歴代オリンピックのバレーボール女子日本代表監督と成績 メダルも予選落ちも味わった盛衰史
「鬼の大松」の下、東京五輪で金メダル
バレーボールは1964年の東京五輪で初めて実施された。初の世界大会となった1960年の第3回世界選手権では決勝でソ連に敗れたものの銀メダルを獲得。1962年の第4回世界選手権では日紡貝塚の単独チームとして出場し、金メダルに輝いていた。
そして迎えた晴れ舞台。「東洋の魔女」と呼ばれた日本はライバルのソ連を3-0で破り、5戦全勝で金メダルを獲得した。
厳しい練習で鍛え上げたのが「鬼の大松」と呼ばれた大松博文監督。以降、歴代五輪に出場した女子日本代表の監督と成績は以下の通りとなっている。
ロサンゼルス五輪まで出場5大会連続メダル
1968年のメキシコ五輪は山田重雄監督が指揮を執り、ソ連に敗れて銀メダル。小島孝治監督が率いた1972年のミュンヘン五輪も決勝でソ連にフルセットの末に敗れ、銀メダルだった。
1976年のモントリオール五輪は再び山田重雄監督が指揮を執り、決勝でソ連にストレート勝ちして金メダル。1980年のモスクワ五輪は出場権を獲得しながらボイコットで不出場となったが、米田一典監督が率いた1984年のロサンゼルス五輪は準決勝で中国に敗れたものの、3位決定戦でペルーを下して銅メダルを獲得した。
初出場の東京五輪から出場5大会連続でメダル獲得。ロサンゼルス五輪で18歳ながら代表入りしていたのが後に監督を務めるセッターの中田久美、背番号3のセンターが後に日本バスケットボール協会会長を務める三屋裕子だった。
初めてメダル逃したソウル五輪から低迷
三たび、山田重雄監督が率いた1988年のソウル五輪は中田久美や大林素子を中心としたチームで臨んだが、準決勝でペルー、3位決定戦で中国に敗れて4位。初めて五輪でメダルを逃した日本は低迷期に突入する。
米田一典監督が指揮を執った1992年のバルセロナ五輪は準々決勝でブラジルに敗れて5位。吉田国昭監督が率いた1996年のアトランタ五輪は予選リーグ1勝4敗で9位に終わった。
さらに2000年のシドニー五輪は最終予選で4連敗を喫して出場権を逃した。2001年のアジア選手権でもメダルなし、2002年の第14回世界選手権でも13位タイとトンネルから抜け出せないでいた。
2大会ぶりの出場となった2004年のアテネ五輪で指揮を執ったのが柳本晶一監督。吉原知子、竹下佳江、大山加奈、栗原恵らが結束し、5位に入った。
2008年の北京五輪も柳本晶一監督が率いて、エース栗原恵を中心に臨んだが2大会連続5位。準々決勝でブラジルに敗れ、メダルには届かなかった。
ロンドン五輪で28年ぶり銅メダル
日本が28年ぶりのメダルに輝いたのが2012年のロンドン五輪だった。眞鍋政義監督の下、ベテラン竹下佳江や大友愛、荒木絵里香、迫田さおり、新鍋理沙、木村沙織らが躍動。準決勝でブラジルに敗れたものの、3位決定戦で韓国にストレート勝ちし、銅メダルを獲得した。
ロンドンでの功績を認められて続投した眞鍋政義監督は2016年のリオデジャネイロ五輪も指揮。しかし、準々決勝でアメリカに敗れ、5位に終わった。
コロナ禍で1年延期された2021年の東京五輪は中田久美監督が指揮。メキシコ、ミュンヘン五輪のメダリストで、1982年に女子日本代表監督を務めた生沼スミエ氏以来2人目の女性監督として期待されたが、予選リーグ1勝4敗で10位に終わった。
2024年のパリ五輪は復帰した眞鍋政義監督が指揮を執った。開幕前に古賀紗理那が五輪後の引退を表明。背水の陣で臨んだ日本はしかし、予選リーグでポーランドとブラジルに連敗を喫した。最終戦でケニアを下したものの準々決勝進出はならず9位。優勝はイタリアだった。
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記事:SPAIA編集部