#4 平家全盛のきっかけとは。安田登さんと読む『平家物語』【別冊NHK100分de名著】
安田登さんによる『平家物語』読み解き #4
公家の時代から武家の時代へ、平家から源氏へ。時代の転換期のダイナミズムを描いた『平家物語』。平家はなぜ栄華をきわめ、没落していったのか。戦乱のなか、人々は何を思い、どう行動したのでしょうか。
『平家物語』を知り尽くした博覧強記の能楽師・安田登さんが、難解で長大な物語を「大きな出来事」に絞って解説する『NHK別冊100分de名著 平家物語 こうして時代は転換した』では、時代が動くとき、世の価値観はどのように変化したのか。その変化のありようを私たちが生かせる道とはどんなものなのかについて、読み解きとともに考えていきます。
全国の書店とNHK出版ECサイトで2025年10月まで開催中の「100分de名著」フェアを記念して、歴史が私たちに伝えようとしたことを探る本書より、その一部を公開します。(第4回/全7回)
平家全盛のきっかけ──殿上の闇討ち
「祇園精舎」の段に続いて語られるのは、平家全盛のきっかけとなった出来事です。清盛の父・忠盛(ただもり)の時代に起きた、殿上(てんじょう)の闇討(やみう)ちという事件です。
平忠盛は、鳥羽院(とばいん)のために得長寿院(とくちょうじゅいん)という寺を造営し、三十三間(げん)の御堂(みどう)を建てて一千一体の御仏(みほとけ)とともに贈りました。鳥羽院はこれに感激して、宮中への昇殿(内(うち)の昇殿)を忠盛に許します。これは異例中の異例です。それを可能にしたのは平家の財力です。忠盛はその財力で鳥羽院が昇殿を許すほどの寄進(きしん)をしたのです。
当時、武士や中級以下の貴族が、宮中に上がれるような上級貴族になることは、本来は絶対に不可能なことでした。しかし忠盛は、そうした絶対的な身分の違いを、財力によってポンと飛び越えてしまったわけです。これは、ほかの貴族にとっては許せない出来事です。
『平家物語』には、この出来事について「雲(くも)の上人是(うへびとこれ)を猜(そね)み」(公卿(くぎょう)・殿上人(てんじょうびと)たちはこれをねたんで)と書かれています。つまり、貴族たちの「驕り(権利の独占を当たり前だと思うこと)」が描写されているわけです。そこで貴族たちは、「宮中での儀式のときに忠盛を闇討ちしよう」という計画を立てます。忠盛は事前にこの計画を察知するのですが、事の顚末(てんまつ)を語る前に、貴族と「闇討ち」との関係を見ておきたいと思います。
一一五六年に起きた保元(ほうげん)の乱を描いた『保元物語』にこんな一節があります。保元の乱は、崇徳(すとく)上皇と後白河天皇の対立に摂関家の対立が絡(から)んで起きた権力闘争です。崇徳上皇側に付いた藤原頼長(よりなが)は、臣下である武士の源為朝(ためとも)に、「どうやって戦えばよいのか」と尋ねます。すると為朝は、「夜が明ける前に夜討ちをしましょう」と答える。それに対し頼長は、「夜討ちなどというのは、お前たち十騎、二十騎の軍のすることだ。天皇と上皇の戦いではそんなことはしない」と言って為朝の案を却下してしまいます。
貴族にとっては、戦いは堂々と昼間にするものであって、こそこそと夜に仕掛けるものではない、夜に戦いをするなど冗談ではない、というのが頼長の主張です。最終的に、頼長らは敵に夜討ちをされて負けてしまうのですが、ここで重要なのは、昼間=光をコントロールするのが貴族であり、夜=闇をコントロールするのが武士である、という構図です。
この構図を踏まえて『平家物語』に戻りましょう。貴族は光の世界の人間ですから、闇討ちが得意ではありません。その貴族たちが忠盛を闇討ちしようと計画したというところは、「闇打(やみうち)にせむとぞ擬せられける」と書かれています。「擬す」とは「計画する」ということですが、貴族としては武士の真似をして夜討ちをしようと思ったのかもしれません。
一方、この計画を知った忠盛は、武家に生まれた自分がこのような思いがけない恥を受けるわけにはいかないと、対策を準備します。『平家物語』には「兼(か)ねて用意をいたす」と書かれています。「用意」とは、「意を用いる」こと、すなわち深い心遣いで未来を予見して計画を立てることです。
さて忠盛はどうしたのか。
参内(さんだい)のはじめより、大きなる鞘巻(さやまき)を用意して、束帯(そくたい)のしたにしどけなげにさし、火のほのぐらき方(かた)にむかッて、やはら此刀(このかたな)をぬき出(いだ)し、鬢(びん)にひきあてられけるが、氷なンどの様(やう)にぞみえける。諸人(しよにん)目をすましけり。
(参内する前から、大きな鞘巻を用意して、束帯の下にだらしなく無造作に差し、火の薄暗い方に向かって、おもむろにこの刀を抜いて、鬢の毛に引き当てられたが、それがとぎ澄ました氷の刃のように見えた。人々はじっと目をすましてこれを見守った。)
(巻第一 殿上闇討)
これは、闇に潜む公卿・殿上人から自分がどう見られるかを計算した上での忠盛の行動でしょう。大きな鞘巻(腰刀(こしがたな))を「しどけなげに(無造作に)」差していたというのが格好いいですね。
そして薄闇の中、おもむろにその刀を抜いて、自分のこめかみに引き当てた。これはほとんど任俠映画の世界ではないでしょうか。闇の中で刃(やいば)が氷のように光る。その様子に人々は「目をすましけり」とあります。「耳をすます」という表現はよく聞きますが、「目をすます」という表現はあまり聞かない。それだけ忠盛の姿に、公卿・殿上人がぐうの音(ね)も出ない異様な迫力があったということでしょう。
結局、貴族たちの闇討ちの決行は取りやめになりました。忠盛は酒宴で笑いものにされたので、この鞘巻を女官に託して帰ってしまいます。
ちなみに宮中では刃物の持ち込みが禁止されています。まして抜刀したとあっては、後世の忠臣蔵の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)と同じ。厳罰に処せられることは必定です。そこで貴族たちが抜刀の事実を上奏すると、女官からくだんの刀が差し出されます。見ると、それは木刀に銀箔(ぎんぱく)を貼ったもの。鳥羽上皇はその心掛けは感心だと忠盛を褒めました。「木刀(きがたな)を帯しける用意のほどこそ神妙(しんべう)なれ」と鳥羽院は言うのですが、ここにもまた「用意」が使われます。闇をわがものとして縦横に立ち回り、平家全盛のきっかけをつくったのが、武士である忠盛だったのです。
光の貴族、闇の武士
光に生きる貴族と、闇を支配する武士。これは、『平家物語』全体を規定する重要な枠組みです。光の貴族とは、戦いとは公明正大であるべきであり、実際に光の中で行われなければならないと思っている人たちです。彼らは和漢の言葉遣いも巧みに、表舞台で政治を行います。
対して闇の武士とは、戦いにおいては公明正大であることよりも勝つことが重要であると考え、実際に闇を利用して戦う人たちです。常に自然とともにあり、それを利用する術を知り尽くしています。彼らは言葉よりも行動を重視するのです。
また光の貴族は、未来を考えるとき、まず過去を参照します。参照の「照」はまさに光を連想させる字ですね。さきほどの「闇打にせむとぞ擬せられける」も、過去の武士の行動からヒントを得ている。
過去を参照して未来を考える貴族にとって、もっとも大切なものは有職故実(ゆうそくこじつ)を記した日記です。貴族が残した日記というものは歴史を研究する上でも非常に重要な史料で、たとえば『平家物語』に書かれていることが史実かフィクションかをチェックするときには、同時代の公卿、九条兼実(くじょうかねざね)が書いた『玉葉(ぎょくよう)』という日記や、貴族の日記を中心にまとめられた歴史書『百錬抄(ひゃくれんしょう)』などが使われます。
それに対し、武士はそうした過去を参照せず、「いまここ」の地点から未来を考えます。闇討ちの計画を知った忠盛が、そこから対策を「用意」したのが恰好の例です。
私は、この対比は本当におもしろいと思っています。というのも、現代が、過去を参照して未来を考えるのが難しい時代になっているからです。たとえば、人工知能が人間の脳を凌駕(りょうが)するシンギュラリティが起こるなどと言われていますが、それが来るとどうなるのかは、過去を参照して予測することが難しい。
イノベーションも同じです。しかし、イノベーションを起こすために過去ばかりを参照する人がいまだに多い。過去ばかりを参照していてはイノベーションを起こせないことは自明の理です。それでは「リニューアル」になってしまうからです。過去だけを参照することをせずに、全く新しい思考がどこまでできるか、それを突き詰めた先に生まれるのがイノベーションです。ゼロから考えて全く新しいものを生み出す。『平家物語』の時代にそれができたのが、武士でした。
■『別冊NHK100分de名著 集中講義 平家物語 こうして時代は転換した』(安田登 著)より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビは権利などの関係上、記事から割愛しております。詳しくは書籍をご覧ください。
※本書における『平家物語』『太平記』の原文および現代語訳の引用は『新編 日本古典文学全集』(小学館)に拠ります。読みやすさを考慮し、現代語訳の一部に手を加えています。
著者
安田 登(やすだ・のぼる)
能楽師。1956年千葉県生まれ。下掛宝生流ワキ方能楽師。関西大学(総合情報学部)特任教授。高校教師時代に能と出会う。ワキ方の重鎮、鏑木岑男師の謡に衝撃を受け、27歳で入門。現在はワキ方の能楽師として国内外を問わず活躍し、能のメソッドを使った作品の創作、演出、出演などを行うかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を全国各地で開催。日本と中国の古典の「身体性」を読み直す試みにも取り組んでいる。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。
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