【倉敷市】むかし下津井回船問屋 ~ 港町下津井と北前船の物語を語り継ぐ日本遺産構成文化財
下津井港はヨ 這入りよて 出よてヨ
有名な下津井節の冒頭の一節です。
下津井港は入りやすく出やすい瀬戸内の良港で、風待ち・潮待ちの港として多くの船が行き来し、最盛期には80隻を超える北前船が寄港し、狭い下津井の町は大変にぎわったそうです。
遠く北の海からやってきて倉敷の繊維産業を支えた北前船や、寄港地・下津井の当時のようすを伝える「むかし下津井回船問屋」を通して、小さな港町にどのような繁栄の物語があったのかを紹介します。
「むかし下津井回船問屋」とは
今は静かな港町、倉敷市下津井地区は、江戸時代中期以降多くの船が出入りし、栄えていました。
「むかし下津井回船問屋」は、江戸時代後期から明治時代の回船問屋や下津井の町の暮らしを再現した施設です。
建物は、江戸時代に金融業や倉庫業を営んでいた西荻野家の住宅を、回船問屋の高松屋(中西家)が買い取り、商家とニシン粕を貯蔵する蔵として使用していたものです。
瀬戸大橋開通後の1995年、岡山県によって復元されました。
復元された回船問屋の母屋と蔵は、母屋・いんふぉめーしょん館・蔵ホールなど六つの施設として、資料展示や食事処、土産物店などに活用されています。
むかし下津井回船問屋の施設
むかし下津井回船問屋の施設を紹介しましょう。
母屋
「母屋」の1階には、帳場・座敷・茶の間・台所など当時のたたずまいが再現されています。
入り口を入ってすぐの場所には、回船問屋に富をもたらした北前船の模型や、ニシン粕が詰められていた俵、船箪笥(ふなだんす)などが展示されています。俵は約90キロもあったそうです。
通り土間は中庭に続き、中庭を囲むように蔵が立ち並んでいます。
2階は展示室となっており、北前船ゆかりの品々や、江戸時代以降の下津井の日常生活、漁業、商いで使われていた道具が展示されています。
船箪笥(ふなだんす)は貴重品を入れるもので、海難事故にあっても浸水しないよう頑丈に作られています。
中央にかかっているのは、藍染の木綿地に木綿糸で刺子が施された「刺子ドンザ」と呼ばれる漁師が仕事着として着ていた着物です。
展示されているドンザは、下津井の網元・今治代吉(いまじ だいきち)氏によるもので、日清戦争の戦闘場面が描かれています。
このほか、生活用品も展示されており、明治時代の下津井の町でどのような営みがあったのかを知ることができます。
いんふぉめーしょん館
中庭を挟んで「母屋」と向かい合って建っているのが「いんふぉめーしょん館」です。
下津井エリアでは「むかし下津井回船問屋」を含めて、「下津井町並み保存地区」「下津井節」が、以下のストーリーで日本遺産構成文化財に指定されています。
・一輪の綿花から始まる倉敷物語~和と洋が織りなす繊維のまち~
・荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~
階段の周りは下津井のお祭りや漁港、何気ない町のようすが写真パネルで紹介されていて、下津井の町の歴史を垣間見られます。
2階には昔の町のようすを伝えるペーパークラフトの作品が展示されています。
その他の施設
この他、敷地内には以下の施設があります。
・蔵ほーる
・収蔵庫
・しょっぴんぐばざーる
・蔵さろん
「蔵ほーる」はニシン粕などを保管していた蔵を復元したもので、昔は蔵いっぱいにニシン粕が積まれていたそうです。
現在は、和食とイタリアンのお食事処「カンティーナ登美」として営業しています。
営業時間外は無料休憩所として利用できるほか、イベントスペースとして使われることもあるそうです。
「収蔵庫」には地元から集められた日用品などが展示されています。
土産物店「しょっぴんぐばざーる」には、下津井ならではの土産物をはじめ、近海で獲られた海産物が多く並んでいます。
さすが下津井、名物の干しタコが目を引きます。
地元で作られたタコの加工品やノリなど、海の幸が豊富です。
「蔵さろん」は会議室として利用でき、申し込めばどなたでも使えるそうです。
下津井の町の繁栄の象徴ともいえる「むかし下津井回船問屋」。
館長の三宅武夫(みやけ たけお)さんに、復元のいきさつなど話を聞きました。
むかし下津井回船問屋の三宅館長にインタビュー
むかし下津井回船問屋 館長の三宅武夫(みやけ たけお)さんに話を聞きました。
──むかし下津井回船問屋が開館した経緯を教えてください
三宅(敬称略)──
1988年の瀬戸大橋の開通で、地元の団体などが「お客さんに滞在してもらうために、下津井の良いところをアピールしたい」と、岡山県に要望したことが始まりでした。
県が建物を購入し、整備・復元した後、施設は倉敷市に移譲され、10年ほど前から私たちNPO法人 鷲羽山の景観を考える会が管理・運営しています。
──なぜニシン粕が下津井港に荷下ろしされるようになったのですか
三宅──
岡山県南は、かつて「吉備の穴海」と呼ばれ、もともとは海でした。埋め立てて作物を育てようとしましたが、干拓地は塩分が強すぎて米が育たなかったんです。
そこで、塩分を吸収して土壌を改良する効果があるとされる綿を栽培しました。
当時、北海道の小樽あたりでは、水揚げしたニシンから行燈用の油を採って販売していました。そして、油を採った後のニシン粕が肥料として北前船で日本海を渡り、下関を経てここ下津井に運ばれていたそうです。
白壁の蔵はニシン粕の貯蔵庫でした。
回船問屋は北前船が運んできたニシン粕を現在の岡山県南に販売し、北前船で地域の特産品の綿花や塩を売って生計を立てていたということです。ニシン粕が倉敷の綿栽培を盛んにしたんですね。
下津井は小さな港町ですが、10数軒の回船問屋を含め、20軒を超える問屋が一本のとおりに軒を連ねていたそうです。
──見どころを教えてください
三宅──
むかし下津井回船問屋の建物は、約170年前の江戸時代後期のものです。
ここを開館するにあたり、この家のものはもちろん、下津井の暮らしも知ってもらおうと、町の家々に残っていた昔の生活用具や漁具、商売に使われていた品々を集めました。むかし下津井回船問屋は、下津井の町全体を集約した存在といえます。
北前船と下津井とのかかわりの歴史などとあわせて、当時の人々の暮らしにも思いを馳せていただければと思います。
──読者にメッセージをお願いします
三宅──
入館は無料、私の案内も無料、お気軽にお越しください。
また、少し足を延ばして祇園神社のある高台に上がると、四国山脈や四国を一望でき、瀬戸大橋なども見渡せる絶好のロケーションです。
ぜひ、港町の風情も楽しんでいただければと思います。
おわりに
瀬戸大橋のたもとに、ギュッと凝縮されて広がる下津井の町。
この小さな港町で、どれほど多くの船が帆を休め、どれほどの賑わいがあったのか。三宅館長のお話を聞いていると、当時の喧騒や港町の風情がよみがえってくるようでした。
むかし下津井回船問屋で北前船が下津井の賑わいを作り、倉敷を繊維の町へと発展させた歴史を、少しのぞいてみませんか。