一足先に世界が味わえた、静岡の盟主をかけた清水と磐田の5万人超えの頂上決戦【静岡ダービーを振り返る vol.2】
【スポーツライター・望月文夫】
2002年の日韓W杯の会場の一つとして、静岡県袋井市に建設された静岡スタジアム・エコパ。そのこけら落としとなったのが、2001年5月12日の第1ステージ第9節の「静岡ダービー」だった。
首位ジュビロ磐田と2位清水エスパルスの頂上決戦は、ダービー史上最多の5万2959人を記録。スタンドでは、試合1時間以上前からオレンジとサックスブルーのフラッグが揺れ、声援は轟音のように響き渡り、一足先に世界を感じさせる大一番となった。
両チームに日本代表経験者がずらり
スタンドを二分し、地元の盟主の座を争う試合でもあったが、スケールは静岡に留まらなかった。先発選手は、磐田が2トップの中山雅史、高原直泰、MFの福西崇史と藤田俊哉ら、オランダ出身のGKを除き全員が日本代表経験者。
清水もMFに澤登正朗、伊東輝悦、市川大祐、DFにも森岡隆三、戸田和幸ら日本代表経験者7人という陣容だった。そしてベンチを含め県内高校(Jユース含む)出身選手が21人を数え、静岡ダービーとして十分なシチュエーションが整った。
8連勝と首位を突っ走っていた磐田に対し、勝ち点8差ながらも2位の清水。磐田は2年前にアジアスーパー杯を制し、清水は前年の同杯準Vと事実上のアジアの頂上決戦でもあった。
この年も、清水はアジアカップウイナーズ杯準決勝のため翌日にUAEへの出発を控え、磐田もアジアクラブ選手権の最終段階が迫り、真の頂上対決はキー局のTBSから全国へと発信された。
決戦を前に地元メディアも、事前の報道合戦を展開した。その中で磐田の鈴木政一監督は「アクションサッカーが十分に機能している」とし、清水のゼムノビッチ監督も「すでに2敗したが、いまは絶好調で負ける気がしない」とともに自信を覗かせた。
清水の平松が延長で決勝ゴール
熱気に包まれ始まった試合は、立ち上がりから厳しいチェックの連続。早い段階での潰し合いで、決定機の無いまま推移した。磐田の中山と高原、清水はアレックス(この年帰化し三都主アレサンドロ)の得点が期待されたが、ともにビッグチャンスがないまま延長に突入。そして迎えた延長前半14分、磐田がゴール前の連係にもたついたスキを突き、清水のアカデミー1期生MF平松康平が押し込み、激戦に幕を下ろした。
エコパ初ゴールとなる決勝点を決めた平松は、「(決めた瞬間は)凄い歓声だけが耳に残り、喜びはその後だった」と話すと、スタジアムは更なる大歓声に包まれた。そしてこの日のヒーローは最後にこう付け加えた。「エスパルスサポーターの応援で勝てた。ただ、これだけの素晴らしい雰囲気でプレーできたのは、ジュビロサポーターのお陰だ」と。最高のライバルがいて、しっかりと相手をリスペクトする。世界に誇れる最高の「静岡ダービー」だった。
【スポーツライター・望月文夫】
1958年静岡市生まれ。出版社時代に編集記者としてサッカー誌『ストライカー』を創刊。その後フリーとなり、サッカー誌『サッカーグランプリ』、スポーツ誌『ナンバー』、スポーツ新聞などにも長く執筆。テレビ局のスポーツイベント、IT企業のスポーツサイトにも参加し、サッカー、陸上を中心に取材歴は43年目に突入。