【江戸時代の美人詐欺師集団】 寝小便で大金を巻き上げた『小便組』とは
江戸時代は、合戦がほとんどなく「平和な時代」と言われることが多いです。
しかし、庶民の間ではさまざまな事件が起こっていました。
今回は、まるで現代の出会い系詐欺・愛人契約詐欺を思わせる、若い美女たちによる詐欺師集団「小便組」をご紹介しましょう。
「妾は男の甲斐性」といわれた江戸時代
江戸中期頃、上級の武家社会では「側室」を持つことが一般的とされていましたが、裕福な町人の間でも「妾(めかけ)は男の甲斐性」と言われ、好みの女性に大金を払って「妾=愛人」とすることが流行していました。
ちなみに、「妾」という文字は古くは「しょう」と発音されていましたが、時代とともに「男性が目をかける」という意味から「めかけ」と呼ばれるようになったと言われています。
お妾さんになる女性には、身受けされた遊郭の女性もいましたが、浪人の娘や商家の娘など、いわゆる素人女性が金銭目当てで自ら希望し、お妾さんになるケースも多かったとか。
では、こうしたお妾さんを希望する女性と、彼女たちを囲いたい男性は、どのようにして出会っていたのでしょうか。
男女をマッチングさせる「口入屋」
「男女の出会いの場」を作っていたのは、奉公口を斡旋する業者・口入屋(くちいれや)です。
この当時、妾業は仕事の一種として世間に認知されていたため、多くの男女が「出会いを求めて」口入屋を利用していました。
女性は自身の名前や希望条件を登録し、男性側も好みのタイプや妾になってほしい期間、支払える予算などを登録していたそうです。
口入屋は、登録された男女のリストからお互いに合いそうな者同士を引き合わせ、妾契約が成立すると、証文(契約書)を交わし、仲介料を取っていました。
この仕組みは、まるで現代の出会い系サイトや、マッチングアプリのようなものだったと言えるでしょう。
儲かる「お妾さん業」の契約システムとは?
お妾さんとの契約期間は、平均的に約2ヶ月程度でした。
その間、男性はお妾さんが住む専用の家を用意しなければならなかったのです。
さらに、月に現代価格で10万円〜50万円相当のお小遣いや、高価な装飾品や着物などを贈ることも一般的でした。
そのため、お妾さんを囲えるのは、財力のある商家の主人などに限られていたようです。
お妾さんは側室とは異なり、主人となる男性に対して一途である必要はなく、他の男性と関係を持つことも認められていたそうです。
財力があまりない男性は、複数人が共同で1人の女性をお妾さんにする「安囲い」というシステムを利用していました。お妾さんは、男性たちが鉢合わせしないようにスケジュールを調整し、交代制で家に迎え入れ、それぞれからお手当をもらっていたのです。
「売れっ子」となったお妾さんは、月に50万円以上の収入を得ることもあり、お妾さん業は「家付きの稼げるビジネス」として、容姿に自信のある女性の間で注目を集めていきました。
こうして成長していったお妾さんビジネスに目を付けたのが、後に「小便組」と呼ばれる美女たちによる詐欺グループだったのです。
寝床で小便をする美貌のお妾さん
江戸後期の儒学者・小宮山楓軒(こみやまふうけん)の『楓軒偶記』には、美女たちによる詐欺「小便組」の手口が記されています。
(一部抜粋)
明和安永のころ小便組、仲間押、座頭金などといへる悪俗あり。小便組は少婦の容貌絶美なるものを売て大家の婢とし、主人と寝ているとき小便を漏らさしむ。
主人患えて、退かしむれば、終に金を返すことなし。また、数所に転売して、同じことをやらせり。
『楓軒偶記』によると、時は、明和・安永(1764~81)頃。
理想の女性に出会ったある大店の主人が、大金を前払いしてその女性をお妾さんに迎えます。口入屋の紹介で出会ったのか、女性が主人に直接接触したのか、または背後に黒幕がいたのかは不明です。
憧れの美女と妾契約をした主人は、いそいそと妾宅を用意します。
ところが、思いもよらぬ出来事が起こってしまうのでした。
寝小便は「病で仕方がない」と泣かれ契約解除
夢のようなお妾さんとの生活が始まり、毎晩のように妾宅に通っていた主人。
しかし、ある夜、目覚めると布団がぐっしょり濡れていることに気づきます。
驚いた主人に、お妾さんは「実は、寝小便を漏らしてしまいました」と打ち明けます。
その日を境に、お妾さんは毎晩のように寝小便を繰り返すようになりました。当時、布団は非常に高価だったため、いくら金持ちの主人とはいえ、これには困り果ててしまいます。
主人が「どうして毎晩寝小便をしてしまうのか?」と尋ねると、お妾さんは「これは私の病気で、どうしても治らないのです」と泣きながら説明しました。
病気であれば責めるわけにもいかず、主人は悩みますが、毎晩寝小便をされる状況に耐えきれず、ついに妾契約の解除を申し出ます。
しかし、自分から契約解除を望んだため、返金を求めることもできません。主人は手切れ金まで支払ってお妾さんに妾宅から出て行ってもらうことになったのです。
「寝小便詐欺」が大流行
もちろん、これは巧妙に仕組まれた詐欺でした。
契約金と手切れ金をまんまとせしめた美女は、次の金持ちを見つけて同じ詐欺を繰り返していたのです。
この詐欺は「小便組」と呼ばれ、複数の美女が模倣し、大流行しました。
市井の人々の間で、よほど話題になったのでしょう。読み人知らずの川柳には、小便組を題材にした句がたくさん残っています。
・お妾の乙な病は寝小便
・小便をして逃げるのは妾と蝉
・小便のくせに容貌美麗なり
・お妾の夜具に鳥居を局書き
・子のために常盤(※)小便組となり
・やったらと茶を呑む妾出る気なり
・たれる晩、古い小袖を二つ着る※常盤御前のこと
小便組にすえられた大きな「お灸」
しかし、そんな美女詐欺師たちの犯行も長くは続かなかったようです。
お妾さんに心底惚れていたある男性が、毎晩の寝小便を真剣に心配し、医師に相談したのです。
医師は、寝小便に効くとして、お妾さんの局部に大きなモグサを使ってお灸を施しました。あまりの痛さと熱さに耐えきれなくなったお妾さんは、その日以降、偽りの寝小便をやめたのです。
この出来事が街中に広まり、「そんなお灸をされたらたまらない!」と、江戸のあちこちで暗躍していた美女詐欺師たちは次々と寝小便をやめ、姿を消していったと言われています。
ちなみに、主人が詐欺を疑い、わざと医師に頼んでお灸を施させたという説もあるそうです。
銭形平次捕物控にも登場する「小便組」
寝小便組の話は、野村胡堂の『銭形平次捕物控』にも登場します。
「小便組貞女」というお話で、子分の八五郎が銭形平次の家を訪れ、「親分、小便組といふのを御存じですかえ」と尋ねる場面から物語が始まります。
物語では、江戸の町では「妾を持つのは名誉」とされ、好色な金持ちの町人だけでなく、学者や僧侶までもが公然と妾を囲うようになっていたと描かれています。そして、寝小便を繰り返して次々と男たちを渡り歩く美女たちが登場し、「貧乏で皮肉でおせっかいな江戸っ子たち」は、そのような美女たちを「小便組」と呼んで、せせら笑いながらも、どこか少しだけ好意を寄せていたというのです。
物語のきっかけは、先妻に先立たれた材木屋の主人、若松屋敬三郎が、若く美しい後添えを迎えたことから始まります。
この話は、青空文庫で読むことができるので、興味がある方はぜひご覧になってみてください。
終わりに
「小便組」を題材にした川柳は、詐欺を働いた美女詐欺師たちではなく、むしろ大金を取られてしまった金持ちたちを揶揄している点が面白いところです。
こうした男女間の詐欺は現代にも見られますが、相手と切れる手段が「寝小便」という、単純かつなんとも大胆な発想が際立った事件でした。
参考:
江戸繁昌記 寺門静軒無聊伝
銭形平次捕物控 野村胡堂
文 / 桃配伝子