【鎌倉市】北鎌倉 関本豆腐店 99年の歴史に幕 こだわりの味惜しむ声
北鎌倉で1926(大正15)年から99年続く関本豆腐店が10月4日に閉店した。六国見山から湧き出る地下水とこだわりの大豆で作る濃厚な味わいの豆腐は、長らく地域の名品として親しまれてきた。店頭では、多くの常連客から別れを惜しむ声が聞こえた。
「やっぱりこのお豆腐じゃなきゃ」「最近は他のお店で買っていなかったから、これからどうしようかしら」。最終営業日に、常連客から豆腐を評価する声や閉店を悲しむ声があがる。「本当に申し訳ないですねぇ」と、店主の関本敏子さん(76)は長年作り続けてきた豆腐を手渡す。
北鎌倉の円覚寺からほど近い関本豆腐店は、敏子さんの父・豊吉さんが創業した。家の裏に井戸を掘り、この地下水が豆腐の味や食感を引き立てる。豊吉さんの後を母・やえさんが継ぎ、敏子さんは20代で3代目となって看板を守り続けた。
「1日1丁食べる」という豆腐好きの敏子さん。なめらかな絹豆腐は満足できたが、当初は木綿豆腐に納得ができなかった。勉強のため、鎌倉で先に創業していた豆腐店に通い、職人の仕事を見て覚えた。
温度管理や大豆の混ぜ方など、自分との違いを一つ一つ検証し試作を繰り返した結果、「俺の豆腐に一番近い」と職人から太鼓判を受け、「代わりに豆腐を納めろ」と、仕事先も紹介してもらったという。
油分の多い大豆にこだわり、濃厚ながら料理の味も奥まで染み込む木綿豆腐は敏子さんにとって最も思い入れが深い。「自分が美味しい豆腐を食べたかっただけ」と、照れ隠しで手を振る。
3年前、手首を痛めて重いものを持つことができなくなった。コロナ禍もあり廃業を考えたが、惜別のつもりで豆腐を振る舞った同級生から「これだけのものを作ってやめちゃうのはもったいない」と言われ、営業日を減らして継続してきた。
しかし、今年5月に膝を痛め立ち続けることが困難に。昨年から2倍以上になった大豆の高騰などもあり、赤字の幅が大きくなった。一時は息子が家業を継ぐことも考えて手伝ってくれたが、「渡せる給料は会社員時代の3分の1」だった。
苦渋の決断を下し、顧客への感謝の言葉とともに、「女手1人で55年、体がついていけなくなりました」と書いた告知を扉に貼った。
店の看板を下ろしても、関本さんの味を求める声は根強い。「じっくり味の染みた煮物を肴に居酒屋でも開けたら。自分が『のんべぇ』だからかな」。地域に親しまれた味との再会が、今から待ち遠しい。