凄い築山(つきやま)が二つもあります【駅ぶら】06京王電鉄444 井の頭線75
※2024年4月撮影
トップ画像は「高井戸駅」から環状八号線を南に400メートルほどの「高井戸不動尊 天台宗吉祥院」。参道から環八を見ています。
左に案内があります。
※2024年4月撮影
記載内容は以下です。
「吉祥院
当院は象頭山遍照寺と号する天台宗の寺院で本尊は木造不動明王坐像です。開山は上高井戸村の行者・並木卓善で、中興の2世榎本晃恭によって明治16(1883)年に当地に移転しました。
並木卓善は不動明王を信仰し、明治8年に新省講を結成、さらに講中の寺院を創設しようと図りましたが、当寺は寺院の新設が禁止されていたため、谷中(台東区)の吉祥院(江戸初期に霊岸島に開創され、のち谷中に移転。寛政年間に松平定信(楽翁公)の崇信を受け、寺俸200石の大寺席となったと伝わる)の住職に2世榎本晃恭が就任し、檀信徒協議の上、許可を得て明治16年に当地に移転しました。当院は、新省講の祈願寺として信徒の信仰を集めました。
現在の本堂は、江戸時代に東叡山(上野寛永寺)より拝領した慈眼堂を、明治16年に谷中より移築したものです。また、境内の築山は、五大明王、三十六童子、八大童子、身代わり不動、大日如来、くりから不動等を配置したものです。
なお、当院は信徒から寄進された多くの記念石碑のほか、江戸時代につくられた大日如来像、阿弥陀如来像、地蔵菩薩像などの仏像も所蔵しています。
令和6年3月 杉並区教育委員会」
ちょっと解説します。新省講は成田山新勝寺参詣を挙行する「成田講」の一つ。信仰集団として礼拝堂としての寺院を創設することを欲した様です。従って寺院の檀家ではなく講の構成員(信徒)がその祈願所とした寺院です。
また明治維新新政府は、王政復古・祭政一致の神道国教化の方針で神仏分離令を発しました。これにより寺院の新設が認められなかったと思われます。
余談です。成田山新勝寺は真言宗智山派の本山、仏教寺院です。本尊は不動明王。平安時代中期、東国で起こった平将門の乱、朝廷が命じた将門調伏によってこの地で朝敵調伏の不動護摩供を行ったことがその起源です。
それ故、平将門を祭神として祀る神田明神や築土神社などの信徒は成田山新勝寺を参りません。
参道の突き当たりに吉祥院御嶽社、右は山門。
※2024年4月撮影
山門の奥に本堂があります。
※2024年4月撮影
蔵王権現を祀る吉祥院御嶽社。神様にご挨拶しました。
※2024年4月撮影
立派な山門を入ります。
※2024年4月撮影
本堂。左に「杉並区保護樹木」の巨木。
※2024年4月撮影
右に不動明王の眷属「矜羯羅童子(こんがらどうじ)」像。
※2024年4月撮影
左は、「矜迦羅童子」と対で不動明王の脇侍(きょうじ)の「制吒迦童子(せいたかどうじ)」像。カメラ位置を引いて清掃工場の煙突と本堂をいれてみました。
※2024年4月撮影
では不動明王にご挨拶します。本堂は、江戸時代に東叡山(上野寛永寺)より拝領した慈眼堂を、明治16年に谷中より移築したものと書かれていました。
※2024年4月撮影
境内の古いお地蔵様。
※2024年4月撮影
本堂東側の築山。大日如来、くりから不動尊、身代わり不動尊など多くの石像がならんでいます。
※2024年4月撮影
西側には、さらに多くの石像がならぶ築山があります。数えていませんが不動明王の三十六童子や幾つものお不動様がならんでいます。
※2024年4月撮影
石像ひとつひとつをじっくり丁寧に見てゆくのは素晴らしい時間の過ごし方でした。
「タイパ」などと時間の効率を求めて生きても人生が豊かになるコトとは関係ない様な気がします。与えられた限られた時間をどの様に過ごすかは、所詮個々人の問題ですが・・・。
次回は「高井戸駅」から「富士見ヶ丘駅」に向かいます。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)