機械式燃料噴射装置 “K-Jetronic” を分解してみた…… Der FREIRAUM デアフライラウム“自由な余白”♯23
はい……禁を冒してしまいました。禁断の果実、いや、禁断のメカにメスを入れてしまったのです。
尼崎にて全身エステ中のCaddyとともに、昨年夏に横浜港に陸揚げしたもう一台のクルマ、Caddy キャンパー ビショフベルガー。今、どうしてるかと言いますと、未だ大阪・茨木の工房でご厄介になっています。パワーアップのために移植したエンジン部品が不調で、始動できない事態が続いて長期療養中となっているのです。まずエンジンが動かないことには、キャンパー部分の内装リフォームやボディのリペイントに進めず、全てが済んで旅に出られるまでには相当やることが山積みで……この過程がすでに旅のようです。
その懸案のエンジン部品は、K-Jetronicという名の機械で、ガソリンタンクから来た燃料を4つのシリンダーに分配するのがお仕事。分配とともに、アクセルの開閉に連動してガソリン量を調節する重要な役目も担っています。別名、燃料ディストリビュータ。
そんなメカなので、こいつが不調ではエンジンがかかるわけがありません。しかし、不調の原因を探ろうとあれこれ検索すると、K-Jetronicに関する記述は「悲報」ばかり。通称「禁断のメカ」。絶対に分解しちゃだめ、不調になったら交換しかない、治せるところはない、レストア不能……と、なにやら御神体のような扱い。ウォルフスブルクの友人に聞いても、ドイツ国内なら何とかなるかもしれないが、交換した方がいいという回答。触らぬ神に……というその雰囲気が整備業界を支配しているK-Jetronicとは一体何なのか。俄然興味が湧いてしまいました。そんなわけで、今回はその黒いメカの話が中心になります。
K-Jetronicはドイツのボッシュが開発し、1970年代後半から80年代にかけて、フォルクスワーゲンを始め、ランボルギーニ、フェラーリ、ポルシェ、ひいてはデロリアンまでが装備し一世を風靡した燃料噴射装置で、そのトラブルが原因で棄てられたクルマも多かったという曰く付きのメカ。私のケースでは、部品を移植しエンジン始動を試みるも、いわゆる「初爆」が来て止まってしまう状態です。
原因を探ろうとまず最初に見たのはプラグ……びしょびしょです。次いで開けたオイルパンにもガソリンが混じったので、シリンダーの圧縮漏れを疑うも圧力は正常。インジェクターを抜き出し噴射の様子を確認すると、どうもガソリンの量が多すぎる印象。様子を確認すると、と簡単に書きましたが、作業してくれるショップの"てんちょー”はガソリンまみれ。手伝う私もガソリンを浴びながら、すごい世界に立ち入ってしまったと観念したのでした。
プラグコード、プラグ、インジェクター、あらゆる部品を新調しても噴水の様な燃料噴射の状況は変わらず、やはりこの黒いメカが怪しい……となりました。初代Golfに乗る友人が、本家ボッシュ発行の調整マニュアルを貸してくれたので、まずは構造と仕組みを理解しようと読み込みました。しかし、整備のプロでもない私は、このK-Jetronicを中心とした様々な燃料系統部品、コールドスタートバルブとか、ウォームアップレギュレータとか、プライマリプレッシャーレギュレータなどの連携プレーの複雑さを理解するのに苦労し「K-Jetronicだけを弄ってもダメかも……」などと思ったりもしました。
でも、これをなんとかしないとキャンパーは走り出せません。今時の燃料系統はすっかりコンピュータ制御になっていますが、このK-Jetronicは全て機械的に制御されているのが特徴です。
アクセルを踏んでエンジン回転が上がると、燃焼のためにたくさん空気を吸おうとして空気弁が開き、そのアームの動きがテコの原理でK-Jetronicの中にあるプランジャという調節弁に伝わります。テコがプランジャを持ち上げることでガソリン流量が増える仕組みで、こう書くとシンプルに聞こえますが、問題はその部品の精度というか、精密さと、1平方cmあたり5kgという燃圧の高さ。
重さ1tを超える鉄の塊を走らせるこの重要なメカは、それ自体の大きさがちょうど握り拳くらいで、よく人の心臓がそのくらいと表現されますが、エンジンのいわば心臓部にあたる部品がそんなサイズなのです。4気筒エンジンの場合は、部屋(チャンバー)が4つあるのでまさに心臓と同じ……。
そのメカの中に、毛細血管のごとき細いトンネルや髪の毛の太さのような微細な穴が空いています。このメカと格闘してわかったことは、どうやら不動期間が長すぎると、古くなったガソリンがタール状に劣化、その超繊細な穴という穴を塞いでしまうのが不調の原因のようです。
自分でやってみる
だが、決して分解してはいけないと言われる禁断のメカ。分解せずにこの詰まりを取り除くことなどできるのだろうか……。しばし逡巡するも「人が作ったものを、人が直せない訳がない」という根拠のない自信が勝り、ついに私は分解清掃に踏み切ったのです。
世界には、同様の決意を持ってレストアを試みる人はそれなりにいるもので、詳しい手順を紹介する動画もあり、先の本家マニュアルも熟読しつつ、心臓部の執刀にかかることにしました。はっきりいって、私は素人です。模型は色々作ってきましたが、このような実車部品のレストア経験はありません。それも、難易度的には相当高いというか、禁じられている分解清掃……それこそ「ダメモト」の心境でボルトを緩めました。
きちんと戻せる様に、ボルトの位置と順序を書き留めながら、恐る恐る黒い塊を外します。おっ、重い。ひっくり返すと、ガビガビになったメカの底部に、例のプランジャの先端が見えています。ん? プランジャは、上下することでガソリン量を調整するのですが、まったく動かない模様。固着している? これか、原因は。ここがスムーズに動けば解決するのかも知れません。
やはりこれは分解清掃しかない、と決意も新たにドライバーで封印を解いていきます。上下がピッタリと合わさった黒くて重たい鉄の塊。しかし、全てのネジを外しても塊が分かれる気配がありません。真ん中には例のプランジャを内包する筒があるのですが、これが上下をつないでいるのか? どうやって緩めるんだ? YouTubeで勉強です。
外したボルト以外に、上下を留めているものはなさそう。映像ではハンマーで叩いています。怖いので、ゆっくりひねってみます。少し隙間ができたので、プラ製のクサビなど打ち込んでみます。ジリジリ、ジワジワと引っ張っていくとようやく上下が分かれ、プランジャの筒が現れました。そこについている小さなゴムのパッキンが抵抗となっていたようです。そして、二つのブロックの間にはこれまた薄ーい、厚さ0.1mmのステンレス板。……怖い。
問題のプランジャは、完全に固着している模様。しかも、マニュアル図に照らしてみると、アクセル全開の位置で固着していました。最大流量です。これではガソリンじゃじゃ漏れのはず。その流量調節にかかわる金属削り出しの円筒には、4箇所のメータリング・スリットという細ーい隙間が切られているのですが、そのサイズはわずか5mm x 0.2mm。どうやって作ったのかというほどのかすかな切れ目です。ここを通過するガソリンをプランジャの動きで調節し、アイドリングから最高出力までのエンジン制御がなされています。微妙すぎます。
さて固着したプランジャ、手では緩む気配なく、クリーナーの中に漬けること数時間……まぁ、そんなに甘くないですよね。ガッチリ貼り付いています。怖いけど、先達のようにゴムハンマーで叩いてみます。トントントントン……パキッ。乾いた音とともに、プランジャが抜けました。筒の中に戻してみるもなお滑りは悪く、これではすぐにひっかかって繊細なアクセルワークにならないのが素人にもわかります。貼り付いていた部分の金属の色が変わっていますが、これは果たして磨いても大丈夫なんだろうか。筒とプランジャの間にはパッキンも何にもなく、それでいてガソリンが漏れてこないぴったり具合の直径、かつスルスルと滑るように動く精度って一体……。
パッキンと言えば、上下に分かれた金属ブロックの間にもなんのシール類も見当たらず、平滑な面同士がくっついてるだけで高圧のガソリンを漏らさない構造には、なにか秘密があるに違いない。これ開発されたの、1960年代なんですよ。今みたいに超精密なCNC旋盤なんて存在しないし、いったいどうやって作ったんだろう。だって、金属ブロックに対して、縦の穴はドリルで掘れても、それをつなぐ横穴(しかも超精密)はどう加工した? 地球外テクノロジーだったんじゃないか? この辺りが、やっぱり分解したら戻せない理由なのかもしれないと、ふっと恐ろしくなったり……。
とはいえ、ここがスムーズに動かないことには状況は改善しません。覚悟を決めて、ultrafineなコンパウンドでプランジャを磨くことに……。さあ、禁忌を破った私は一体どんな目に遭うのでしょうか。続いてしまいます、この話。