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反対を押し切って古田敦也、池山隆寛を獲得した片岡宏雄スカウトの慧眼

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ヤクルト黄金時代の礎を築いた敏腕スカウト、85歳で死去

90年代ヤクルト黄金時代の礎を築いた敏腕スカウト・片岡宏雄氏が老衰のため死去していたことが12月12日、明らかになった。85歳だった。

ドラフト指名、獲得したのは荒木大輔、池山隆寛、長嶋一茂、古田敦也、石井一久、伊藤智仁……。アマチュア野球選手はみなプロ野球選手になることを夢見る。スカウトは「夢先案内人」である。故人を悼み、功績を振り返る。

スカウトは選手のどこを見るのか?

東大に入学できるのは1年に約3000人、プロ野球のユニフォームに袖を通すのは約100人。そういう意味でプロ野球選手は「野球の天才」だ。だからアマチュア野球の中でもプロ入りする選手の実力は際立っている。

しかし、投手はプロのコントロールのよさ、打者はプロのパワー、「インサイドアウト」のバットの出し方にカルチャーショックを受ける。そのまま消えていく選手も多い。

だから問題はプロで活躍できるか。それを見極めることこそがスカウトの眼力なのだ。

「選手のどこを見るかって? 女性を見分けるポイントと同じさ」

そう語ったのは故・片岡宏雄氏。大阪・浪華商高(現大体大浪商高)→立教大→59年中日→61年国鉄→夕刊フジ記者→ヤクルトコーチ→ヤクルトスカウト(72年~2001年)。

浪商で4歳下の張本勲を指導し、立大時代は1年上の杉浦忠と黄金バッテリー。59年プロ入り時は「新人王は片岡か王貞治か」と並び称された花形捕手だった(現役5年29試合42安打)。

投手のチェックポイントは「スピード」に始まり「ヒジの使い方」など、100も200もあるという。「だが、オレみたいに30年近くスカウトをやっていると、投手はキャッチボール1球、打者はボールの見送り方1球でわかる。語弊があったら御容赦願いたいが、たくさん女性を見てきた男と一緒だな」

ワイルドな容貌、ドスのきいた声。しかし、話すと優しい。そんな人だった。

監督との衝突厭わず信念貫く

思い出に残るスカウティングはやはり古田敦也だという。古田は「打力の弱さ。メガネ捕手」という理由でどの球団も獲得に二の足を踏んだ。

「アマ日本一と言われた大学出の捕手がたくさんプロに入ってきた。しかし活躍した試しはない。オレが育てるから元気のある高校出の捕手を捕ってくれ」。実は野村克也監督も獲得に反対だった。

「しかし、オレはもう古田に惚れてもうたんや。社会人野球最終打席に本塁打。そういう節目に結果を残す選手は大成する。守りに関しても、投手をプラスにする捕手だ」。その後の古田の攻守にわたる活躍はいまさら説明の必要もない。

球団最多の通算304本塁打を放った池山隆寛の獲得にしても反対を受けた。当時の武上四郎監督は、小早川毅彦(法大→広島)を欲しがった。お偉いさんから圧力もかかったそうだ。

「監督の言うことが聞けないなら、きみスカウトを辞めるかい?」「池山は10年にひとりの逸材です。ショートで三番を打てる大型内野手はめったにいません!」

スカウティングにおける座右の銘は「身分相応」

先述の通り、育成選手を含めて1年に100人のプロ野球選手が誕生するが、最初の15人、次の15人、それ以降で「選手の能力」はかなりレベル差があるという。

だから「オレは、リストは30人しか作らなかった」。現在のような完全ウェーバー制は戦力均衡の観点からはいいが、指名は順番なのでスカウトの手の出しようがない。

「だから秘密兵器を用意して、ドラフト4位以降で指名するのがスカウトの腕の見せどころなんだ」。確かに86年飯田哲也(ヤクルト)、89年前田智徳(広島)、90年鈴木尚典(大洋)、91年鈴木一朗(イチロー=オリックス)、91年中村紀洋(近鉄)ら、各球団の4位指名にはそうそうたるメンバーが名を連ねる。

「もう一つ、オレのスカウティングにおける座右の銘は『身分相応』だね。どんなに好きでも、チームカラーに合っていなければ夫婦仲はうまくいかない」。

片岡の最後のドラフト1位指名は、01年の石川雅規。片岡がスカウト退任以来、ヤクルトは15年まで長く優勝から遠ざかった。

優勝した15年の一軍投手コーチ、そして21年の監督が高津臣吾である。90年ドラフトで8球団競合の小池秀郎をクジで外したが、同じ亜大投手で目をつけていた高津を3位で指名した、片岡の慧眼であった。

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記事:山田ジョーンズ

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