オリックスの歴代背番号18 宮城大弥が岸田護監督、前エース山本由伸から継承
宮城大弥が13から18に変更
オリックスは24日、宮城大弥投手(23)の背番号を来季より18に変更すると発表した。2019年ドラフト1位で入団してから13を背負ってきたが、山本由伸がMLBドジャースへ移籍した今季は18が空き番になっていた。
宮城の背番号変更は、新エースとして球団からの期待の表れ。V奪回を目指す2025年はさらなる活躍が期待される。
オリックスの背番号18はどのような選手が背負ってきたのだろうか。前身の阪急時代を含めて主な選手を紹介する。
野口二郎:1946~53年
野口二郎は中京商から進学した法政大学を中退して1939年に東京セネタースに入団。戦後の1946から阪急で背番号18をつけ、投手と野手の二刀流で活躍した。
投手として通算237勝139敗、防御率1.96、野手として830安打、9本塁打、368打点、94盗塁、打率.248をマーク。引退後は阪急、毎日、近鉄などでコーチを歴任した。1989年に野球殿堂入りしている。
米田哲也:1956~75年
米田は金田正一に次ぐ歴代2位の通算350勝をマークした大投手だ。
鳥取・境高から1956年に阪急入りした当時から背番号18を背負い、「ガソリンタンク」「人間機関車」など呼ばれた旺盛なスタミナで19年連続2桁勝利をマーク。1975年シーズン中に阪神に移籍し、近鉄に移籍した1977年に引退するまで通算949試合登板、350勝285敗2セーブの成績を残した。
引退後は近鉄、阪神、オリックスなどでコーチを歴任。2000年に野球殿堂入りしている。
野中徹博:1984~88年
野中徹博は中京高時代に池田高のエース水野雄仁と甲子園で投げ合い、1983年ドラフト1位で入団。エース候補と期待されたが、1985年に7試合登板したのが阪急での唯一の一軍成績だった。
1989年に背番号18から0に変更して野手転向。一度、引退したものの1993年に台湾で投手として現役復帰すると、1994年から中日、1997年からヤクルトでプレーし、通算111試合登板で2勝を挙げた。
酒井勉:1989~96年
酒井勉は日立製作所から1988年ドラフト1位で、阪急から球団買収したばかりのオリックスに入団。1年目に9勝7敗9セーブをマークして新人王に輝いた。
1992年にも先発で10勝を挙げるなど、プロ通算117試合で33勝31敗14セーブ。引退後はオリックスや楽天でコーチを務め、2024年に母校・東海大学のコーチに就任した。
杉本友:1997~2000年
杉本友は1996年ドラフト1位で筑波大からオリックスに入団。国立大学出身者初のドラフト1位選手として話題になった。
オリックスでは4年間で9勝を挙げ、2000年オフに横浜へトレード移籍。ヤクルト移籍後の2005年に引退するまで通算126試合で12勝23敗1セーブの成績を残した。
山口和男:2003~09年
山口和男は三菱自動車岡崎から1999年ドラフト1位でオリックスに入団。最速158キロの剛速球で注目を集め、2003年に背番号14から18に変更となった。
2004年には40試合に登板して3勝3敗17セーブをマーク。2009年に引退するまで通算173試合で14勝15敗29セーブ4ホールドの成績を残した。
岸田護:2010~19年
岸田護は2005年大学・社会人ドラフト3巡目でNTT西日本からオリックス入り。2011年には68試合で5勝6敗33セーブをマークするなど主にリリーフとして活躍した。
当初は背番号14だったが、2010年から18に変更。2019年の引退まで背負い続け、通算433試合で44勝30敗63セーブ63ホールドの成績を残した。2024年オフに監督に就任した。
山本由伸:2020~23年
山本由伸は2016年ドラフト4位で都城高から入団。当初は背番号43だったが、2020年から4シーズン、18を背負った。
2021年から3年連続で最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手4冠。NPB通算70勝をマークし、2023年オフにポスティングシステムを利用してMLBドジャースに移籍した。
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記事:SPAIA編集部