【東京街角クイズ】この写真、どこの分岐でしょう?〈全6問〉
この写真、どこの分岐かわかりますか?出題範囲は東京23区内で、全6問。Y字路(Yの字のように道が分岐する三叉路)を含め、鋭角の角を持ち左右に道が分かれる分岐点の写真を集めた。写真に写っている通りや坂の名前も言い当てられたらエクセレントだ。【ご注意!】各出題画像の下にヒント、さらに矢印のすぐ後に解答・解説を記載している。勢い余って答えが見えちゃうことのないよう、ゆっくりとスクロールしながら挑戦されたし。それでは、チャレンジスタート!
第1問
ヒント
写真左の坂は文京区と豊島区の区境。
正解は……富士見坂・日無坂(豊島区高田1丁目・文京区目白台1丁目)
いきなり大物(?)のお出まし! 『散歩の達人』や『さんたつ』でも幾度となく登場している、坂としてもY字路としても有名な場所。映画やドラマのロケ地になることも多く、月刊誌『東京人』の2025年1月号「東京Y字路散歩」や書籍『Y字路はなぜ生まれるのか?』(重永 瞬 著/晶文社)で表紙を飾っていたのもここだ。行ったことはないけれどこの景色は知ってます!という方も少なくないはず。
目白台から南に向かって下る道で、写真右が富士見坂、左が日無坂。どちらもとんでもない傾斜ということもあって、坂下の景色がきれいに見える。日無坂のほうは文京区と豊島区の区境で、階段というのもいとをかし。富士見坂の先には新宿の高層ビル群が見える位置関係というのが見事だ。出題写真では「東急歌舞伎町タワー」がうっすら写っていて、夏に撮影したため霞んでいるが、空気が澄んでいる季節ならよりはっきり見えるはずだ。 Y字路の景色は「同じ方向を見ているのに分岐の左右で違う世界につながっていく」という感覚を味わえるのが一番の醍醐味だが、まさにそれを堪能できる場所といってもいいかもしれない。
第2問
ヒント
写真右の道は、もともと川だったところ。
正解は……代々木公園アートスタジオ前(渋谷区富ケ谷1丁目)
代々木公園駅のすぐ北、三角の敷地に立つ「代々木公園アートスタジオ」のウォールアートが華やかで、1問目ほどではないにしろ、やはりY字路として取り上げられがちな場所だ。
ヒントはなんといってもこのウォールアートで、これを知らなければ答えにたどり着くのはなかなか難しかったかもしれない。写真を眺めて気づきがあるとすれば、写真右の道にある車止めやマンホールの存在。「もしかしてここ、暗渠じゃね?」と思ったらビンゴ!
写真右の道はかつて河骨川(こうほねがわ)が流れていたところ。暗渠化されたことでY字路になったというわけだ。河骨川は現在の初台駅付近の水源から、代々木公園の西端に沿うように流れ、この地点の少し南で宇田川に合流していた。童謡「春の小川」のモデルになった川としても知られている。
第3問
ヒント
写真右の道は⚪︎ッ⚪︎ー通り。
正解は……浅草六区(台東区浅草1丁目・2丁目)
浅草1丁目、伝法院通りから浅草六区に踏み入れる地点。左は浅草六区通り、右がホッピー通り。撮影地点は五差路になっている。大きなヒントは六区通りと書かれた灯籠とホッピー通りの軒先のテントで、タイル舗装の道路から察しがついた人もいたかもしれない。また、近辺の三角形の地図模様は見覚えがある人も多いはずだ。
浅草六区のあたりはもともと浅草寺の境内で、火除け地だった場所。明治時代に入って都市公園のひとつに指定され、やがて7つの区画に分けられて、六区には芝居小屋や見世物小屋が移転してきて興行街としてにぎわうようになる。古地図をたどると、この三角地帯は六区が生まれた際に伝法院の南北の道と国際通りの西側にあった道をつなげた結果できたもののようだ。明治23年(1890)には、現在の『ウインズ浅草』のあたりに当時日本一の高さを誇ったタワー・凌雲閣が建ったのだが、それが出題写真でいうと右の通りの奥あたり。この画角なら当時はちょうど見えた位置かもしれない。
第4問
ヒント
周辺は「さんかく問屋街」という名前がついている。
正解は……東日本橋駅そば(中央区東日本橋2丁目)
地下鉄浅草線の東日本橋駅のそばで、清杉通りから1本東側に入ったところだ。写真右は柳橋通り、左は仲通り。柳橋通りはそのまま写真奥(北東)へ進めば靖国通りと交差した後に神田川を渡る柳橋へ至る。
岩本町~日本橋浜町の一帯は道が直角に交わる街区が多いのだが、そこへ北東から斜めに突き刺すように入ってきて清洲橋通りに合流するのが清杉通り。この清杉通りは、関東大震災の後に復興事業で開通した道。仲通りもそれと並行して走っているので、こういう鋭角の敷地が生まれたというわけ。現在、撮影地の周辺は「さんかく問屋街」と銘打ったまちづくりを進めているようだが、その三角も同様に清杉通りの開通でできあがった形だ。
鋭角の敷地を生かしたビルが正面のしゃれていて絵になる景色だが、場所を特定できる要素は少なく、現地を知る人でなければ難易度が高かったかもしれない。大きなヒントは、写真中央やや右下に掲示されている「やげん堀」の文字。江戸時代にはこのあたりに隅田川からの入堀があり、明治時代に入るまで掘の一部は残っていたようで、その後は1971年まで薬研堀町という町名にもなっていた。
第5問
ヒント
写真左にはお寺がある。
正解は……円通寺坂(新宿区須賀町2丁目・若葉1丁目)
地下鉄丸ノ内線四谷三丁目駅から徒歩数分、新宿通りから円通寺坂を下った先に現れるのがこのY字路。道路は写真左へとカーブを描いて曲がっていて、その手前から分岐が始まっている。
この場所の特徴はなんといっても高低差。左の道は下っていくのに対し、右の道はじわじわと上っていく。Y字路としては変わり種で、立体感ある景色にはくせになる魅力がある。そして、Y字路に必ず生まれる三角地帯には鋭角すぎて建物がなく、緑が生い茂りポストが立っているというのもまたよきポイント。本稿執筆時点(2025年10月)ではこの郵便ポストがなぜか観光名所としてGoogleマップに登録されていて、その名も「Iconic Red Mail Box」。うん、たしかにアイコニックではある。
ちなみに、撮影地点から円通寺坂(写真左の道)をそのまま下って道なりに進み、東福院坂との交差点を右折すると、須賀神社の階段が見える。アニメ映画『君の名は。』のラストシーンで登場した場所で、このクイズシリーズでも登場した階段だ。未読の方ははぜひ階段編もチャレンジされたし。
第6問
ヒント
写真右の道は桜並木で、さくらまつりの会場になる。
正解は……播磨坂・吹上坂(文京区小石川4・5丁目)
ラストは、広々としたスケール大きめな分岐点。「小石川植物園」のそばの千川通りから、尾根を通る春日通りに向かって上る2つの坂を見上げたところだ。写真右の広い道が播磨坂で、左は吹上坂。
道としての歴史が長いのは吹上坂の方で、このあたりがかつて吹上村と呼ばれていたことが名前の由来とされている。一方の播磨坂は、関東大震災後の区画整理で環状3号線の一部として計画され整備された道路。環状3号線は一部しか開通しなかったのだが、ちょうどこの播磨坂の両端で途切れている。坂の名前は松平播磨守の上屋敷にちなんでつけられたもので、遊歩道が整備された桜並木でもあり、春には「文京さくらまつり」の会場になる。
余談だが、この写真の景色は筆者のお気に入りで、独断と偏見により6問目に入れさせていただいた。坂の間にあるカフェの外観もあいまって、なんだかパリの街角みたい……と思うのは筆者だけかしら。
全6問、これにて終了! おつかれさまでした。
多差路や分岐は、風景としての魅力はもちろんのこと、経緯に注目する楽しさもある。長い歴史を持つ追分なのか、川筋や高低差が関係しているのか、都市計画によって現れたのかを知ることで、その土地の解像度が上がること間違いなし。そして、街の至る所にあって頻繁に遭遇できるというのもうれしい。散歩を楽しむポイントはそこかしこに隠れているのだ。
文・撮影=中村こより
中村こより
もの書き・もの描き
1993年東京生まれ、北海道育ち。中央線沿線に憧れて三鷹で暮らした後、坂のある街に憧れて現在は谷中在住。好きなものは凸凹地形、地図、路上観察、夕立。挑戦したいことは測量と東海道踏破。