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吉田拓郎からVaundyまで。時代の「てっぺん」を取った音楽家をつなぐ通史!【日本ポップス史 1966-2023】

NHK出版デジタルマガジン

吉田拓郎からVaundyまで。時代の「てっぺん」を取った音楽家をつなぐ通史!【日本ポップス史 1966-2023】

音楽評論家・スージー鈴木さんによる『日本ポップス史 1966-2023 あの音楽家の何がすごかったのか』が刊行されました。

「あの音楽家がいちばんすごかった時代」と「あの時代にいちばんすごかった音楽家」、両者の視点から生まれた無二のポップス史です。

レジェンド音楽家が何を成し遂げたのか、そして誰に何を継いだのか──日本のロック、フォーク、ニューミュージック……「日本ポップス史」の全体像を知りたいと思ったときにまずは手に取るべき見取り図となる一冊です。

本書の刊行を記念し、「はじめに」と「序章」を特別公開します。

『日本ポップス史 1966‒2023 あの音楽家の何がすごかったのか』書影

あの時代のあの音楽家の、いったい何がすごかったのか

 日本のポップスについての「通史」を書きたい──それが本書執筆の動機である。

 沢田研二やザ・ブルーハーツ、チェッカーズなど、ある音楽家に絞った本をいくつか書いてきた。また1979年や1984年など、ある年代の音楽シーンに絞った本も。

 それでも、歴史全体を俯瞰する「通史」は書いていない。書いてくれという依頼もなかったし、また自分に書けるとも思っていなかった。

「通史」──いわば教科書である。日本のロック、フォーク、ニューミュージック……ポップスの全体像を知りたいと思ったときにまずは手に取る設計図、見取り図のような本。けれど、自分に書けるのか。

 しかし、1つのアイデアが降りてきた。

 これまで、音楽家についての本、時代を絞った本を書いてきた。だとしたら、その2つの切り口を組み合わせればいいのではないか。

 つまりは、

・(縦軸)その音楽家が、いちばんすごかった時代
・(横軸)その時代の中で、いちばんすごかった音楽家

 この2軸の交わり、質的に量的に図抜けていた=いちばんすごかった「あの時代のあの音楽家」をつなぎ合わせて書けば、新しい形の「通史」になるのではないか、というアイデアである(図参照)。

図 「時代→音楽家」という本書の方法論

「すごかった」という言葉は多分に感覚的だが、意味合いとしては、作品性(作品自体のクオリティ)と時代性(時代の席巻度合い)をかけ合わせた数値が最高水準に達した「あの時代のあの音楽家」。

 そう「1972年の吉田拓郎」のような「あの時代のあの音楽家」の「すごみ」をつなぎ合わせた通史。それが本書『日本ポップス史 1966‒2023』なのだ。

 さて、本書は「ポップ」(ポップス、ポップスター)という言葉にこだわっている。ロック、フォーク、ニューミュージックでもなく、Jポップでもなく──「ポップ」。

 込めた意味合いとしては、先の「時代性」、ひいては「大衆性」にこだわりたいということ。平たく言えば、類書に対して本書は「売れたこと」に、しっかりとこだわって書いてみた。

 ややもすると「作品性」に体重を乗せ過ぎた結果、「売れなかったけどすごい」、下手したら「売れなかったからすごい」という書きっぷりを、未だによく目にする。そういう感覚が膨張した結果として広がったのが、本書の中で何度か出てくる「はっぴいえんど中心史観」だと思う。

 対して本書は、吉田拓郎、ザ・スパイダース、キャロルなどの「時代性」「大衆性」をしっかりと捕捉した構成にしたかった。これ、つまりは「ポップ」ということだ。

 だからこそ、日本のポップス史の(ロック視点での)源流となるスパイダースの歴史的アルバムのキーパーソン「1966年のかまやつひろし」を起点としたのである。

 そこから「2023年のVaundy」までをつなぐ、先の図中の対角線は、「すごくなる前」「すごくなった後」ではなく、「すごさが極まった、あの時代のあの音楽家」をつないだ、キラキラ光る「ポップライン」であり、これが本書の内容なのだ。

 さて、ここで「通史」には、客観中立が必要だという人もいるだろう。対して私は、これはスージー鈴木流の「通史」だと先に断っておく。

 そもそも私は、歴史を語る上で、客観中立なんてあり得ないと思っている(年表でさえ、何を取捨選択して載せるかに、制作者の主観が入る)。

 本書はあくまで、私の耳、私の身体を通した、他の誰でもない私自身の見立てによる「通史」だ。途中、約20年ものブランクがあるのも、その結果である。これこそが聴き手視点から、ポップスをポップに語る方法論だと信じて。

 最後に。本書の校正作業中、音楽評論家・渋谷陽一の訃報が伝えられた。

 実のところ本書は、渋谷陽一『ロックミュージック進化論』を目指して書いたものである。80年刊行。版元は日本放送出版協会。本書の版元=NHK出版の前身だ。

 この本で人生が変わった人間を何人か知っている。かくいう私もその1人だ。高校の図書館で、この本に出会って人生の方角が変わった。

 本書『日本ポップス史 1966‒2023』は、『ロックミュージック進化論』に、渋谷陽一によって変えられてしまった自分の人生に、ある種の落とし前をつけるつもりで書いたものである。

1972年の吉田拓郎(序章)

「ポップスター」としての評価の難しさ

 本書でたびたび登場する言葉「ポップスター」は、実は吉田拓郎を強く意識したものである。つまり、彼をジャンルでカテゴライズすることの無効性を肯定し、ポップスターと言いきってみたいのだ。

 いうまでもなく吉田拓郎は「フォーク」の人だった。70年代当時、一般的に「フォークのプリンス」として語られ、その後もフォーク界の親玉のように取り扱われたのだが、それでも音楽性は、いわゆるフォークのイメージ、例えば、アコースティックギターに乗せて切々と歌うというスタイルから大きく逸脱する楽曲も多かった。

 では「ロック」はどうか。のちに触れるイノベーティブな音楽活動や精神性は個人的に、まさにロック的だと思っているが、ただ「ロック」は、先の一般的な「フォーク」の対義語でもあったので、少々かみ合わせが悪いだろう。

 では「ニューミュージック」ではどうか。いや、これはもう死語だ。そしてさすがに「Jポップ」も違う。吉田拓郎の最盛期と時間軸がずれている。

 そこで「ポップスター」を提案したいのだ。

 もちろん、ここでの「ポップ」は音楽用語である。「フォーク」「ロック」「ニューミュージック」「Jポップ」をも包含する「ポップス」の「ポップ」だ。だから自作自演する音楽家のレッテルとして悪くないだろう。

 加えて、「ポップ」という言葉から漂う、華やかできらびやかで躍動的な感じ、それらが「スター」によってさらに増幅されると、まさに吉田拓郎的だし、ひいては矢沢永吉的で桑田佳祐的でもある。

 この本は、そういう時代を席巻し、後世に影響を与えた自作自演音楽家としてのポップスターを語る本である。「何がフォークか」「ロックとは何か」などのしかめっ面したつまらない議論をぴょんと飛び越えて、ポップスターとしての吉田拓郎をストレートに語る本である。

 ただ、まさにそんなポップスターでありながら、吉田拓郎の真価は実に見えにくい。語られにくい。その理由となるのが、先に述べたカテゴライズの難しさだ。

 意識的(狭量)なフォークファンからは、その「ポップ」な活動やキャラクターが商業主義だ、軟弱だと批判された。逆に、こちらも意識的で狭量なロックファンからは「ギター一本だからしょせんフォークじゃないか、ロックじゃない」と思われた。

 そして、私世代にとっては若い頃、一世代上のコアなファンが熱っぽく「拓郎!」と叫ぶのを見て、「古いなぁ」「70年代的だなぁ」と思ったものだった。

 これらの狭量なあれこれがこんがらがって、吉田拓郎の功績やすごみ、さらには「ポップスター性」が、十分に語られてこなかったと考えるのだ。

 かくいう私も、先のような先入観から、何となくずっと敬遠してきた。しかし後年、おそるおそる作品を聴いてみて驚いた。

 ──「すごい。これ、フォークだし、ロックだし、ちょっとソウルだし、そして強烈にポップじゃないか!」

シンプル志向のサウンドと日常的な歌詞

 概念的な話が続いたので、具体的な話に切り替える。吉田拓郎の音楽的功績の1つ目は「シンプル志向のサウンド」の確立だろう。

 アコースティックギター主体の音楽性を確立した。この「音楽性を確立」という言葉には、岡林信康など、それまでのフォーク勢よりも、技巧的かつ垢抜けたサウンドを創造したという意味も込めている(後述する)。具体的に言えば、譜面台を立てて、アコースティックギターを抱えて弾き語るというスタイルの確立。

 また素朴で、まるで鼻歌で作ったような普段着のメロディも画期的だった。

 こちらも具体的に言えば、あとで触れる『結婚しようよ』(72年)は「ド・レ・ミ・ソ・ラ」の5音しか使わない「ペンタトニック」(五音音階)という、演歌や世界中の民謡で使われる素朴な音階で作られている。だからこそ、当時の若者の口に馴染みやすい、独特の人懐っこさを持っていた。

 そう言えば、歌謡曲作曲界のレジェンド・筒美京平は、「吉田拓郎の登場は脅威だった」という意味のことを何度となく語っていた。

 確かに、日本のポップス史を振り返ってみると、筒美京平やすぎやまこういち、鈴木邦彦、村井邦彦らがグループサウンズ(GS)を通じて作り上げた、洋楽ベース、クラシック・ベースの音楽性に向かって、吉田拓郎という若者が、素足かつ素裸で踏み込んできたような印象を受ける。筒美京平にとって、それはそれは脅威だったことだろう。

 功績の2つ目として「若者の日常を切り取った歌詞」も挙げられよう。

 それまでのフォーク界を席巻していた、社会に疑義を唱えるメッセージソングではなく、あくまで日常と、その日常に対する個人的心情を歌うというパラダイムチェンジを成し遂げたのだ(それゆえ「守旧派」のフォークファンから、かなりの批判を浴びたのだが)。

 日常は、この日本という風土における毎日の生活ということになる。例えば『夏休み』(71年)や『旅の宿』(72年、作詞は岡本おさみ)などは、のんびりとした日本的な風景やシチュエーションを歌っている。

 これら「日本の若者の日常」的歌詞世界は、例えば《♪森と泉にかこまれて 静かに眠るブルー・シャトウ》(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ『ブルー・シャトウ』67年)などの「無国籍的、でもそこはかとなくヨーロッパ的」な張りぼて・書き割りのような言葉を蹴り飛ばす攻撃性を持っていた。

 以上、「シンプル志向のサウンド」と「日常を切り取った歌詞」(に加えて、まくしたてるように歌う・がなる「字余り唱法」=「拓郎節」)の結果として、団塊世代の多くの若者が「俺にも出来る」と思った。そしてアコースティックギターを手に取って弾いてみた。歌ってみた。そして曲を作ってみた。

 日本でエレキギターをもっとも売った音楽家はベンチャーズだと思う。アコースティックギターは吉田拓郎ではないだろうか。

背景にあった独自の音楽観とポップ観

 しかし、吉田拓郎を目指した若者のほとんどは途中で挫折することとなる。なぜならば、一見誰にでも真似できそうな作品の背景には、広くて深い音楽的素養があったからだ。

 まずは当時の日本において(ビートルズならまだしも)ボブ・ディランを志向した先進性。次に、ソロデビュー前にリズム&ブルース・テイストに溢れたバンド「ダウンタウンズ」を組んでいたという事実(音源が残っているが、かなり上手い)。

 つまり吉田拓郎はフォーク一筋の人では決してなく、広く深い音楽的素養を背景に、いわば、いくつもある選択肢の中からフォークを選択したのだ。それもボブ・ディランに象徴される、込み入った音楽性・思想性も組み入れたフォークを。これらはすなわち、吉田拓郎ならではの音楽観・音楽知識のなせる技だった。

 さらに面白いのは、本書で取り上げる他のポップスターとは異なり、いわゆる芸能界的な世界まで射程に入れていたこと。

 66年、その頃組んでいたバンドメンバーとともに、当時隆盛を極めていた渡辺プロダクションを、広島からわざわざ来訪している(そのときにお茶を出したのが、のちに吉田拓郎から『襟裳岬』を提供され、74年の日本レコード大賞を受賞する森進一と言われている)。

 この事実に象徴されるのは、「いい音楽を作れば売れなくてもいい」という(日本の音楽シーンに今も沈殿し続ける)まったくポップではないスタンスの真逆となる価値観=「まずはとにかく売れたい」という革新的な「ポップ観」も併せ持っていたことだ。

 独自の音楽観とポップ観の両立。だからそう簡単には吉田拓郎にはなれなかったのだ。そんな「吉田拓郎フォロワー」の数少ない勝利者の1人が長渕剛ということになる。

音楽観とポップ観に裏打ちされたビジネス才覚

 さらにすごいのは吉田拓郎の功績が、ポップ観の具現化、つまりビジネスの領域にも及ぶことだ。端的に言えば「音楽は金になる」ということを示したのだ。

 まずはコンサートツアーというスタイルを確立したこと(さらにはコンサートでの演奏水準も飛躍的に高めた。アルバム『LIVEʼ73』参照)。そして日本初の大規模オールナイト野外コンサート「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート イン つま恋」(75年)を成功に導いたこと。

 さらには、小室等、井上陽水、泉谷しげるとフォーライフ・レコードを創立し(75年)、のちに自身が社長を務めたこと。

 また、テレビ出演を拒否しながら、ラジオには頻繁に出演して、達者なしゃべりを披露する。そして歌謡界にも頻繁に楽曲を提供したのも、吉田拓郎のビジネス才覚をよく表していると思う。

 つまり「いい音楽を作れば売れなくてもいい」ではなく、「いい音楽なんだから、売れなきゃならない」という、吉田拓郎の音楽観とポップ観に裏打ちされた活動のように思えるのだ。

 吉田拓郎を継ぐ形で、音楽をビジネスとしてさらに確固たるものに更新した桑田佳祐は、自身のラジオ番組で「吉田拓郎を聴いて、音楽で金を稼ぐって、すげぇいいなと思ったんです」と話した。このエピソードは、吉田拓郎が日本の音楽ビジネスに果たした役割を、極めて端的に示している。

 だが、そんな無敵の吉田拓郎も、80年以降は正直、時代とずれ始めたと言わざるを得ない。

 当時のシングル『元気です』(80年)を聴いて、当時中2だった私は、難しいことはよく分からなかったが、直感的に古いなと思ったものだ(今から考えればペンタトニックによる、いわゆる「拓郎節」がそう思わせたと考えられる)。

 時代は桑田佳祐、そして同じく広島出身で長身、3歳下の矢沢永吉の方向に向いていく(ちなみに吉田拓郎は80年代の一時期、「桑田佳祐がライバルだ」と言っていた。その頃の拓郎に対する、桑田佳祐からの屈折した応援歌が85年のサザンオールスターズ『吉田拓郎の唄』である。

 ただ、そんなことがどうでもよくなるほどに、70年代の吉田拓郎はすごかった。いや凄まじかった。なぜなら、矢沢永吉も桑田佳祐も、吉田拓郎が敷いたレールの上を走ったにすぎないのだから。

 ──「ポップスター」と書いて、「吉田拓郎」と読む。

●『結婚しようよ』

 吉田拓郎の代表作として知られる1曲である。

 シングルは約40万枚を売り上げた。そして次の『旅の宿』は70万枚を売り上げ、チャートの1位へと昇りつめる。

 71年の夏に開催されたフォーク系の大規模フェス「第3回全日本フォークジャンボリー」における『人間なんて』の熱唱によって、フォーク界の頂点の座を岡林信康から奪った吉田拓郎(ちなみに2人は同い年)。

『結婚しようよ』は元々、その71年秋発売のアルバム『人間なんて』に収録。ただこのアルバムはエレックレコードという76年に倒産するレコード会社からの発売。しかし翌年早々に出た『結婚しようよ』のシングルは大資本・CBSソニーの発売。この鞍替えが、70年代前半に起きた吉田拓郎の特大ブームの背景になっている。

 もっとも話題を呼んだのが歌詞だろう。結婚と言えば「家と家」による人生最大の儀式と思われていたときに、「♪髪が伸びたら結婚しよう」と歌ったことが、いかに鮮烈だったか。また歌詞における社会的メッセージ性の希薄さも、フォークファンから当時「体制的だ」「商業主義だ」と大いに批判されたものだった。

 批判が、賛同の火に油を注ぐ。頑なな守旧派フォークファンの男性から批判を浴びるのに比例して、ライトな新規フォークファンの女性から熱狂的な支持が高まることとなる(余談だが、当時の吉田拓郎は、なかなかに美しくかわいい)。

 メロディは先述の通り、「ド・レ・ミ・ソ・ラ」という五音しか使わないペンタトニック・スケールで出来ている。『イメージの詩』(70年)もそう。シンプルかつ土着的で、鼻歌で作ったような人懐っこさがある。筒美京平が脅威に感じたというのも無理はない。

 さらにはコード進行も一筋縄ではいかない。《♪結婚しようよ whm……》のところの「Am→C」(キーE♭をCに移調)というところは、かなり珍しい(単なる思い付きかもしれないが)。

 アレンジを担当したのは加藤和彦。加藤はザ・フォーク・クルセダーズでのブレイクが早いため、吉田拓郎の先輩と思いがちだが、実は生年は1年遅い(ただし同学年)。ちなみにこの曲のレコーディングは、松任谷正隆、そして林立夫(椅子を叩いている!)が参加していて、彼らの実質的な初仕事となった。

 6年前、渡辺プロダクションを訪問し、門前払いのような対応を受けた若者が、72年、まったく新しい音楽を伴って、音楽シーンのど真ん中に分け入っていく。時代はこのとき動いた。

『日本ポップス史 1966-2023 あの音楽家の何がすごかったのか』では、

・第1章「1966-1979」で、かまやつひろし/加藤和彦/細野晴臣/財津和夫/矢沢永吉とジョニー大倉/井上陽水/荒井由実/中島みゆき/桑田佳祐/ミッキー吉野/小田和正と鈴木康博を、

・第2章「1980―1994」で、佐野元春/忌野清志郎/大滝詠一/山下達郎/浜田省吾/氷室京介と布袋寅泰/甲本ヒロトと真島昌利/岡村靖幸/奥田民生/小室哲哉/小沢健二を、

・第3章「2016―2023」で、宇多田ヒカル/米津玄師/Vaundyを、

それぞれ取り上げて日本のポップス史を辿ります。

スージー鈴木
1966年、大阪府東大阪市生まれ。音楽評論家、ラジオDJ、作家。早稲田大学政治経済学部卒業。昭和歌謡から最新ヒット曲まで、邦楽を中心に幅広い領域で音楽性と時代性を考察する。著書に『沢田研二の音楽を聴く 1980-1985』『大人のブルーハーツ』『中森明菜の音楽 1982-1991』『80 年代音楽解体新書』『サザンオールスターズ1978-1985』『桑田佳祐論』『幸福な退職』など多数。
※刊行時の情報です

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