富士丸と大福【穴澤賢の犬のはなし】
先代犬の「富士丸」と犬との暮らしと別れを経験したライターの穴澤賢が、数年を経て現在は「大吉」と「福助」(どちらもミックス)との暮らしで
感じた何気ないことを語ります。
知らない人もいると思うが、私はかつて富士丸という犬と暮らしていた。ハスキーとコリーのミックスで体重30キロある大型犬だった。そんな犬と30平米ない1DKで暮らしていたのだから無謀だと思うかもしれないが、何も考えずにやったことではなく、結果としてそういう状況になってしまったのだった。
なんとなく始まった富士丸との暮らし
そのあたりは長くなるので割愛するが(詳しくは『ひとりと一匹(小学館文庫)』参照)、要約すると結婚、別居、離婚という経緯からそうなったのであって、そもそも犬を迎えたいと言ったのも私ではない。
結婚当初から意見の食い違いで言い争いが耐えなかった妻が、ペットショップで見かけた犬を迎えたいと言い出し、私はペットショップで犬を「買う」ことに否定的だったから、「飼う」なら里親募集で迎えようと提案した。
その結果、あるブリーダーのところでコリーとハスキーのミックスが生まれたから誰かもらってください、と掲載されていた青い目の子犬に目が止まり、わが家に迎えたのである。
私も妻も富士丸をかわいがったが、それで衝突が減ることはなく、結局は別居を経て離婚となった。子どももいなかったし、慰謝料もなく、唯一揉めたのはどっちが富士丸を引き取るかということだけだった。最終的には、妻が望んだときはいつでも会わせるという条件で、私が富士丸と暮らすことになった。
30才で結婚し、31才で離婚という若気の至りというにも微妙な展開だったが、今でもたまにどうでもいい用事で彼女からメールが来たりするから憎しみ合っているわけでもない。
困ったのは物件探しだった。当時、私は派遣社員で稼ぎも少なかった。その中で大型犬OKの物件を探すのは困難を極め、やっとみつけたのが渋谷区初台の1DKの賃貸マンションだった。
こうして始まった「ひとりと一匹」の暮らしだったが、富士丸には申し訳なかったと思うことが多い。夜勤が多かったから幼い時期に留守番の時間が長かったし、30キロもある彼と私がそんな狭い部屋で生活していたのだから、窮屈だったことだろう。
朝夕の散歩は雨でも台風でも欠かさず行っていたが、今思えば彼には運動量が足りなかったのだろう。留守番時の破壊活動がひどく、クッションやソファーを食いちぎられた。ハスキーの血が入っている富士丸は、超暑がりで、夏はエアコンフル稼働でもハァハァいっていたっけ。
富士丸との経験と反省が大福に生きている
それを考えると、大吉と福助はいかに恵まれている環境か。今は標高1400メートルの夏でもエアコンいらずの涼しいところで暮らしているし、家もあの頃の1DKとは比べ物にならないほど広い。
さらに、敷地内にはプライベートドッグランまで持っているからいつでも走り回れる。
私も現在の妻もサラリーマンではないから、仕事で長時間留守番させることもない。福助に至っては、わが家に来たときから大吉がいるから、ひとりぼっちで留守番したことさえほぼない。
それなのに、福助は富士丸を超える破壊王でソファーを二脚も破壊されたのは驚いたが、それはまぁいい。犬は他者と自分を比較したりしないし、置かれた状況で生きるしかない立場だが、こちらとしてはできる限りのことはしているつもりだ。富士丸には申し訳なく思うことが多いが、ひとつ大福より上回っていることがある。それは旅行とイレギュラーなおでかけの数だ。当時やっていた連載で、犬と行けるスポットを実際に訪れて紹介するというものがあった。
その担当編集者が富士丸のことを「丸ちゃん」と呼んで溺愛していたので、候補にあがるのはいつも「富士丸が喜びそうなところ」という基準だった。
そのため行くのは「涼しい」、または「寒い」ところで、富士丸とはあらゆるスポットに出かけた。編集者は私には厳しく、原稿の締め切りは毎回ロケの数日後で苦しんだ「仕事」だったが、富士丸にとっては「遊び」だった(「富士丸おでかけ日和(日経BP社)」参照)。
それ以外にも、半分仕事で大阪、京都、東北、北海道と富士丸とはたくさん旅をした。あれはあれで楽しかっただろうけど、彼のおかげでフリーライターになったようなものだから当然かもしれない。けど、現在暮らしている環境にあいつがいたらどれだけ喜んだだろうと、今でもときどき思う。
よくよく考えると、富士丸にしてやれなかったことを大福にしているのだろう。富士丸との経験と反省がなければ、今の暮らしはないだろう。
富士丸は7才半で突然逝ってしまったけれど、大吉は13才、福助は10才で、もう一緒に過ごした時間は遥かに超えてかけがえのない存在になっている。あとは、富士丸と行った旅行の数を上回ることを目指そうかな。
プロフィール
穴澤 賢(あなざわ まさる)
1971年大阪生まれ。2005年、愛犬との日常をつづったブログ「富士丸な日々」が話題となり、その後エッセイやコラムを執筆するようになる。著書に『ひとりと一匹』(小学館文庫)、自ら選曲したコンピレーションアルバムとエッセイをまとめたCDブック『Another Side Of Music』(ワーナーミュージック・ジャパン)、愛犬の死から一年後の心境を語った『またね、富士丸。』(世界文化社)、本連載をまとめた『また、犬と暮らして』(世界文化社)などがある。2015年、長年犬と暮らした経験から「DeLoreans」というブランドを立ち上げる。
大吉(2011年8月17日生まれ・オス)
茨城県で放し飼いの白い犬(父)とある家庭の茶色い犬(母)の間に生まれる。飼い主募集サイトを経て穴澤家へ。敬語を話す小学生のように妙に大人びた性格。雷と花火と暴走族が苦手。せっかく海の近くに引っ越したのに、海も砂浜もそんなに好きではないもよう。
福助(2014年1月11日生まれ・オス)
千葉県の施設から保護団体を経て穴澤家へ。捕獲されたときのトラウマから当初は人間を怖がり逃げまどっていたが、約2カ月ほどでただの破壊王へ。ついでにデブになる。運動神経はかなりいいので、家では「動けるデブ」と呼ばれている。