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黒川紀章「中銀カプセルタワービル」はリモートワーク時代を先取りした職住一体住宅~愛の名住宅図鑑23「中銀カプセルタワービル」(1972年)

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ユニット式の住空間を「カプセル」と呼んだ黒川のセンスも素晴らしい(イラスト:宮沢洋)

解体されても“細胞”は生き続ける中銀カプセルタワービル

ありし日の中銀カプセルタワービル。2021年夏に撮影(写真:宮沢洋)

今回、取り上げるのは黒川紀章(1934~2007年)が設計した「中銀(なかぎん)カプセルタワービル」である。

ローマ国立21世紀美術館(MAXXI)の庭に置かれたカプセル。2025年6月撮影(写真:宮沢洋)

えっ? 壊されて、もうないでしょ?と思った方もいることだろう。そうなのである。本連載ではこれまで、現存する名住宅を取り上げてきた。だが、方針を変えた。

筆者は先日、イタリアのローマに出張に行った折に、「ローマ国立21世紀美術館(MAXXI)」の庭で、中銀カプセルタワービルの住宅カプセルを発見したのである。知っていて行ったのではない。たまたまだ。あのザハ・ハディド(国立競技場の当初案が白紙になった建築家)が設計した前衛的な建物の前に、黒川のカプセルがボンッと置かれていたのである。

1年前には、これもたまたま見に行った和歌山県立近代美術館で中銀のカプセルを発見した。この美術館は黒川の設計で1994年に完成したもの。20年先に生まれた兄の体の一部を抱え込んでいるような状態だ。

建物は解体されても、その“細胞”は生きている──。この連載で取り上げてもよいのではないか。いや、なぜこれほど影響を与え続けるのかを伝えるべきではないか、と思えてきたのである。

和歌山県立近代美術館の入り口近くに置かれたカプセル。2024年5月撮影(写真:宮沢洋)

1970年の大阪万博「タカラ・ビューティリオン」がきっかけに

ユニット式の住空間を「カプセル」と呼んだ黒川のセンスも素晴らしい(イラスト:宮沢洋)

「中銀カプセルタワービル」は黒川紀章の設計により1972年に完成した分譲マンションである。

見上げ(写真:宮沢洋)

黒川が“住宅カプセル”を世に知らしめたのは、1970年の大阪万博だった。

黒川は前年の1969年、ユニット式の住空間を提案する「カプセル宣言」を発表。1970年の大阪万博では、そのコンセプトモデルである「住宅カプセル」をお祭り広場大屋根の中の「空中テーマ館」で展示した。そしてもう1つ、同万博の企業パビリオンである「タカラ・ビューティリオン」では、ジャングルジムのような構造体にカプセルをはめ込んだ建築を実現した。

この箱を「カプセル」と呼んだことも1つの発明だった。カプセルは本来、何かを詰める密閉容器の意味。この言葉を一躍有名にしたのは、米国が遂行した月探査のアポロ計画(1961~1972年)だ。宇宙飛行士を乗せて地球へと帰ってくる司令船のことをカプセルと呼んだ。ユニット式の住戸を「カプセル」と呼ぶことで、そこに未来感が加わった。

大阪万博のタカラ・ビューティリオンを見て、ある実業家が黒川氏に分譲マンションの設計を依頼する。中銀グループの創業者、渡辺酉蔵(とりぞう)だ。渡辺は1957年から貸ビル事業会社を営み、都市の人口増加に対応する高層化住宅に着目していた。1961年に中銀マンシオン株式会社を設立。1972年、黒川の設計で「中銀カプセルタワービル」を完成させた。

垂直に立つ2本のシャフトを「塔状人工土地」ととらえ、その周りに140個の住宅カプセルを片持ちの状態で設置した。一方は地上11階建て、もう一方は13階建てだ。

1970年の大阪万博で黒川は2つの住宅カプセルを世に問うた(イラスト:宮沢洋)

住宅カプセルは「ほぼ100%完成」した状態で現場に

将来的にはカプセルごと移動するライフスタイルを提案(イラスト:宮沢洋)

住宅カプセルは幅が約2.5m、高さ約2.5m、奥行き約4m。工事面で画期的だったのは、カプセルを別の場所で「ほぼ100%完成」の状態にしてから、現場で取り付けた点だ。フレームだけでなく、室内設備を装着したものを現場に運んだのだ。

ゆえに、運搬するカプセルのサイズは実際と同じ2.5m×2.5m×4m。これは8トンコンテナとほぼ等しいという理由で決められた。

カプセルは主に滋賀県のコンテナ工場で組み上げられ、トラックに載せて約450km離れた銀座の現場まで運ばれた。施工期間は13カ月。かなりスピード感のある現場だったと想像される。

黒川がカプセルにこだわったのは、もちろん工事の速さのためだけではない。黒川はこれを「交換可能」な住居であるとアピールした。そして、将来のカプセルの在り方として、ウイークデーは都心のカプセルで過ごし、週末にはトレーラーなどを利用してカプセルごと移動してリゾート地で過ごすというライフスタイルを提唱した。

中銀カプセルタワービルは、メタボリズムの代表例として世界に発信

上部のカプセル。カプセル同士は接していないが、隙間が狭いため、実際に取り外して交換することは困難な状態だった。2019年に撮影(以下の写真も)(写真:宮沢洋)

こうした考え方は、「スカイハウス」(設計:菊竹清訓、1958年)の回でも触れた「メタボリズム」にドンピシャだった。

メタボリズムは、「新陳代謝」という時間的な概念を導入することで、可変性や増築性に対応した建築・都市空間を目指す考え方。1960年に、評論家の川添登を中心に、黒川、菊竹清訓、大高正人、槇文彦らによって提唱され、世界的なムーブメントとなった。中銀カプセルタワービルはそのわかりやすい実例として世界に発信された。

世界が注目する中銀カプセルタワービルだったが、竣工から50年たって老朽化が進行。保存運動も実らず、2022年4月から10月にかけて解体された。交換を想定して設計された140個のカプセルは、結局、1つも交換されることはなかった。

建物は姿を消したが、140個のカプセルのうち、23個のカプセルが取り外され、国内外の美術館や商業施設、宿泊施設などに引き取られた。筆者が見たローマや和歌山のカプセルはその一部だ。ニューヨークの「MoMA」(ニューヨーク近代美術館)や香港の「M+」も取得している。

考え抜かれた室内は「SOHO」の先駆け

カプセル内。中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト代表を務めた前田達之氏が所有する住戸内を2019年に撮影したもの(下の写真も)(写真:宮沢洋)

なぜ、そんなにも人々の関心を引き続けるのだろうか。

理由の1つが「メタボリズムの代表的な建築だから」ということは間違いない。細胞が集まったようなデザインは、まさに“新陳代謝”を想像させる。

解体前のカプセルを実際に訪れた筆者は、もう1つ大きな要因があると思った。それは、“考え抜かれたSOHO性”だ。念のため、SOHOとは「Small Office/Home Office」の略で、自宅や小規模なオフィスを仕事場として活用することを指す。1990年代後半に広まった言葉で、竣工当時にそんな言葉はない。

このカプセルは、販売当初から室内にバス・トイレのユニットとベッドが付き、壁面には収納式のデスクや電話、オーディオ装置、電卓などが備え付けられていた。家だからバス・トイレは当然としても、家具や電子機器が最初から付いているマンションは当時も今も珍しい。

このカプセルの内部はオリジナルに近い。コクピットのように機器がぴっちりと収められている(写真:宮沢洋)
今見ても欲しくなる…(イラスト:宮沢洋)

それぞれが無駄なくすっきりと配置され、そのほとんどが同じ位置で手にできてしまう。机は収納式で、コクピットを思わせる壁にピタリと収まる。オーディオ装置や電卓は旧式であるものの、その存在自体が美しい。筆者は入った瞬間に「うわ、このカプセル欲しい!」と思った。

反論があるかもしれないが、日本の建築家は、「建築」という器にこだわる割に、中に入れる生活用具にそれほど頓着のない人が少なくない。黒川は父親の黒川巳喜(みき、1905~1994年)が建築家であり俳人でもあったという影響もあるのか、人間の生活の中から未来の建築を考えることを好んだ。

当時の黒川は、動くことが人間の本質であると捉え、新時代の人間の在り方として「ホモ・モーベンス(動民)」を提唱していた。動く人間の住まいには、自由に動かせる機動性(モビリティ)が必要だ、というわけである。現在のようにリモートワークが当然になると、改めてそのリアリティが増してくる。そんなこともあって、世界が再び住宅カプセルに注目しているのだろう。

誰もが知る「カプセルホテル」も黒川紀章が第1号

窓は二重窓になっていて、内側は室内側に開くが、外側は開かない。内側の開閉窓は、内蔵された円形の日よけを操作するためのもの。上の住戸とは異なる住戸(前田達之氏が所有)で撮影(写真:宮沢洋)

ちなみに、黒川が定着させた別のカプセル技術もある。それは誰もが知る「カプセルホテル」だ。

これも、きっかけは1970年の大阪万博。前述の「空中テーマ館住宅カプセル」だ。大阪でサウナや飲食店を展開していたニュージャパン観光社長の中野幸雄は、この住宅カプセルにヒントを得て、宿泊専用カプセルの設計を黒川に依頼。1979年開業のカプセルホテル第1号「カプセル・イン大阪」が生まれた。なんと、こちらは今も第1号のカプセルが現役で使われている。

ビルの入り口(写真:宮沢洋)

■概要データ
中銀カプセルタワービル
所在地:東京都中央区銀座8-16-10
設計:黒川紀章建築都市設計事務所
施工:大成建設、大丸装工部(カプセル制作)
階数:地下1階・地上11階および13階
構造:鉄骨鉄筋コンクリート造、鉄骨造
敷地面積:441.89m2
延べ面積:3091.23m2
竣工:1972年(昭和47年)

■参考文献
『新建築』1972年6月号
タカラベルモントWEBサイト https://www.takarabelmont.com/info_20211116_01/
『日経アーキテクチュア』2019年12月26日号建築巡礼「カプセルよ、転生せよ」(磯達雄)

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