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【井上順の渋谷さんぽ】愛されて生誕100年。意外と知られていない「忠犬ハチ公」の“本当の物語”

さんたつ

渋谷生まれ渋谷育ち、渋谷在住。毎日のように渋谷の街を歩き、X(旧 Twitter)で渋谷の魅力を発信する「渋谷散歩の達人」井上順が、お気に入りスポットをご案内! 今回は、渋谷のシンボルともいえる「忠犬ハチ公像」と、そのモデルとなった秋田犬「ハチ」の意外に知られていない“本当の物語”を紹介したい。 文=井上順

グッモー! 井上順です。

JR渋谷駅ハチ公前広場にある「忠犬ハチ公像」。
待ち合わせ場所として有名だが、海外からの旅行客にも大人気で、記念撮影のための長い行列ができている。

ハチ公が海外でも知られるようになったのは、リチャード・ギア主演のアメリカ映画『HACHI 約束の犬』 (2009年公開)がきっかけだろう。
旅行のガイドブックやウェブサイトの口コミなどでハチ公についての物語を知り、思い入れを抱いたという方も多いという。

そんな忠犬ハチ公の物語だが、実は誤解されていることや、意外に知られていない事実もあるようだ。

前回の記事で紹介した『白根記念渋谷区郷土博物館・文学館』の学芸員、松井圭太さんは、長年ハチ公について調査研究をしており、ハチの飼い主の上野博士の家族や親せき、当時の関係者、そしてハチを実際に見たことがある人など、200人以上に実際に会って話を聞いてきたという。

僕も渋谷区民として、ハチについての「できる限り真実に近い話」を知っておきたいと思い、改めて松井さんにお話をうかがうことにした。

ハチはなぜ渋谷駅でご主人を待ち続けたのか?

「忠犬ハチ公像」のモデルとなった秋田犬のハチは、2023年11月に生誕100年を迎える。
時代を超え、今や世界中の人々から愛されているハチ。

帰らぬ飼い主を渋谷駅で何年も待ち続けたという話は、もちろんみなさんご存知だと思う。しかし、ハチはなぜそんなに待ち続けたのだろうか?

「ハチ公の話としてよく紹介されているのは、『ハチは毎日、飼い主の上野博士を渋谷駅まで送り迎えしていたので、亡くなったことを知らずに渋谷駅に通い続けた』というもの。でも、実はちょっと違うんです」と松井さん。

ハチ公について調査研究している学芸員の松井圭太さんと。

「ハチの飼い主は、東京帝国大学(現在の東京大学)農学部の教授だった上野英三郎博士。当時の農学部は駒場にあったので、上野博士は松濤の自宅から駒場まで『徒歩で』通勤していました。ハチは毎日、渋谷駅ではなく駒場まで上野博士を送り迎えしていたのです」

では、ハチはなぜ渋谷駅に?

「上野博士は日本における農業工学、農業土木の生みの親といわれる方で、当時とても多忙な日々を送っていました。大学での講義だけでなく全国各地で講演を行い、さらに農商務省の農業土木技術員養成官として技術者の育成にも携わっていました。そういった仕事で出張するときは渋谷駅を使っていたのです」

つまり、ハチは毎日の習慣で渋谷駅に通っていたのではなく、上野博士に会いたくて渋谷駅に通っていたのだ。

でも、なぜハチは渋谷駅で待っていれば上野博士に会えると考えたのだろうか?

「あるとき、上野教授が出張を終えて渋谷駅に着いたところ、思いがけずハチが待っていたことがありました。喜んだ上野教授は、駅の近くの焼き鳥屋台にハチを連れて行きました。ハチはご褒美として焼き鳥のおすそ分けをもらっていたとの話が残っています。そのため、ハチは上野博士が大学に行かない日、あるいは何日も留守にしているときには、渋谷駅で待っていれば上野博士に会えると理解していたのではないかと思います」

当時は、今と違って鶏肉は牛肉よりも高価だった。焼き鳥は屋台としては高価な品だったため、気軽に毎日食べられるようなものではなかったようだ。
上野博士の喜びの大きさがハチにも伝わったのだと思う。「ほめられた!」って、ハチもうれしかったのだろうね。
ハチは焼き鳥が大好物だったといわれているが、それは上野博士との大事な思い出のひとつだったからかもしれない。

「ハチは本当に賢い犬だったんだね。生誕100年、おめでとう!」

秋田で生まれ、渋谷へやってきたハチ

実は、上野教授とハチが一緒に暮らしたのは1年4か月ほどと意外に短い。その短い期間に、どのようにして絆が生まれたのだろうか?

ハチは、1923年(大正12)11月、秋田県大館市の農家に生まれた。今からちょうど100年前、関東大震災のあった年だ。
翌年1月、生後2か月ほどでハチは渋谷の上野博士のもとにやってくる。秋田県庁に勤める教え子から贈られたそうだ。

「極寒の時期に、夜行列車で二十数時間もかかって『貨物』として運ばれた子犬のハチは、着いたときにはかなり衰弱していました。上野博士は自分のベッドでハチを一緒に寝かせて看病するなど、我が子のように愛情を注いだそうです」

ハチは、そのあと半年くらいは病気続きで、生死の境をさまようこともあったという。
犬は庭の犬小屋などで飼うのが当たり前だった時代に、上野博士は子犬のハチを家の中に入れ、大事に育てたそうだ。

やがて元気になったハチは、上野家でもともと飼われていた2匹のポインターとともに上野博士の送り迎えをするようになった。

『白根記念渋谷区郷土博物館・文学館』の入り口で出迎えてくれるハチ公のレプリカ。背後のパネルはハチが渋谷にやってきたころの渋谷駅だ。

しかし、ハチにとって幸せな日々は、突然、終わりを迎えることになる。
1925年(大正14)5月21日、上野博士が大学構内で倒れ、帰らぬ人となってしまったのだ。

ハチにとってつらい日々

「上野博士が亡くなると、夫人の八重子さんは正式な婚姻届けが出ていない内縁の妻だったために、上野博士と暮らしていた家を出なければならなくなりました。八重子さんは知人の家に身を寄せることになったのですが、飼い犬を連れて行くことはできず、親戚の家に別々に預けることにしました」

しかし、突然知らない家に預けられたハチは、何かとトラブルに巻き込まれ、何軒かの家を転々とすることに。

「そんな八重子さんの窮地を救ったのは、上野博士を心から慕っていた教え子たちでした。
『八重子さんをこのまま居候住まいにしておくわけにはいかない』と、みんなで協力して世田谷に家を買い、八重子さんにプレゼントしたんです」

上野博士が亡くなって約2年後、八重子さんは再び愛犬たちと暮らせることになった。

「ところが、2匹のポインターもハチと同じように預けられた先で冷遇されていたようで、一匹は行方不明になっていました。そしてもう一匹は性格が変わってしまっており、以前は仲良くしていたハチに噛みつくようになったんです。ハチはおとなしい性格なので噛まれても黙っています。それをかわいそうに思った八重子さんは、ハチだけつないでいた綱を外して自由に歩けるようにしたといいます」

ちなみに、当時は飼い犬が街なかを自由に歩き回るのは普通のことだった(犬の放し飼いが禁止になったのは、戦後、狂犬病予防法が施行されてからのこと)。

しかし、ハチは近所の畑を歩いているだけで「畑を荒らすな!」と怒鳴られてしまう。棒で叩かれて血まみれになって帰ってきたこともあったそうだ。

そんなある日、八重子さんは知人から「ハチを渋谷で見た」という知らせを受ける。

「ハチは上野博士や渋谷の街が恋しいのかもしれない、と考えた八重子さんは、渋谷の富ヶ谷に住む小林菊三郎さんにハチを預けることにします。小林さんは植木職人として上野家に出入りしていたため、ハチもなついていました。八重子さんはハチを我が子のようにかわいがっていたので、ハチのためにと泣く泣く手放す決断をしたのです」

小林家に預けられたハチは、毎日渋谷駅に通うようになった。
午前9時ごろ出かけて1時間ほどで戻り、夕方にも出かけて1時間ほどで戻って来ていたという。

「いつも渋谷駅の改札の近くに静かに座っていたハチですが、駅の利用者にとって改札の目の前に座る大きな秋田犬はさすがに迷惑だったようで、『邪魔だ!』と怒鳴られたり、蹴られたりしていたそうです」

駅員や駅前の店の人に水をかけられて追い払われることもたびたび。顔に墨で眼鏡や八の字髭を描かれるなどのいたずらをされたこともあったという。
それでもハチは吠えたりしない、本当におとなしい犬だった。

「忠犬ハチ公」として一躍有名に

そんなハチを取り巻く状況が一変したのは、ハチが渋谷駅に通い始めてから約5年後の1932年(昭和7)のこと。
10月4日付の朝日新聞に、ハチの境遇をつづった「いとしや老犬物語」という記事が写真入りで掲載されたのだ。

「翌日から、賢いハチの頭をなでようと小学生が列をつくるようになりました。渋谷駅には全国から手紙とともに『これであったかいもの食べさせてください』とお金が次々に送られてきた。駅長さんは駅長としての仕事よりもハチ公関連の対応で手一杯だった、という話も残っています」

有名になったハチは、渋谷駅のどこへでも入れてもらえるようになり、改札前でご主人の帰りを待つ時間以外は、夏は涼しい場所で、冬はストーブのある暖かい部屋で過ごすことができるようになった。

晩年のハチ。(写真提供=『白根記念渋谷区郷土博物館・文学館』)

さらに、1934年(昭和9)にはハチの銅像「忠犬ハチ公像」が建てられる。4月21日の除幕式にはハチも参加したそうだ。
「忠犬ハチ公像」はハチの死後に建てられたのだろうと思っていたが、ハチは自分の銅像を見たんだね。

「1934年(昭和9)1月に銅像制作の募金活動が開始されると、全国の小中学生から貯めたお小遣いなどたくさんの寄付が送られてきました」

そして、2月にハチ公が病気で危ないと新聞報道されると、人々は何とかハチが生きている間に銅像を建設したいと願うようになった。

「3月10日には、銅像建設資金を集めるために、明治神宮外苑の日本青年館で『ハチ公の夕べ』という演芸会が開かれ、2000人もの観客が集まりました。当時のハチ公は爆発的な人気だったので、ハチ公の物語がレコード化されたり、浪曲や踊りもつくられたりしていました。それが舞台上で実演されるということで、大盛況だったようです」

そして結果的にハチの存命中に銅像ができあがったということだ。

忠犬ハチ公をめぐる「気になる噂」

ハチ公の物語が美談として広がると、反動として異論や変な噂話も出てくる。

例えば、ハチ公の物語は、国への忠誠心をあおるために美談に仕立て上げられ、軍国主義に利用されたのではないかという話。

「時代的に忠義の物語が美談として浸透しやすかったとは思いますが、軍国主義などに利用されるといったことはあまりなかったと私は考えています。1935 年(昭和 10)4月から採用の尋常小学校の修身の教科書に、『恩ヲ忘レルナ』の表題でハチ公の物語が載ったのは確かですが、想定された教育効果がないと判断されたのか、数年後には別の話に差し替えられました。実際、当時渋谷駅に届いた子どもたちからの手紙を読んでも、ハチの忠義に関することではなく、『ハチ公はかわいそうだ』とか、『お母さんを亡くした自分とハチ公は同じだ』といった、純粋な思いがつづられているものが多く見られます」

噂話といえば、ハチ公が渋谷駅に通っていたのは駅周辺の屋台で焼き鳥をもらうためだった、という話も聞いたことがある。
確かにハチは焼き鳥が好きだったようだが、本当のところはどうなのだろう?

「1987年(昭和62)に映画『ハチ公物語』が公開されたときに、話題作りのためか週刊誌が『実はハチ公は焼き鳥目当てに渋谷駅に通っていた』『ハチ公は忠犬ではなかった!』などと書き立てたため、そんな作り話が広がってしまったのです」

ハチは小林家でかわいがられ、餌も十分にもらっていたそうだ。それに、ハチが渋谷駅で食べ物をもらえるようになったのは、ハチ公として有名になってからのこと。それ以前の、野良犬同様の扱いを受けていたころのハチが、当時高価だった焼き鳥をもらえるなんてことはなかったと思う。

ハチ公の死

1935年(昭和10)3月8日の午前6時ごろ、渋谷駅近くの稲荷橋付近でハチが死亡しているのが発見された。
11歳だった。

「午前11時ごろ、八重子さんが忠犬ハチ公像の首に黒いリボンを結ぶと、一般の人もハチ公の死を知ることとなりました。午後4時ごろには3000人あまりの人がハチ公像前に集まり、花輪、果物、お菓子などを供えたり、急遽設置された賽銭箱に賽銭(香典)を入れたりしたそうです。翌日は土曜日だったため、教員の引率で学校・学級単位で渋谷駅にやってくる子どもたちも多く、前日以上の人出があったといいます」

ハチの墓は都立青山霊園にある。上野家の墓所の中にハチを祀る石祠が建てられているのだ。これでようやく、上野博士とハチが一緒に眠れるようになったんだね。

ただ、ハチの遺骨は骨格標本にされていたのだが、1945(昭和20)5月25日の東京大空襲で焼失してしまったとのこと。

ハチの亡骸は上野の『国立科学博物館』へ寄贈され、剥製として現在も常設展示されている。

1964年の東京オリンピックなどに合わせ、ハチ公の剝製を『国立科学博物館』から一時借り出しJR渋谷駅で展示が行われた。(写真提供=交通新聞クリエイト)

松井さんのお話をうかがって、ハチは本当にやさしくて強くて賢い犬だったということがよく分かった。

今日もハチ公像は渋谷駅前でたくさんの人に囲まれている。

「実は、初代の『忠犬ハチ公像』は戦時中の金属回収により供出されてしまったのですが、終戦の3年後、1948年(昭和23)8月に再建されました。現在の『忠犬ハチ公像』は二代目なのです」

ハチ、これからもずっと、渋谷の街と僕らを見守っていてちょうだいね。

僕は、ハチがそこにいると思うだけで、なんだか幸せな気分になる。

ハチに会えた上野博士は幸せ(4あわせ)。上野博士に会えたハチもきっと幸せ(4あわせ)だった。ふたりの出会いは、幸せなハチあわせ(8あわせ)だったのかもしれないね。(笑)

渋谷区内を走るコミュニティバス「ハチ公バス」。運賃100円、ハチ公のイラストが描かれた愛らしい車体で多くの人に親しまれている。

撮影=福山千草 構成=丹治亮子

井上 順
役者、エンタテイナー
1947年生まれ、東京都出身。16歳の時に「ザ・スパイダース」に加入し芸能界へ。渋谷生まれ渋谷育ち。2020年に渋谷区名誉区民に顕彰された。著書にエッセイ集『グッモー!』(PARCO出版)がある。

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