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流産5回、抗リン脂質抗体症候群による不育症…苦しみ続けた末に、妊娠!

たまひよONLINE

5歳の長男と一緒に、2人目の誕生を心待ちにしているママライターの“夕芽”です。長男を体外受精で出産後、なかなか2人目を授かることができず、不妊治療を再開しました。
しかし、治療を開始するも、何度も流産を繰り返してしまうことに…。

不妊治療は、序章に過ぎなかった…


私は以前より「多嚢胞性卵巣症候群(たのうほうせいらんそうしょうこうぐん)」という生理不順の症状があり、子どもが授かりにくい体質でした。結婚後すぐに子どもを望みましたが、排卵がないため不妊治療に踏み切ることを決意しました。

その頃、夫の仕事の関係で私はアフリカに住んでいたため、単身日本へ帰国して孤独な治療生活を開始しました。当時の私は26歳でした。

「まだ若いから、まずは体質改善をしたら? 」という医師やアドバイザーの声を多く聞きましたが、なぜか私は治療が必要だと感じていたのです。信頼できる先生に出会い、1回目の体外受精で元気な子どもを出産することができました。そして、長男が1歳の頃、夫のいるアフリカへ渡りました。

不妊治療の先に待っていたのは、さらに過酷な運命


アフリカでの生活を知ってはいたものの、子どもがいるとなると勝手が違います。信頼できる病院がなく、死と隣り合わせの病気が多いこと。生活面でも水が出ない、停電、ネズミやダニに子どもが襲われるなど、不安や恐怖がつきまとう日々でした。

そのせいか、卒乳後もなかなか生理が始まりません。2人目を望んでいた私は息子と2人で帰国し、治療再開の決意をしました。また、長男出産後、体質改善のために栄養学を勉強、実践していました。

しかし、その後ようやく妊娠するも心拍確認後に流産してしまったのです。厳しすぎる食事管理や運動がいけなかったのか…、私自身の弱い心がいけなかったのか…。流産の原因がわからず、自分を責めて数ヶ月泣き暮らす日々が続きました。

繰り返す流産。原因はいったい?


それでも何とか気を取り直して、治療を再開しました。しかし、次の妊娠でもだらだらと続く出血があり、赤ちゃんの成長も遅く、心拍確認後にもかかわらず、ついに陣痛のような痛みとともに赤ちゃんが出てきてしまったのです。

手に乗るくらいの小さな我が子を見つめ、絶望の淵に立たされました。その後、初めて医師から不育症の検査を勧められました。検査の結果は、妊娠すると少し血流が悪くなり、血腫ができる可能性があるということでした。

念のため、血栓予防の薬を飲み、様子をみることとなりましたが、その後も3回目、4回目と連続で流産をし、何が悪いのか、何が原因なのかもわからず、もがき苦しんでいました。

新たな病名と500本の注射、我が子を腕に抱くまで…


何度も妊娠をあきらめかけましたが、本格的な不育症検査ができる病院に転院し、最後の望みをかけて検査を受けました。結果は「抗リン脂質抗体症候群」。1人目の出産を機に自己抗体ができてしまったため、妊娠が継続しにくい状態になってしまっていると説明を受けました。

原因がわかったものの、続く5回目の妊娠は染色体異常により流産してしまいました。病名が判明し、新しい治療法が見つかった矢先の流産で、心も体もボロボロになってしまいました。

最後にしようと決めた6回目の妊娠。初期に大量出血で絶対安静の指示。副作用で思うように動けず、不安に押しつぶされそうになりながらも、毎日2本、合計約500本の注射と投薬を続けて、ようやく臨月を迎えました。

不妊治療から始まり、繰り返す流産。そして不育症との闘い。「抗リン脂質抗体症候群」という病名を知るまでは、何が原因かわからず、とにかくつらい日々でした。妊娠するまでのこの2年の間で4歳になった長男は、流産した時や泣き崩れている時、いつも私に寄り添ってくれました。そして「ぼくはママがいてくれるだけで幸せだよ」と話してくれたのです。その言葉に励まされて、つらいときも治療を続けることができました。

[夕芽*プロフィール]
アフリカで音楽教師をしていた時に出会った夫と結婚し、現地で生活していました。不育症治療の末、ようやく授かった第2子。現在は不育症治療の経験を活かした活動をしています。

※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。

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