「米津玄師以前、米津玄師以後」で、日本の音楽はどう変わったのか──【日本ポップス史 1966-2023】
音楽評論家・スージー鈴木さんによる唯一無二のポップス史『日本ポップス史 1966-2023 あの音楽家の何がすごかったのか』。売れ行き好調につき発売即増刷が決定しました。
レジェンド音楽家が何を成し遂げたのか、そして誰に何を継いだのか──日本のロック、フォーク、ニューミュージック……「日本ポップス史」の全体像を知りたいと思ったときにまずは手に取るべき本書より、増刷を記念して「2018年の米津玄師」を全文公開いたします。
米津玄師さんの登場は、音楽界にどのようなインパクトを与えたのでしょうか。
2018年の米津玄師
民主主義から生まれた才能
今となっては7年前、2018年のあれこれを思い出すと、米津玄師の音楽が流れてくる。
特に『Lemon』、特に歌い出し《♪夢ならば》が聴こえてくる。
ヒット曲は、のちのち、その時代を振り返るときのBGMとなるものだが、18年という時代と『Lemon』との結び付きはことさらに強固だ。森友問題、西日本豪雨(平成30年7月豪雨)、平昌五輪……そして《♪夢ならば》。
特筆すべきは、米津玄師の出自である──「ボカロP」出身。
ボカロPとは、ボーカロイド、略して「ボカロ」という音声合成技術を用いて、オリジナル楽曲を制作・発表するクリエイターのこと。「P」はプロデューサーを意味する。
つまり米津玄師は、初音ミクに代表されるボーカロイドを使って「ニコニコ動画」などで曲を発表していく中で、世間に認められ、18年、音楽シーンのトップにまでのぼり詰めたのだ。
私はボカロ界隈に無縁な世代だが(とはいえ、のちに初音ミクのソフトは買った)、それでも、こういうブレイクストーリーを何だか、とても好ましく思う。
ボーカロイドで作品を作って、それをネットで公開して、一般の人々の中で評判が伝播して、その結果として、メジャーデビューし、大ブレイクしていくというストーリー。
昭和の時代のオーディションやコンテストなど、大人が仕掛けた「狭き門」(それは往々にして事情や利権にまみれている)から運良く、もしくはコネとかで選ばれた才能のみに、大人が与えるブレイクストーリーよりも、まったく健全ではないか。
少なくとも、平成後期からのブレイクストーリーは、極論すれば、私でも参加しようと思えば参加できるような「広き門」から始まっている。また「審査員」が訳知り顔の音楽業界関係者ではなく、一般の人々だということも、民主主義的で健全だと思う。
とにかく、そんな民主主義的な競争環境の中から出てきた才能が、最近の若い音楽家たちであり、その代表が米津玄師なのだ。
ちなみに米津玄師は、かつての自分を含むアマチュアクリエイターたちが、ボーカロイド楽曲をこぞって発表していた00年代後半のニコニコ動画を「故郷」だと述べている。
──「そこは新しく生まれた遊び場で、別に将来のことも考えず、みんなでただひたすら無邪気にやってるだけの空間だった。混沌としていて、刺激的で、すごく魅力的だったんですね。そこで得たものは計り知れないし、実際に自分の音楽のキャリアはそこで始まっている。稀有な土壌だったと思います」
(Yahoo!ニュース/17年10月30日)
平成の終焉と米津玄師の始まり
さて、18年にもなると、私はもう、東京スポーツ紙でヒット曲を紹介する連載コラムを持っていて、年末には年間ベストテンを発表したりしていた。
1位:米津玄師(MVP)『Lemon』(レコード大賞)
2位:米津玄師『Flamingo』
3位:BiSH『My Landscape』(歌唱賞)
4位:DA PUMP『U.S.A.』(話題賞)
5位:木村カエラ『ここでキスして。』
6位:菅田将暉『さよならエレジー』
7位:椎名林檎と宮本浩次『戦ゆく細道』
8位:UNISON SQUARE GARDEN『春が来てぼくら』
9位:あいみょん『マリーゴールド』(新人賞)
10位:宇多田ヒカル『初恋』
この年は、米津玄師のワンツーフィニッシュとなった。あまりにも米津玄師が図抜けていると思ったので、本文では、こんな風に書いてみた。
──今年の1位は、この人のこの曲をおいて他にはないだろう。逆に、この人・この曲抜きで、今年を総括しようとしている各種アワードや年末の番組は、何を考えているのだろうとさえ思う。
音楽的視点で興味を持ったのが、マイナー(短調)の曲が多いということだ。ワンツーフィニッシュとなった『Lemon』『Flamingo』ももちろんマイナー。それどころか、当時のアルバム『BOOTLEG』(17年)収録曲の、ほぼ全曲がマイナーだった(逆に明確にメジャーと断言できるのは『かいじゅうのマーチ』『ナンバーナイン』のみ)。
誤解を怖れず言えば、平成のJポップはメジャー(長調)の音楽だった。元気で外に向かっていくようなサウンドをバックに、「がんばろう」「元気だそう」、そうすると「夢はかなう」というメッセージを持つ曲が目立った。
対して『Lemon』などは、《♪夢ならば》という例の歌い出しから、マイナーで陰鬱で救いようのない感じがする。
ある意味で、昭和歌謡にも通じるものも感じた。私が想起したのは、80年代中盤、ニューミュージックと歌謡曲の中間市場を切り開いて成功を収めた玉置浩二率いる安全地帯のサウンドだ。
また、そんな曲調は、時代とも合っていたような気がする。
まだバブルの名残がある平成初期であれば、メジャーキーで「がんばろう」「元気だそう」「夢はかなう」などと歌う曲も世間は飲み込めた。
しかし、リーマンショックや東日本大震災を経て、一向に景気が好転しない中、「炎上」を気にして「忖度」しながら「空気を読んで」声を潜める社会のBGMとしてぴったりだったのが、米津玄師『Lemon』、そしてKing Gnu『白日』(19年)のような、陰鬱でしっとりしたサウンドだったと思う。
ちなみに『Lemon』について注目するべきは、この曲が米津玄師の祖父の死をテーマにしていることだ。この点において、前項の宇多田ヒカル『道』(余談ながら、私の東京スポーツ連載における16年の年間ランキング第1位)とこの曲がつながる。
日本の音楽シーンが「死」を歌う曲を受け入れ、そして「死」を歌うシンガーが、シーンのトップに君臨する時代になったのだ。
「米津玄師以前、米津玄師以後」
あと少々専門的な話になるが、コードの使い方もとても個性的で、例えば、この上なく陰鬱なコード「m7-5」を多用したり(私は「米津玄師コード」と呼んでいた)、聴いたことのない循環コードを多用したりした。
さらには歌詞も個性的で、私がもっとも好きな彼の作品『死神』(21年)などは、古典落語「死神」の世界を歌う。そんなポップスターが他にいるだろうか。
さらに違う視点から言えば、「プロ・タイアッパー」であることも、私にとっては高評価ポイントだ。
「プロ・タイアッパー」は私の造語で、CMやドラマ、映画などとのタイアップを単なる拡販に向けた露出機会と割りきるのではなく、タイアップ先の世界観を、十分に理解した上で、世界観をさらに増幅する音楽を創り出すという、高度な関係性を持ったタイアップのあり方を追求する音楽家ということ、つまりは米津玄師のことだ。
その最高の例が、NHK朝ドラ『虎に翼』の主題歌『さよーならまたいつか!』(24年)であり、その前年23年の映画『君たちはどう生きるか』の主題歌『地球儀』だった。
「米津玄師以前、米津玄師以後」という感じもある。18年を紀元として、スマホとサブスクと動画サイトに支えられる(そしてCDを買う枚数がガクンと減った)音楽生活が本格的にやってきた。
そして、先の年間ランキングに挙げた、この頃から聴き始めた新しい音楽には、どこか健全で、民主主義の匂いが立ち込めていた。
『さよーならまたいつか!』
「2018年」ではなく「2024年の米津玄師」の曲について書く。先にも述べた、NHK朝ドラ『虎に翼』の主題歌『さよーならまたいつか!』である。同年の東京スポーツ紙の連載コラムの年間ランキング1位とした傑作。
注目すべきはやはり、彼の「プロ・タイアッパー」ぶりだ。映画『君たちはどう生きるか』(23年)に寄せた『地球儀』も素晴らしかったが、『虎に翼』×『さよーならまたいつか!』も、ドラマ内容と音楽の見事なマリアージュだったと思う。
ドラマの内容に則しながら、女性の社会進出を描いた歌だと、私は解釈した。『虎に翼』のタイトルバックでは、様々な職業の女性が、この曲に合わせて踊るシーンがあったので、この解釈は基本、間違ってはいないものと思う。
また《♪しぐるるやしぐるる町へ歩み入る そこかしこで袖触れる》などの古めかしい表現も、昭和から現代にわたるドラマに合わせたように思う。
お得意のマイナーキーに乗せて、トラディショナルな味わいを感じさせる音階=ペンタトニックを端々に使ったメロディを、米津玄師が、あの粘着的な声で歌っていく。
歌詞のクライマックスは、曲の最後の最後に置かれた《♪生まれた日からわたしでいたんだ》だろう。
ドラマの中では、障害者、在日コリアン、LGBT、被爆者……の女性が、厳しい差別に苦しみながら、個人としての尊厳を奪い返していく。
転じて『さよーならまたいつか!』は、女性だけでなく、この不透明な令和の現実の中、個人としての尊厳を奪われたすべての人々へのメッセージだと、私は受け取った。
2020年代を代表する曲になることだろう。もしかしたら100年先にも残っているかもしれない。
『日本ポップス史 1966-2023 あの音楽家の何がすごかったのか』では、
・第1章「1966-1979」で、かまやつひろし/加藤和彦/細野晴臣/財津和夫/矢沢永吉とジョニー大倉/井上陽水/荒井由実/中島みゆき/桑田佳祐/ミッキー吉野/小田和正と鈴木康博を、・第2章「1980―1994」で、佐野元春/忌野清志郎/大滝詠一/山下達郎/浜田省吾/氷室京介と布袋寅泰/甲本ヒロトと真島昌利/岡村靖幸/奥田民生/小室哲哉/小沢健二を、
・第3章「2016―2023」で、宇多田ヒカル/米津玄師/Vaundyを、
それぞれ取り上げて日本のポップス史を辿ります。
◆イラスト:竹田嘉文
スージー鈴木
1966年、大阪府東大阪市生まれ。音楽評論家、ラジオDJ、作家。早稲田大学政治経済学部卒業。昭和歌謡から最新ヒット曲まで、邦楽を中心に幅広い領域で音楽性と時代性を考察する。著書に『沢田研二の音楽を聴く 1980-1985』『大人のブルーハーツ』『中森明菜の音楽 1982-1991』『80 年代音楽解体新書』『サザンオールスターズ1978-1985』『桑田佳祐論』『幸福な退職』など多数。
※刊行時の情報です