古写真片手に深草今昔さんぽ【京都市伏見区を歩く】
お笑い芸人の兵動大樹さんが昔の写真が撮影された場所を訪ね、過去の出来事やまちの変遷を探りながら歩き、最後に古写真と同じアングルの写真を撮影して比較するテレビ番組がありますね。
今回は、深草で古写真が撮られた場所を訪ねてみませんか、という提案です。
古い写真は、「未来を紡ぐ深草の記憶」というWEBサイトに多数紹介されています。
https://fukakusa-archives.city.kyoto.lg.jp
深草地域の文化「保存・継承・創造」プロジェクト(深草アーカイブ)実行委員会が2022年から公開しているサイトで、実は私も実行委員会の末席を汚しています。
隗より始めよということもありますので、まずは私が、深草アーカイブに収められた写真からいくつか選んで、撮影地を歩いてみました。
西浦中公園
深草西浦町のほぼ真ん中にある西浦中公園です。上の写真は1966年9月、下は今回撮影した2025年3月。
このあたりは、太平洋戦争以前には陸軍の練兵場が広がっていました。深草アーカイブには、軍馬が闊歩し、飛行機が離着陸する写真が納められています。戦後は田園地帯になりましたが、高度経済成長期のころから宅地化が進んでいきました。
1966年の写真では、公園の周囲に建物は少なく、高い建物もないため空は広く、遠くの山並みまで見渡せます。公園ができて間もないのか、遊具やベンチはありますが、植樹はされていないようです。今は、公園の際までビルが建ち、木々も育って空は狭くなりました。春休みの午後でしたが、子どもたちの姿はなく、鳥の声だけが聞こえていました。
鴨川運河
関西電力墨染発電所のある墨染ダムの北側にかかる出雲橋のところから、鴨川運河を見下ろした風景です。上の写真は1968年10月撮影。
下の現在の写真と比べると、鴨川運河の高い柵は設けられていなかったことがわかります。鴨川運河にはかつて舟が行き来し、生活用水として水が利用されることもあったのでしょう。この写真が撮影された当時も、夏には泳ぐ人があったといいます。今は、容易に乗り越えられないフェンスが設置されています。
出雲橋の欄干も、昔は低かったようですね。ふざけながら歩いていたら、落ちてしまいそうです。今は頑丈なガードレールが取り付けられています。
運河沿いの道は舗装され、建物も高くなっています。しかし、古い写真に写っている建物で、今も残っているものがありますよ。わかりますか?
深草大亀谷万帖敷町
かつての伏見城北堀の北側に広がる平坦な高台で、1960年代頃から宅地造成が進められました。上の写真は1969年に撮影されたものです。道の先に伏見桃山城が見えます。伏見桃山城は1964年に遊園地のシンボルとして建てられたもので、2003年に遊園地が閉園された後も取り壊されずに残っています。写真の当時は開園から5年で、たくさんの人々が遊びに来ていた頃と思われます。
現在の風景と比べてみましょう。石垣のある家が道を挟んで前後に並んでいます。手前の家の石垣は変更が加えられたようですが、建物の屋根の形は同じに見えます。奥の石垣に建つ建物は、今も大きくは変わっていないようです。道の右側に並ぶ電柱の位置は変わっていないと思われますが、かつて眺望が広がっていたあたりにも家屋が建ち並んでいます。
近鉄伏見駅前の歩道橋
左は、国道24号線をまたぐ歩道橋の上で1971年夏に撮影された写真です。この写真にも伏見桃山城が写っています。国道の右側には瓦屋根の低い民家が連なっています。国道の左側には、1970年3月に開店して間もないスーパーいづみや(現在のカナートモール伏見)の看板が見えます。この歩道橋も、1970年に設置されたばかりだったようです。
右の写真が現在です。国道に沿ってマンションが並び、大きく様変わりしています。伏見桃山城は見えますか?この写真ではわかりにくいですが、拡大してみると、マンションの隙間から顔を出しているのがわかります。
さて、深草アーカイブ実行委員会では、古写真の撮影ポイントを巡って同じ構図の写真を撮ろうというワークショップを、2024年に2回開催しました。
この度、その成果をまとめた小冊子『みんなでつくった深草今昔写真集 第1集』が完成しました。伏見区役所深草支所などで無料配付を予定しています。お手にとってご覧いただけたらうれしいです。
今後も第2集、第3集と続けていく予定です。ワークショップも順次開催しますので、興味がある方はぜひ、ご一緒しましょう。リピーターも歓迎です。
(問い合わせ先:深草アーカイブ実行委員会fukakusa.kioku@gmail.com)
■スポット情報
店舗名:伏見区役所深草支所
住所:京都市伏見区深草向畑町93−1