細川たかしのレコード大賞受賞曲のオリジナルとして、事実上の引退から33年を経てなお根強い人気を誇る〝伝説〟と呼ばれる歌姫の圧巻の表現力 ちあきなおみ「矢切の渡し」
1992年、夫である俳優の郷鍈治(俳優・宍戸錠の実弟)と死別して以降、芸能活動を一切休止し表舞台から姿を消し、事実上の引退状態となっているちあきなおみ。その間、毎年のように各テレビ局、特にBS放送でちあきなおみの特集が組まれ、製作者サイドからも視聴者からも、今一度ちあきなおみの肉声の歌声が聴きたいという声が伝わってくる。「歌伝説・ちあきなおみの世界」「歌伝説 ちあきなおみ・ふたたび」「ちあきなおみ 再び始まる歌姫伝説」「表現者ちあきなおみ ジャンルを超えた魅惑の歌声」「ちあきなおみ デビュー55周年~心を照らす不滅の歌声~」「ちあきなおみ~NHK秘蔵映像で贈るデビュー55周年~」という具合に、ちあきの歌手復帰への期待を込めて数々の特集番組が放送され、活動再開を待望する声も上がったが、その願いもかなわず〝伝説の歌姫〟の幕は今も閉じたままだ。本年5月にもNHKで「ちあきなおみⅡ~NHK秘蔵映像で贈る名曲シリーズ~」が放送され、6月10日放送のNHK「うたコン」でも、放送日がちあきなおみのデビュー日に当たることから「喝采」「夜間飛行」「夜へ急ぐ人」の紅白歌合戦での歌唱シーンがノーカットで放送され、話題となったばかりだ。
ちあきなおみは69年、21歳のとき「雨に濡れた慕情」(作詞:吉田央、作曲:鈴木淳、編曲:森岡賢一郎)で、日本コロムビアからレコード・デビューを果たした。作詞の吉田央は後に吉田旺として「喝采」「紅とんぼ」「冬隣」などちあきなおみと組んで数々のヒット曲を生み出しており、吉田にとっても「雨に濡れた慕情」は作詞家としてのデビュー作だった。作曲の鈴木淳は、「四つのお願い」「X+Y=LOVE」「無駄な抵抗やめましょう」などちあきの初期のシングル盤の作曲を手がけており、そのほかにも伊東ゆかり「小指の想い出」、小川知子「初恋のひと」、八代亜紀「なみだ恋」の作曲でも知られる。オリコン週間チャートでは23位まで上昇した。
ちあきはその後、「四つのお願い」や「X+Y=LOVE」などをヒットさせ、いわゆる〝お色気アイドル〟路線として脚光を浴び、70年のNHK紅白歌合戦に初出場を果たし「四つのお願い」を歌唱した。同年の初出場組には和田アキ子、藤圭子、「経験」や「私生活」などの辺見マリ、「男と女のお話」や「世迷い言」(作詞:阿久悠、作曲:中島みゆき)の日吉ミミ、トワ・エ・モワ、ヒデとロザンナ、野村真樹(現・俳優の野村将希)、にしきのあきら(現・錦野旦)、フォーリーブスがいる。
今回、ちあきなおみを紹介するに当たり、どの曲をとりあげるか大いに迷った。それほど、ちあきなおみならではの表現力で聴かせる歌がたくさんある。
前出した以外にも、「私という女」(71年、紅白2回目の出場時に歌唱)、「禁じられた恋の島」、そして72年に日本レコード大賞受賞曲となり、ちあきなおみの歌手としての存在を決定的なものとしたご存じ「喝采」。72年の3回目となる紅白出場時には、紅組司会の佐良直美が「本年度日本レコード大賞受賞」と、ちあきなおみをステージに送り出している。現在と違い、レコード大賞が国民的な話題となった時代である。
その後も〝ドラマチック歌謡〟と謳われた「喝采」路線の「劇場」や「夜間飛行」(73年の紅白4回目の出場時に歌唱)をヒットさせ、さらに「円舞曲」、「かなしみ模様」(74年、紅白5回目の出場時にトリ前で歌唱)、「さだめ川」(75年、紅白6回目の出場時に前年に続きトリ前で歌唱)と続き、76年10月1日に24枚目のシングルとなる石本美由起作詞、船村徹作曲の「酒場川」をリリースし、同年の紅白7回目の出場時に3年続けてのトリ前で歌っている。実は「酒場川」のB面が「矢切りの渡し」だったのだ。今回紹介しているジャケットのイラストはそのときのもので、「矢切り」と記されている。やはり、石本&船村のコンビによる作品である。それまで、ポップス系路線でヒット曲を出していたが、船村徹作品なら歌ってみたいと「さだめ川」で出会った船村徹との2枚目となるシングルだった。「矢切の渡し」について語る前に、もう少しちあきなおみのシングル曲を紹介しておこう。
77年にはいわゆるニューミュージック系のアーティストからの楽曲提供が続く。77年の中島みゆき作詞・作曲「ルージュ」、友川かずき作詞・作曲「夜へ急ぐ人」、78年の河島英五作詞・作曲「あまぐも」と、歌手・ちあきなおみは、ニューミュージックのクリエイターたちの創作意欲をも刺激した。88年には飛鳥涼がアルバムに「伝わりますか」「イマージュ」を提供している。同アルバムには、ちあき哲也作詞、杉本眞人作曲の「かもめの街」も収録されている。
「夜へ急ぐ人」は77年の8回目の出場となる紅白で歌唱され、「おいで、おいで」と手招きをするその鬼気迫るパフォーマンスは語り草となり、白組司会者の元NHKアナウンサー山川静夫が「なんとも気持ちの悪い歌ですねぇ」と発言するほど話題を呼んだ。山川アナウンサーは「気味の悪い」と言うつもりだったと、6月10日の「うたコン」にゲスト出演した際に語っている。2023年公開の映画『エゴイスト』では、同性愛者である編集者の主人公を鈴木亮平が演じ、部屋で共に過ごした恋人を見送った後で、クローゼットから取り出した派手なコートをまとい洋服ブラシをマイク代わりにして、ちあきなおみになり切った感じで「夜へ急ぐ人」を歌うが、強烈な印象を残すパフォーマンスだった。鈴木亮平は、毎日映画コンクール男優主演賞をはじめ、数々の賞に輝いている。
ちあきなおみは80年代に入ると、シャンソン、スタンダード・ジャズなど幅広いジャンルの歌を歌い始め、特にポルトガルの民族歌謡ファドに深く関心を持ち、ファドを集めたアルバム『待夢』を発表し、ちあきなおみの歌い手としてのさらなる可能性を見せつけられることになる。
88年にはCBS・ソニー、ビクターを経てテイチクに移籍し5年ぶりとなる30枚目のシングル「役者」をリリースし歌謡曲の世界でも「ちあきなおみ」というジャンルにさらなる奥行をみせる。しばらく遠ざかっていたテレビの歌番組などにも精力的に出演するようになり、続いて「紅とんぼ」をリリースする。吉田旺作詞、船村徹作曲による新宿駅裏の小さな酒場の店仕舞を歌ったこの曲は、まさにちあきなおみの表現力ここに極まれりといった感の楽曲だった。
この曲を聴いたとき、初の舞台出演となる89年のミュージカル『LADY DAY』で演じたジャズ・シンガーのビリー・ホリディ役を思い出した。ほぼ一人芝居と言えるこの舞台は大いに話題になり翌年にも再演されたが、ちあきなおみの歌は、これこそまさにドラマティックと呼べる情感にあふれていた。
「紅とんぼ」は大きな反響を呼び、88年に11年ぶりとなる紅白歌合戦に通算9回目の出場を果たした。
また、水原弘のオリジナル曲をカバーした「黄昏のビギン」や、50年に小畑実が歌った「星影の小径」をカバーし、「黄昏のビギン」は、京成電鉄「スカイライナー」、ネスレ日本「ネスカフェ・プレジデント」、トヨタ自動車「ReBORN DRIVE FOR TOHOKU」の、「星影の小径」は、AGF「マキシム・レギュラーコーヒー」、ヤナセ「アウディ」、キリンビバレッジ「実感」のテレビCMに使用され、名曲を時代を超えて伝えることに貢献している。2曲ともちあきなおみのオリジナル曲だと思っている人たちも多いかもしれない。
ちあきなおみの現時点でのラスト・シングルは91年にリリースされた「赤い花」で、この曲もちあきの代表曲としてしっかりと多くの人の心に刻み込まれている。
「酒場川」のB面「矢切りの渡し」が日の目をみるのは、大衆演劇のスター梅沢富美男が舞台での舞踊演目に用いたことによる。話題となりコロムビアから82年にシングルA面「矢切の渡し」が再リリースされることになった。ちなみにB面は同じく船村徹作曲でかつて春日八郎が歌って大ヒットさせた「別れの一本杉」。ちあきなおみは、藤圭子同様〝男歌〟が巧い歌手でもあった。
ところが、ちあきが当時ビクターに移籍していたこともあり、83年に細川たかし盤がリリースされた際に廃盤になってしまった。その後、細川バージョンはミリオンセラーとなる売れ行きを記録し、その年の日本レコード大賞受賞曲とまでなった。オリコン週間チャートでは、ちあき盤は57位だったが、細川盤は週間1位を記録し、年間でも2位という売れ行きで、TBS「ザ・ベストテン」でも83年度年間1位だった。前年に「北酒場」でも大賞を受賞していて、当時レコード大賞史上初の2年連続大賞受賞歌手となった。だが、有線放送チャートでの1位はちあきバージョンだった。
作曲者の船村徹は「ちあきの歌は手で櫓を漕ぐ渡し舟で、細川の歌はモーター付の船だ」と、それぞれの歌の質を語っている。確かに楽曲のイメージは手漕ぎの舟である。梅沢富美男もちあきの歌い方だったからこそ、舞踊の演目にしようというイメージが膨らんだに違いない。細川の歌声からも、同じようにイメージしたかどうかはわからない。だが83年の紅白で、細川たかしが初の大トリで男泣きで歌う「矢切の渡し」に合わせて、「夢芝居」で初出場していた梅沢富美男が女形の舞を披露している。ちなみに紅組のトリは、出場19回目にしてやはり初のトリとなった水前寺清子が務めている。
さらに船村は、ちあきの歌は細部まできっちりと聴かせる鑑賞用であるのに対して、細川の歌い方は美声であるが一本調子な感じで、カラオケなどで誰でもが歌えると思わせてしまった、とも言及している。細川バージョンのレコードの大セールスはその辺りも影響しているのかもしれない。いずれにせよ、それぞれに味わいがあり、確かな歌唱力がないと歌えない歌であることには間違いないだろう。ただ、道行の男と女の感情を鮮やかに歌いわけて魅せたちあきなおみの卓越した表現力が、船村徹をして〝観賞用〟とまで言わしめたのだろう。
表現力と言えば、映画やテレビドラマでもちあきなおみは女優として確かな爪痕を残している。映画『居酒屋兆治』、『瀬戸内少年野球団』、テレビドラマ「くるくるくるり」、「松本清張スペシャル・わるいやつら」、「國語元年」、「かあちゃんは犯人じゃない」などが思い出される。
なかでも鮮烈に記憶に残っているのが。久世光彦プロデュース・演出による「ちょっと噂の女たち・黒田軟骨の女難」だ。伊東四朗主演で、各回いしだあゆみ、夏目雅子、八千草薫、岸田今日子、加藤治子ら魅力的なヒロインをゲストに迎えた82年放送の10回連続ドラマで、ちあきなおみもレギュラー出演していた。久世プロデユーサー曰く、ちあきなおみが歌う演歌をテーマ曲として作った洒落た人情噺。各回ちあきなおみが生ギター演奏で歌を披露するというなんともぜいたくな劇中歌で、美空ひばりの「悲しい酒」、三橋美智也の「おんな船頭歌」、藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」、こまどり姉妹の「浅草姉妹」、大下八郎の「おんなの宿」、西田佐知子の「東京ブルース」などに加えて自身の「矢切の渡し」も披露している。
2014年発行の弊誌「コモ・レ・バ?」第20号での、「村松友視の私小説的昭和歌謡曲」という特集で、作家・村松友視(視は正確には示に見)さんはちあきなおみにも触れ、「……いつしかカムバックするとの期待を捨てることのないちあきなおみファンは今も多い。芝居心のからむ歌も数多くあり、レコードやCDで楽しむには事欠かないが、ちあきなおみの今の表現を聴きたい、見たいという希いが消えやらず、宙空に心もとなくさまよっているかのごとくだ。……その思いは、ジャンルの垢に染まることのない、歌謡曲の底力を求める心根から発しているはずなのだ。そして、その在りかたへのなつかしさは、今日の歌謡界への欠落感と無関係ではなかろう」と記している。
この言葉に深く共感する歌謡曲ファンは多いに違いない。ちあきなおみが現在の表現で「矢切の渡し」を歌ったら……。
文=渋村 徹 イラスト=山﨑杉夫