子どもたちの成長と未来を守る! 地域のドクターと医療従事者が立ち上がり、10年間続けてきた「野球ひじ検診」
2026年2月1日。東京都江戸川区立葛西小・中学校の体育館で「野球ひじ検診」が行われました。江戸川病院スポーツ医学科・整形外科医である岩本航先生が理事長を務めるNPO法人江戸川スポーツ医学研究会の皆さんが中心となり、地域の医師や理学療法士などの医療従事者が連携し、検診事業、スポーツメディカルチェック、勉強会・研修会など、多岐にわたる取り組みを行なってきています。
この日開催された「野球ひじ検診」は、今年で記念すべき10回目を迎えました。今回は、実際に会場となった江戸川区立葛西小・中学校の体育館にお伺いして、実際の検診の様子を密着取材させていただきました。
元プロ野球選手・館山昌平氏が伝える「早期発見」の希望
スポーツ界では大谷翔平選手や三笘薫選手など、世界で活躍する日本人選手の活躍が注目を集めています。しかしその一方で、日本の子どもたちの体力・運動能力の低下が深刻な問題となっています。幼少期の運動頻度の減少やスポーツ離れが進む中、スポーツを続けられる環境を守ることの重要性が高まっています。とくに成長期の子どもたちにとって、ケガは競技人生を左右する大きな問題です。
江戸川区で今回、記念すべき10回目となるこの取り組みは、スポーツ整形外科のドクターを中心に、医療従事者が有志で集まり、地域の子どもたちの「長くスポーツを楽しめる環境づくり」に貢献してきました。
「野球ひじ検診」は10年ものあいだ、コツコツと活動を積み重ねてきたこともあって、会場となった東京都江戸川区立葛西小・中学校の体育館には、午前に28チーム・282名、午後に22チーム・296名、総勢50チーム・578名という過去最大規模での参加申し込みがありました。
午前の開始前には、プロジェクト・アンバサダーの元プロ野球選手の館山昌平さんが会場を訪れ、「僕は、プロ野球選手としてマウンドに立ってきました。トミー・ジョーン手術って聞いたことがあるかな?僕はね、何度も手術をしたけど、そのたびに復帰したんだ。だから、もし今日の検診で何かが見つかっても、早めに対応すれば大丈夫です。僕なんか何回も手術しても復帰してたくさん投げてきました。検診で早めに見つかれば必ず治ります!」と、子どもたちに向けた館山昌平さんの力強いメッセージが会場内に響きわたりました。
検診で見つかることを恐れるのではなく、早期発見こそが選手生命を守る鍵となる。実体験も交えて話す館山さんの言葉は、子どもたちだけでなく、保護者や指導者にとっても大きな安心材料となりました。
NPO法人江戸川スポーツ医学研究会の挑戦
この検診を主催するNPO法人江戸川スポーツ医学研究会は、スポーツ医学の知識を地域に還元することを目的に活動しています。理事長を務める岩本航先生(江戸川病院スポーツ医学科・整形外科医)を中心に、地域の医療従事者が連携し、検診事業、スポーツメディカルチェック、講習会・研修会など、多岐にわたる取り組みを展開しています。
少子化が進む中、江戸川区や葛飾区、市川市などの地域では、小学生を対象とした野球ひじの検診だけでなく、サッカーアカデミーへのメディカルチェック、保護者向けの栄養指導、熱中症対策の指導、さらには指導者向けのドーピングに関する勉強会も開催しています。
スポーツを「する」だけでなく、「安全に続ける」ための医学的サポート体制を地域に根付かせるという使命をもって活動されています。
検診から見える「包括的なサポート」の重要性
今回の検診では、エコー検査だけでなく、フィジカルチェックとパフォーマンスチェックも行われました。フィジカルチェックでは、投球側のひじの圧痛、肘関節の屈曲/伸展などの可動域など、6項目の専門的な検査。パフォーマンスチェックでは、しゃがみ込みテスト、ブリッジ、広背筋テスト、垂直跳びなど、身体機能とパフォーマンスを総合評価しました。
これらの項目の判定内容は、フィードバック用紙にチェックを入れて選手に渡され、その後のフィードバックやトレーニング指導については、具体的な改善方法の運動事例の用紙も手渡され、会場で実践方法のレクチャーも行われるといった手順で、検診全体が進んでいきました。単なる診断だけでなく、予防のための具体的なアクションまで提示することで、選手たちの継続的な健康管理をサポートしています。
痛みが出た時には深刻!」-外側型野球ひじの警鐘
検診の前に、医師によるミニレクチャーからスタートしました。レントゲン写真などをスライドで見ながら、内側の野球ひじと、外側の野球ひじの違いについて、語られました。
「内側の野球ひじは、すぐに痛みが出るので、わかりやすいとのこと。ところが、外側の野球ひじは、痛みがなかなか出ません。痛みが出た時には、例えとしては良くないかもしれないですが、末期がんのように、かなり悪化してしまっている状態。『もっと早く、症状が出る前に気づけなかったのか』という状況であることが多いのです。」
この野球ひじ検診をやっていなかったスタート時は、5%くらいの子どもたちに野球ひじが見つかりました。当時は、この地域の野球連盟のみなさんも、指導者や保護者のみなさんも、「野球ひじ」について知識がなかったので、少し多い印象でした。回を重ねていくことで、毎年検診を受けてくれるようになってきたので、少し減ってきています。
進行すれば軟骨が剥がれ、それが関節内を浮遊してしまうこともあります。野球ひじの状態というのは、小学4年生から6年生くらいの成長に伴う特有の骨の病気のようなものなので、小学4年生から中学1年生くらいまで毎年検診を受けたり、選手本人、指導者、保護者、そして医療従事者がこの知識を持ち、予防していくことが極めて重要だというお話がありました。
内側の痛みが出たことで、病院でレントゲンを撮ることによって、外側の症状が発覚したなどのケースもあり、地域全体にこの予防意識が広まってきていることが何より大切だと感じました。
このひじの症状は、サッカーをやっている子でも出てくることがあるとのこと。ただ、野球とか、体操とか、手に負担のかかる競技をしていることで、より深刻な症状になる可能性もあるので、未然に見つけて対処するためにも、こうした定期的な検診の意味があると感じました。
検診現場では、エコーを用いた丁寧な診断が行われていました。数人に外側の野球ひじの症状らしき影が確認されました。医師はモニターに「正常なひじ」と「異常が見受けられる選手のひじ」の画像を左右に並べて比較。言葉だけでなく視覚的に違いを示しながら、保護者や指導者へわかりやすく説明していました。「病院でレントゲンを撮り、しっかりとした診断と対処方法を確認すること」を強く勧め、適切な医療機関への橋渡しを行なっていました。
指導者が語る「医学の目」の重要性
会場にチームで訪れていた指導者の方にも少しお話を伺ってみました。
新堀ヒーローズの猪野康隆監督と清水俊明コーチは、体育館内のチームの選手たちの様子を確認してまわりながら、検診の意義について次のように語ってくださいました。
「10年続くこの活動に本当に感謝しています。私たち指導者は、子どもたちの技術を向上させることはできても、肘の中まで把握することはできません。子どもたちは試合に出たがるし、野球をやりたがります。だから、少しくらい痛いだけでは申告してくれないこともあります。こうした専門家によるチェックは、預かっている選手たちを守るための大きな安心材料です」(猪野監督)
「『外側は痛くないのに進行している』というドクターの解説を受けて、子どもの『痛くない』という言葉だけでは判断できないということを再認識しました。預かっている選手の未来を守るため、こうした客観的な診断結果を指導に活かしていきたいと思います」
(清水コーチ)
「野球ひじは、成長に伴う骨の病気に、野球での投球などで使用頻度が高くなることによって、深刻さが増してしまう可能性がある」といった医学的知見の理解が地域で広がっています。それによって、子どもたちの状況確認をきめ細やかに行なうなど、万全を期す指導者のみなさんの指導体制への意識向上が広まっています。こうした、指導者と医療従事者の連携が、子どもたちの安全なスポーツ環境を支えているのです。
検診を支えるスタッフの連携力
この大規模な検診を当日支えていたのは、医師、理学療法士、連盟スタッフなど、60名ほどのスタッフでした。さらに、これだけの医療従事者を現場に送り出すことに対して、各所属先の病院、医療機関の理解も必要です。
当日は、エコー検診、フィジカルチェック、パフォーマンスチェックの3つのステーションに分かれて、参加チームが時計回りでローテーションしながら検診を進めていきました。
エコー検査では7台の超音波診断装置が稼働し、1人あたり約2~3分の検査を実施。野球ひじが疑わしいケースについては、岩本医師が選手の所属チームの指導者や保護者に説明しました。レントゲンなどを含む病院の受診が必要な場合には、紹介先の案内や説明が丁寧に行われました。
578名という大規模な検診を、午前・午後の2部制でスムーズに進行させるには、医療の専門性だけでなく、運営に関わるみなさんの理解の深さと連携が必要不可欠だと感じました。10年間の積み重ねと多くのスタッフが結集し、この検診を支えています。
地域に根付く「予防意識を予防文化へ」
この取り組みの真の価値は、単年での検診実施ではなく、10年間継続してきたことにあります。毎年検診を受けることで、選手たちの成長に伴う身体の変化を継続的にモニタリングできるだけでなく、保護者や指導者の意識も確実に変化してきました。
「痛くなってから病院に行く」のではなく、「症状が出る前に予防する」という文化が、江戸川区の少年野球界に根付きつつあります。
検診をスタートした当時は、「野球ひじ」を発症しているお子さんが全体の5%ほどの人数が該当していました。ところが年数を重ねていく中で、検診に足を運ぶチームや選手のお子さんたちの人数は増えていきつつも、「野球ひじ」の発症率が数%下がってきています。これは、まさに「野球ひじに関する知識」と「発症する前の検診への意識」が地域に浸透していることの表れです。
これこそが、NPO法人江戸川スポーツ医学研究会が目指す「スポーツ医学の知見を、一部のトップアスリートだけでなく、地域の子どもたち全員に届ける」という社会的価値です。
他地域への広がりと今後の展望
今回、取材を担当した私は、現在、地方自治体のスポーツ推進に関わる仕事に従事しております。その際に目にした現代のスポーツ実施状況に関連した調査資料によると、スポーツが盛んな地域でさえ、若年層の運動機会の減少や、働き盛り世代の運動習慣の低下が大きな課題となっているといった結果が目立ちました。
そういう現代にあって、江戸川区の取り組みは、他の自治体にとっても参考になるモデルです。医療機関、NPO、地域のスポーツ連盟や団体が連携することで、持続可能な予防医療体制を構築するきっかけ、運動機会の促進につながるのではないでしょうか。
スポーツは、トップアスリートを目指す道だけでなく、老若男女に多くの価値を提供します。子どもたちは外遊びやさまざまな運動を通じて、動きの幅を広げ、ケガや危険から身を守る力を養います。また、成人にとっては、定期的な運動が生活習慣病の予防や体力向上、さらには健康増進に寄与します。
運動機会を増やし、持続的な運動習慣を築くためには、まず「安全にスポーツを続けられる環境」が不可欠です。江戸川スポーツ医学研究会の10年間の歩みは、その環境づくりの一つのモデルを示しています。
取材を終えて
検診会場で印象的だったのは、子どもたちの真剣な眼差しと、保護者や指導者の安堵の表情でした。医師の説明を聞きながら、「知らなかった」「気づかなかった」という声が何度も聞かれました。
知識があれば防げるケガがあること。早期発見が選手生命を守ること。そして、地域全体で子どもたちを守る仕組みが機能していること。この検診は、医学的な検査の場であると同時に、スポーツと健康に関する「学びの場」でもあります。10年目を迎えたこの取り組みが、さらに多くの地域に広がり、より多くの子どもたちの笑顔を守ることを期待しています。
【今回の取材先】
NPO法人 江戸川スポーツ医学研究会
主な活動内容:検診事業 / スポーツメディカルチェック / 講習会・研修会 等
理事長:岩本 航(江戸川病院 スポーツ医学科 整形外科医)