晴れていたのに、本人が近くのモールでランチをしている間に文字通りバケツをひっくり返したような雨になって、おまけに雹交じり。録音の時間がどんどん無くなっていくので、しかも「モールに傘売ってない」ってLINEが来て、びしょ濡れ覚悟でファクトリーから借用した傘を持って行きましたよ。その傘で本人だけ先に帰して。
とはいえ、全体としては去年よりも非常に順調に録音出来たように思います。去年はなんだかんだ言って、初めての場所という緊張感は最初ありましたし。今年は場所にも環境にも慣れて、美しいベーゼンドルファーのピアノの響きを最大限引き出してくれていましたし、本人も去年よりもレコーディングを楽しんでいるように感じましたね。最終日は夕方には作業を終了して、ウィーン市内へ戻り、トーンマイスターの山田さん行きつけの火鍋屋で打ち上げましたから。
そんなリラックスした石井さんの状態がそのまま音に出た、素晴らしいアルバムに「Diversity」は、仕上がったと思います。グリークの「朝」は、京都で開催される奥村厚一展のテーマ曲に選ばれ、テレビスポットや8月オンエアの特別番組でもう聴けますが、美しい夜明けの景色を描いた絵画そのままに、静謐な朝の空気を感じさせてくれます。平原綾香さんで知られる「ジュピター」を意識して、本人が編曲を指示したホルストの「ジュピター」も、宇宙の星々を思わせる煌びやかなピアノのサウンドを聴いてもらえると思います。とにかく、ファンの皆さんが一番ご存知の、彼らしい美しい音が詰まったアルバムとなったと思います。
――トーンマイスターという言葉が出ましたが、トーンマイスターとは?
ウィーンの録音エンジニアは、誇りをもって自分たちのことをこう呼ぶのです。音のマイスターです。去年に続き今回のアルバムをご担当いただいた山田さんは、石井さんが学生時代にオーディション向けの音源を録音する時から世話になっている方で、ウィーンにいる日本人留学生たちが頼りにしているのはもちろんですが、地元で活躍するプロの音楽家も頼りにしている、トーンマイスターの呼び名に相応しい方です。日本のレコード会社で言うとディレクターとしての役割まで果たしてくれるので、僕の仕事はほぼプロデューサーに徹することができて、楽をさせてもらいました(笑)。石井君の直前には、同じ場所でアデラ・リクレスクというピアニストのリストを録音したという話を聞いて、偶然レコーディングの翌日にコンツェルトハウスで、彼女が所属するフィルハーモニック5というウィーン・フィルのストリングスメンバーによるピアノ五重奏のグループがコンサートをするというので見に行ってみました。リーダーのティボール・コヴァーチ(ウィーン・フィルの第2ヴァイオリン)がケガで弾けないというので、コルンゴルドのピアノ五重奏がシューマンのピアノ四重奏に変更になってしまったのは、個人的には残念でしたが、素晴らしいコンサートでした。彼女は石井さんや高木竜馬さんの学友でもあるのですが、改めてこういう環境の中で、石井さんや高木さんの音楽が紡ぎ出されていることに感銘を受けました。
――ジャケットの撮影もウィーンで行われたそうですね。
表1など主要な写真は日本でしっかりと撮影したのですが、前回のアルバムでもウィーンの各所で撮影した写真がとても好評だったので、今回はもう少しウィーンを深堀りしてみようということになりました。石井さんはウィーンと日本を行ったり来たりするようになって、それまで意識することがなかったウィーンの街の美しさに気付いて、懐かしく感じるようになったそうです。ヨーロッパの美しい街と言うとみんなパリやローマやバルセロナに目が行きがちですが、ウィーンも全然負けてない、というか一番じゃないかと感じるようになったそうで、そんなウィーンの魅力を感じてもらえるような写真を撮影したいということになりました。なので、前回は1日でトラム&地下鉄移動で済ませたロケを2日間にのばし、ロケ車もハイヤーして撮影を組み立てました。ウィーンで活動されている日本人カメラマンの前田愛香さんにお手伝いいただいたことで、撮影許可の簡単でない場所での撮影も実現できました。
――具体的にはどんなところで撮影されたのでしょうか?
20世紀初頭に行われた、ウィーンの都市計画で大事な部分を占めるものに、オットー・ワーグナーがデザインした地下鉄駅やその関連施設の鉄橋などがあります。19世紀末から20世紀初めにつくられた施設がそのまま利用されているんですね。もちろんカールス・プラッツ駅のようなターミナルは、駅舎自体は博物館になって、駅自体は現代的な地下駅となっていますが、むしろこっちが例外で、ハプスブルク朝の最後の香りがあちこちの地下鉄の駅に残っているのです。また、オットー・ワーグナーの次の世代が、クリムトを中心に分離派という芸術運動を生み出し、そこからヨーゼフ・ホフマンとコロマン・モーザーが軸となってウィーン工房を立ち上げて、さまざまな建築と内装、家具や食器のデザインまで手掛けていくのですが、彼らの影響もうっすら街の景観の中に残っていて、ウィーンの美しさのベースになっています。サナトリウムとして建てられて、今も現役の老人ホームとして使用されているホフマンがデザインした建物で撮影させてもらえました。観光コースでは見ることができない空間なので、是非その美しさをご覧いただければと思います。そして、ワーグナーやホフマンが自由に美しく街づくりを出来たのは、実は皇帝フランツ・ヨーゼフ2世の絶大な権力が存在したからで、彼が皇妃エリザベートのために建てたという、ヘルメス・ヴィラでも撮影しました。人の少ない環境で撮影をしたかったので、朝8時に集合して門の開くのを待って、ヴィラまで1キロくらいの徒歩でウィーンの森を歩いて撮影しました。
――TAKU音-TVでも人気のカフェでも撮影されたそうですね。
そうなんです。カフェ・ツェントラルで改めて撮影させてもらいました。TAKU音のウィーンの休日風に。また、ウィーンのガウディと言われるフンデルトヴァッサーのアパートは、観光客が朝の8時過ぎには押し寄せるので、7時集合でした。
――さて、いよいよシェーブルンのサマーナイト・コンサートですが。
石井さんがちょうどウィーンにいるタイミングに開催されることに気付いて、20年にわたってこのイベントのライブCDとブルーレイをリリースし続けている、ソニークラシカルの担当者にお声がけしたら、有難いことにお招きいただきました。僕自身も、本人もとてもテンションが上がりましたよ。なにしろ、ウィーン・フィルのシーズンを締めくくる、最大のイベントですし、ウィーンっ子たちもトラムやバスや地下鉄で続々とシェーンブルン宮の庭園を目指して集まる、ウィーン屈指の音楽野外イベントですから。宮殿中央の入口から入れるのはVIPのお客さんだけで、スポンサーのROLEXの招待客やウィーン・フィルの会員や関係者ばかりな感じでした。
もちろん石井さんは何度かこれまでもこのイベントに来たことはありましたが、グロリエッテが建つ小高い丘の上から、遥か彼方からピクニック気分で豆粒のようなオーケストラを見るような感じだったので、18列目でしっかり演者の顔も目視できる距離でこのイベントに参加したのは今年が初めてだったそうです。本番を待って座っていると、美しいアジア系の女性がやって来て、ドイツ語で社交しながら我々の列に入ってきたのですが、なんと女優の中谷美紀さん。よくよく考えれば、ウィーン・フィルのヴィオラ奏者の奥様ですから、当たり前なのですが、同じ列に座らせていただいて石井さんともども恐縮致しました。
――ネルソンスの顔も見える距離だったんですね。
そうですね。ネルソンスは、ウィーン・フィルとの息もぴったりで。屋外でPAをしているとは思えないほど、良い音で聴かせていただきました。来月のサイトウキネンや秋のウィーン・フィルも本当に楽しみですね。テレビやブルーレイでこれまで見ていて、演者の近くに寄るカメラがあって、それがどんな風に撮影しているのか、ずっと不思議だったのですが、今回はその謎が解けました。高速で左右に動くオートマチックのカメラがステージ前に仕込まれていて、これがスムースに上下動もするんです。勉強になりました。人力でステディカムで寄って行っているのかな?とずっと勝手に想像していたんですが、あんな高性能に機械化されたカメラを動かすもので操作されているとは思ってなかったので、これは自分としては大きな発見でした。
ウィーン・フィルは実に楽しく音楽を演奏していて、素晴らしかったですし、このあたりのことは是非石井さん自身が執筆した、『サマーナイト・コンサート』のブルーレイのブックレットに掲載されたレポートをご覧いただきたいのですが、個人的に一番盛り上がったのは、アンコールのカールマンでしたね。ハンガリー出身でウィーンにおいて次々とオペレッタをヒットさせたカールマンの音楽は、ウィーン・フィルにとっては自家薬籠中のものという雰囲気で、ウキウキさせられましたね!
――ダビッドセンが歌った、カールマンの「ハイヤ、ハイヤ、山こそ我が故郷」ですね。
そうです。最後のワルツ「ウィーン気質」とあわせて、この場所でしか感じることができない音楽の喜びがあるように思いました。こんな環境で学んで、音楽づくりをできる石井さんが、本当にうらやましく思いましたし、そういう経験は得ようと思って得られないものです。彼が紡ぎ出す音楽の歌心や美しさは、こうしたウィーンでの体験や学びにしっかりと支えられているんだなあと、自分自身も大きな気づきをもらえた瞬間でした。アルバムとツアーも楽しみにしていていただきたいですが、7月末には彼がさらに大きなチャレンジをしていく発表も準備中なんで、いろいろと想像しながら待っていてもらえると嬉しいです。8月14日には、「サマーナイト・コンサート」のブルーレイもリリースとなるので、このあたりもご覧いただきながら、アルバムとツアーへ向けて心の準備運動をしてください。
取材・文=神山薫