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埼玉西武ライオンズの歴代監督と最高成績、常勝軍団再建目指す西口文也監督

SPAIA

西武・西口文也新監督,ⒸSPAIA

松井稼頭央前監督と渡辺久信GM兼監督代行は退団

西武の新監督に、2024年シーズンは二軍監督を務めていた西口文也氏の就任が決まった。2023年から指揮を執っていた松井稼頭央前監督は1年目は5位、2年目の2024年は成績不振のため休養となり、5月28日の交流戦初戦から渡辺久信GMが監督代行として指揮を執ったが、49勝91敗3分けの勝率.350で最下位に終わった。

松井稼頭央監督と渡辺久信GMは退団し、チーム再建を託されたのが西口文也新監督。現役時代は西武ひと筋で通算182勝を挙げた本格派右腕だった。引退後もコーチなどで球団に残って仕事を続け、黄金期から低迷期まで誰よりもチームの状況を知る新指揮官への期待は大きい。

1980年代から90年代に黄金時代を築き、2018、19年にもリーグ連覇。前身の西鉄時代を含めるとパ・リーグ最多23度のリーグ優勝、13度の日本一を果たしている。2リーグ分裂後の1950年以降に誕生した球団では、最速で通算5000勝を達成するなど常勝軍団の歴史を紡いできた歴代の監督を振り返る。

西鉄黄金時代を創り上げた三原脩監督

1950年に西鉄クリッパースの初代監督を務めたのが宮崎要。51勝67敗(勝率.432)で5位に終わるが、プレイングマネージャーとして打率.294を記録した。

1951年にセ・リーグの西日本パイレーツを吸収合併し、西鉄ライオンズが誕生。“知将”三原脩を総監督に据えてチームの強化を図る。53年は球団初のBクラスに終わったが、“怪童”中西太がトリプルスリーを達成し、川崎徳次が最多勝、最優秀防御率を獲得するなど徐々に陣容が揃い始めた。

翌54年、南海とのデッドヒートの末、初優勝。55年は2位に終わったが、56年に再び南海との激しい首位争いを制してリーグ優勝を成し遂げると、巨人との日本シリーズにも勝利し、初の日本一に輝いた。その後、57、58年も日本一となり、日本シリーズ3連覇を達成。「西鉄黄金期」を築いた。

しかし、59年は4位に低迷したため、その責任を取り監督を辞任。その後、大洋の監督に就任した。

「野武士軍団」の名選手が続々監督就任

第3代監督以降は、西鉄黄金期を支えた「野武士軍団」の名選手たちが続々と監督に就任する。三原の後任を務めたのが川崎徳次。現役時代は巨人と西鉄の2球団で最多勝を獲得し、リーグ優勝、日本一も経験した。しかし、監督としては中西ら主力の故障もあって2年連続3位にとどまり、61年シーズン終了をもって監督を辞任した。

1962年からは中西太が選手兼任で監督に就任。2年目には5年ぶりとなるリーグ優勝を達成した。その後も3位1回、2位2回と黄金期の再来を予感させたが、68年は5位に低迷。翌69年は5月に9連敗で一時監督を休養し、最終的には5位でシーズンを終えた。この年をもって稲尾和久とともに現役を引退し、監督も退任した。

中西の後任には引退したばかりの稲尾が就いた。しかし、西鉄の複数選手が八百長に関与した、いわゆる「黒い霧事件」によってチームは衰退の一途を辿る。エース池永正明が永久追放となるなど主力選手が抜けたため、1970年から3年連続最下位。経営が悪化した西鉄は、1972年をもって球団を手放すこととなった。

稲尾は太平洋クラブライオンズとなった後も監督を務める。しかし、最高成績は74年前期の3位と振るわなかったこともあり、同年オフに解任された。

後任には大洋からトレード移籍してきた江藤慎一が選手兼任監督として就任。東尾修や白仁天、土井正博の活躍により、通年3位と復活の兆しを見せた。だが、オフにメジャーリーグの超大物レオ・ドローチャーの招聘が決まり、江藤は退団。ロッテへと移籍した。

しかし、ドローチャーは来日前に健康上の理由により契約解除。ヘッドコーチの鬼頭政一が監督に昇格した。戦力不足が否めないチームはこの年、前後期とも最下位に終わる。また、大幅な観客数減で球団経営が困難となった太平洋は、オフにクラウンライターとして再出発。鬼頭は翌77年も監督を務めたが、2年連続で通年最下位となり、同年オフに辞任した。

西武として生まれ変わり黄金期再来

1978年、監督には根本陸夫が就任し、通年で5位に終わる。そしてこのオフ、クラウンライターが球団売却を発表。九州での歴史に終わりが告げられ、所沢の地に西武ライオンズが誕生した。根本は81年まで監督を務めるが、4年連続Bクラスに終わる。監督としては目立った成績を残せなかったが、その後編成部門で辣腕ぶりを発揮。西武黄金期を創り上げる。

1982年から広岡達朗が監督に就任し、チーム改革を断行。アメリカ流管理野球を徹底し、就任初年度に球団初のリーグ優勝、日本一を成し遂げた。翌83年も2年連続日本一となるなど、85年に勇退するまで4年間で3度のリーグ優勝、2度の日本一に導き、西武の第一次黄金時代を築いた。

1986年からは森祇晶が監督となり、第2次黄金時代が幕を開ける。東尾修、渡辺久信、工藤公康、郭泰源ら投手陣に、秋山幸二、清原和博、デストラーデら擁する打撃陣で最強の名を欲しいままにし、94年までの就任9年間で8度のリーグ優勝、6度の日本一を達成した。

森の後を引き継ぎいだのが、東尾修。秋山幸二や石毛宏典ら黄金時代を支えた主力は既に球団を去っていたが、若手を育て上げチームを強化。3年目の97年にリーグ優勝を達成するると、翌98年も連続リーグ制覇を成し遂げた。日本一には届かなかったが、7年間全てでAクラス入りを果たしている。

2002年からは伊原春樹が監督に就任。3塁コーチャーズボックスで指揮を執る独特のスタイルで4年ぶり14度目のリーグ優勝を果たした。2年目も2位となり、西武の黄金期に扇の要としてチームを支えた伊東勤へバトンをつないだ。

2004年、前年に現役を引退した伊東が監督に就任。その采配に注目が集まる中、1年目からプレーオフを制し2年ぶり15度目のリーグ優勝、9度目の日本一を成し遂げた。2年目は3位、3年目は2位の成績を残したが、4年目の2007年に26年ぶりのBクラスとなる5位に低迷。その責任を取る形で監督を辞任した。

渡辺久信が埼玉西武初年度に日本一

2008年、球団名が埼玉西武ライオンズに変更され、前年まで二軍監督を務めていた渡辺久信が一軍監督に就任した。栗山巧、中村剛也ら若手を抜擢し、打線を一新。4月に首位になってから一度もその座を明け渡さず、4年ぶりのリーグ優勝を果たした。

さらに、巨人との日本シリーズも4勝3敗で制し、4年ぶりの日本一も達成。渡辺はその後2位3度、3位1度、4位1度の成績を残し、2013年をもって監督を辞任した。

後任には2年間、西武の監督を務めた伊原が就任。しかし、開幕から状態が上がらず最下位に低迷したため6月3日に自ら休養を申し入れ、球団が了承。打撃コーチの田邊徳雄が監督代行を務め、最終的には5位に終わった。

田邊は翌年から正式に監督に就任したが2年連続4位に終わり、2016年をもって監督を退任した。後任には中日で二軍監督を務めていたOBの辻発彦が就任し、2018、19年にリーグ連覇。しかし、2021年に最下位に終わり、2022年限りで退任した。

2023年から指揮を執った松井稼頭央は志半ばで退任。西口新監督は2008年を最後に遠ざかっている日本一に向け、常勝軍団の再建を図る。

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記事:SPAIA編集部

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