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SNSで人気の仏教マンガで学ぶ「法要で誰のためにお経を読む?」実は私たちのため!?

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SNSで人気の仏教マンガで学ぶ「法要で誰のためにお経を読む?」実は私たちのため!?

現役の僧侶(浄土真宗本願寺派)である近藤丸さん(@rinri_y)が描く漫画『ヤンキーと住職』。少々、人付き合いがちょっと苦手な住職と、仏教やその用語が大好きなヤンキーの微笑ましいやりとりを通して、用語の正しい意味や、仏教について学ぶことができる漫画です。


そんな『ヤンキーと住職』の中から特に印象的なエピソードを厳選し、近藤丸さんのインタビューと共にご紹介。ヤンキー君の言葉に心を打たれ、自分の代わりに檀家へのお勤めに行ってもらうことにした住職。不審がる檀家の人にヤンキー君は...。


「一人で全部やろうと思うなよ」というヤンキー君の説得に打たれ、門徒式章を渡す住職。自分が怪我をしたとき、彼が来てくれたのも何かの縁だと託すことを決心したのだ。式章を受け取り、ヤンキー君は檀家へのバイクを走らせる。

宗派によって、読まれるお経は違う


――お坊さんの読経、いい声だと聞き入ってしまう気持ちは分かります。以前、「お経にはさまざまな悩みの解決方法やお釈迦さまからのメッセージが書かれている」と話していらっしゃいましたが、数も多く、宗派によってとなえるお経も違うそうですね。


近藤丸さん(以下、近藤丸) お釈迦さまは、さまざまな人の悩みや資質に合わせて、臨機応変に教えを説かれました。最終的には「八万四千の法門」と呼ばれるような多くの教えを、お釈迦さまは残したといわれています。現代の私たちが法要や日々のお参りの中でお経を聞く中心的な意味は、私たちが今ここで教えを聞き、大切なことに目覚めていくということになってきます。


さて、仏教には沢山の宗派がありますが、「どのお経を大切にするか」ということが宗派の違いを生んだと言っても間違いではないでしょう。例えば『般若心経』は多くの宗派でお勤めされますが、浄土真宗では用いません。大事にしていない訳ではなく、用いないのです。したがって、供養で読むお経も宗派によって異なってきます。


――近藤丸さんが信奉する浄土真宗にはどんなお経があるのですか?


近藤丸 浄土真宗では、『浄土三部経』(『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』)が根本のお経です。これらには阿弥陀如来という仏さまが、どのようなことを願っているのか、どのように仏さまに成られたのかなどが説かれています。また、私たちがどのような生き方をし、どういうことで苦しんでいるのか、何に悩んでいるのかということも書かれています。


――どんなことが書かれているのですか?


近藤丸 例えば『仏説無量寿経』の中には次のような言葉があります。


「世間に生きる人々は、軽薄で俗っぽく、急ぐ必要のないことで、急ぎ、皆が争い合っている...(中略)...それは、貧しい者も富める者もそうなのである。どういう生まれかとかに関らず、皆がそうである。富める者は物が有るゆえに悩みが多くなり、貧しいものはないことを悲しんで、貧富ともに苦しんでいる。』『田を持っていれば田を持っている事で悩み...(中略)...田が無ければ、田が欲しいと悩む。...このように憂え苦しんで求め探しても、思うように得ることはできない」(『仏説無量寿経』意訳)


ここに書かれているのは、我々の痛ましい姿そのものではないでしょうか。お経は鏡のように私たちの生き方を照らし、問いかけてくるのです。では、このような争い傷つけあうあり方をどうすれば超えていけるのか?お釈迦さまの説かれた教えが、お経に書かれています。今その内容を全てお伝えするのは難しいですが、一人ひとりお経に直接あたり、時間をかけて確かめてみることが大切だと考えています。

法要の時に読まれるお経は亡くなった人のためではなく、私たちのもの


――お経をとなえていただく行事はお葬式、法事のほかにはお盆が思いつきますが、お盆はなぜ行うようになったのですか?


近藤丸 お盆は仏教行事の一つですが、『仏説盂蘭盆経』というお経に由来します。そのお経には、お釈迦さまのお弟子である目連尊者(もくれんそんじゃ)のエピソードが書かれています。目連尊者は、神通力(今でいう超能力のような不思議な力)が使えたそうです。そしてある日、その力を使って亡くなった自分の母親の様子を見たところ、餓鬼道という苦しい世界に生まれ堕ちていることを知りました。目連尊者はお釈迦さまの教えを受け、修行に励んでいる僧侶達を食べ物などで供養したことにより、母親を餓鬼道から救ったと書かれています。お盆とは、そのときに食べ物を盛った「盆」のことを指すと言われています(諸説あります)。


――文字通り「盆」がルーツ。そんな説があるんですね。


近藤丸 別の説の一つには、古代インドの言葉「ウランバーナ」を翻訳した「盂蘭盆(うらぼん)」の意味として「倒懸(とうけん)」という言葉が伝わっています。これは「さかさまになっている・木にさかさに吊るされたような苦しみ」という意味で、お盆という言葉には「さかさま」という意味があると、一説では言われているのです。私たちは亡き人を供養したい、亡き人が安らかにありますようにと思っています。それは自然な気持ちですし、大切なものです。しかし私たちは、「物事をさかさまに見ている」と教えられているのです。


本当は先立っていった人たちから私たちの方が、「大切なことに気づいてくれ、大切なことに出会ってくれ」と願われているのです。亡くなっていった人々をしのぶお盆をはじめ、さまざまな法要の場で、私たちはお経を聞く縁を頂きます。そこで想う身だと思っていた私たちの方が、願われ、心配され、教えられている。我々が普段どのように生きているのか、そして仏さまが何を願われているのか、考えてみる大切な機縁がお盆であり、さまざまな法要と言えるのです。


――そう聞くと、お盆や法要を大切にしないといけませんね。


近藤丸 私は浄土真宗本願寺派の僧侶なので、浄土真宗の教えを通して聞いてきたことや、学んできたことをここでは述べさせて頂きました。先ほども言いましたように、宗派によって読むお経は違いますので、ぜひご縁のあるお寺に行って、お盆にどんなお経を読んでいるのか尋ねてみてはいかがでしょうか。


今回のインタビューに答えるために岡崎秀麿先生・冨島信海先生の『ねぇ、お坊さん教えてよ どうしてお葬式をするの?』(本願寺出版刊)、天岸淨圓先生・佐原多賀子先生・小林賢五先生・武田晋先生著『お盆』(本願寺出版刊)、延塚知道先生著『無量寿経に聞く~下巻~』(教育新潮社刊)、香川秀夫先生・畝部真紀先生著『お盆』(東本願寺出版刊)を参考にさせて頂きました。より詳しいことが知りたい方は是非これらの本を手に取ってみて下さい。

強面だけど超いいやつ!ヤンキーのキャラクターには言うべきことを言ってくれる友人や先生を反映


――ヤンキー君がお経をとなえ、檀家の方にも感謝されてホッとしました。強面でもいいやつで頼りになる。こんな友人が欲しいと思ってしまいますが、近藤丸さんにもヤンキー君のような友人はいらっしゃいますか?


近藤丸 この漫画のような典型的なヤンキーの友人はいませんが、変に遠慮したりせずに裏表なく、言うべきことを言ってくれる友人や先生はいます。そういう人がいたから、ここまで教えを聞いてこれたのかもしれません。そうした方々を、ヤンキーのキャラクターに反映させているところがありますね。


仏教を聞いていると、どうしても自己満足の聞き方になってしまいます。そういう時に注意してくれたり、全然違う考え方や見方を教えてくれる人の存在がすごく大事なんですね。本作で言えば、ヤンキーと住職が学び合うのが、すごく良い事かもしれないなと感じています。宗教を求めていくと、自家中毒みたいになる危険性があります。だから誰かと共に学んだり聞くことは、とても大切です。一人で学ぶ時間ももちろん大切ですが、誰かと共に聞く、誰かと共に学ぶということを大事にしたいなと考えています。


――誰かと一緒に聞いて、それぞれ感じたことを語り合う。そうすることで理解も深まりそうです。


近藤丸 もし、読者の方でもっと仏教を聞いていきたいという方がおられたら、ぜひよく調べてから訪ねてください。というのも、中には問題性が指摘されていたり、社会問題化しているような団体もあるからです。例えば自分たちの団体名・正体を明かさずに、布教活動をしているような団体ですね。共に教えを学んでいくことはすごく大事なのですが、純粋に道を求めたいという思いに付け込もうとする団体や宗教も存在します。それには気をつけなければなりません。


健全な団体なのか、不安や恐怖心を煽って布教するような団体ではないか、問題が指摘されている団体ではないかということを、よく確かめることも大切にしてほしいと思います。


独りよがりな考えに陥りそうなとき、誰かと言葉を交わし、お互いを見つめ直すことが大切。お互いに教え合い、気づきを得ることができる住職とヤンキー君は、これからもっと素晴らしい友人関係になれそうだ。


仏教が生まれてから2500年、人々の喜び、悲しみ、苦悩に寄り添ってきた教えには、現代に生きる人々が抱える悩みを解決に導くヒントがある。漫画『ヤンキーと住職』を読んで、これからの人生の糧になる、大切な言葉や教えを見つけよう。

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