奈良時代の仏教は民衆のものではなかった?「南都六宗」と異例の僧侶・行基
筆者は昔、大学受験に向けて、南都六宗をお題目のように繰り返し暗記しました。
数十年を経た今も、宗派名はしっかりと覚えています。
しかし、三論(さんろん)・成実(じょうじつ)・法相(ほっそう)・倶舎(くしゃ)・華厳(けごん)・律(りつ)とそらで言えても、それぞれがどのような宗派だったのかまでは、意外と説明できません。
そもそも奈良時代の仏教は、私たちが現在イメージする仏教とは少し違うものでした。
今回は、名前だけは覚えているのに中身はよく知らない「南都六宗」と、奈良仏教の特徴について見ていきます。
奈良時代の仏教の特徴
奈良時代の仏教は、現在の仏教につながる平安仏教や鎌倉仏教とは大きく異なったものでした。
その特徴の第一は、僧侶自身が悟りを目指すとともに、仏教の教理を研究する学問的な存在でもあった点です。
具体的には、僧侶たちは国家の鎮護や安寧を願うという視点から、仏教の研究や祈祷を行っていました。
第二には、国家の安寧を願う仏教と、その拠点である寺院を、天皇家や貴族が財政的に庇護した点です。
第三に、当時の仏教は天皇家や貴族、役人と深く結びついており、一般大衆のものではなかったことです。
僧侶が寺院の外で一般民衆に広く布教することは、基本的に認められていませんでした。
したがって南都六宗の各宗派も学派としての性格が強く、現在のような信者組織も存在していなかったのです。
民衆への布教を行った行基
先述したように、奈良時代には僧侶が一般民衆に対して広く布教することは、基本的に認められていませんでした。
そんな中で、民衆と深く関わり、布教や社会事業を進めた代表的な僧侶として知られるのが行基(ぎょうき)です。
行基は668年、現在の大阪府堺市にあたる和泉国大鳥郡で生まれました。15歳で出家し、24歳で受戒したのち、飛鳥寺などで仏教を学んだとされています。
その後、行基は畿内を中心に、豪族や民衆に分け隔てなく仏教を説きました。
さらに困窮者の救済や社会事業にも力を注ぎ、布施屋9か所、仏教道場や寺院49院、ため池15か所、橋6か所を整備したと伝えられています。
こうした活動に対して朝廷は当初、行基をたびたび弾圧しました。しかし行基は民衆から圧倒的な支持を集め、やがて朝廷からもその力を認められていきます。
そして日本初の大僧正に任じられ、聖武天皇の大仏造立事業では、勧進によって民衆の力を集める重要な役割を担うに至ったのです。
多大な功績を残した行基は、749年に亡くなります。
その功績を慕った人々は、僧侶である行基を行基菩薩として崇め続けました。
現在でも近鉄奈良駅前の噴水には、1970年に建てられた行基菩薩像があり、市民や観光客を見守っています。
南都六宗とは
南都六宗とは、奈良時代に南都七大寺などで学ばれていた、三論(さんろん)・成実(じょうじつ)・法相(ほっそう)・倶舎(くしゃ)・華厳(けごん)・律(りつ)の6つを指します。
これらは平安時代や鎌倉時代に成立した宗派とは異なり、一つの寺院で一つの宗派だけを奉じるものではありませんでした。一つの寺院の中で、複数の教学が学問的に研究されていたのです。
例えば東大寺では、華厳宗を重視しつつも、倶舎宗や三論宗なども学ばれていました。
こうした性格から9世紀以降、成実宗は三論宗に、倶舎宗は法相宗に付随する学問として扱われるようになり、独立した宗派としての性格は薄れていきました。
また、華厳宗や真言宗にも影響を与えた三論宗は、平安時代以降しだいに衰退していきます。
こうして現在まで宗派として残っているのは、法相・華厳・律の三宗のみとなっています。
現在も残る南都六宗の三宗派の概要
1. 法相宗
法相宗は、中国の慈恩大師を祖とし、インドに由来する唯識(ゆいしき)教学を研究する学派です。
奈良仏教系の中心的存在で、大本山は興福寺と薬師寺です。
唯識教学では、私たちが見ている世界は、心の働きによって成り立つと考えます。
「唯識三年倶舎八年」という言葉もあるほど、唯識や倶舎の教学は難解で、長い学習を必要とするものとされました。
2. 華厳宗
華厳宗は、中国の杜順を祖とし、日本では東大寺を大本山とする宗派です。
『華厳経』の教えを研究する学派であり、四種法界の考え方が重視されました。
四種法界とは、個々の事物を真実の世界と見る「事法界」、空や真如を真実と見る「理法界」、事物と真理が矛盾なく関わる「理事無礙法界」、あらゆる事物が互いに妨げなく関わり合う「事事無礙法界」を指します。
華厳教学では、「一は一切であり、一切は一である」という、すべてのものが相互に関わり合う世界観が重視されたのです。
3. 律宗
律宗は、唐から来日した鑑真(がんじん)によって日本に伝えられた宗派で、総本山は唐招提寺です。
律宗では、経・律・論のうち、僧侶が守るべき規範である「律」を中心に学びました。なかでも四分律を重視し、僧侶として正しく戒律を受け、守ることを重んじたのです。
唐招提寺は、鑑真が東大寺で5年を過ごした後、天平宝字3年(759)に開いた修行道場を始まりとしています。
戒律を学ぶ人々のための場として開かれ、現在も律宗の総本山として法灯を伝えています。
4. その他の南都七大寺の現在の宗派
ここまで紹介した興福寺・薬師寺・東大寺・唐招提寺以外にも、南都七大寺には奈良仏教の歴史を伝える寺院があります。
現在の宗派で見ると、元興寺の極楽坊は真言律宗、大安寺は高野山真言宗、西大寺は真言律宗となっています。
なお元興寺には、極楽坊が遺る真言律宗の元興寺と、塔跡が遺る華厳宗の元興寺があります。
南都六宗のうち現在まで宗派として残っているのは法相宗・華厳宗・律宗の三宗ですが、奈良の古寺には今も、奈良仏教以来の歴史が色濃く受け継がれているのです。
参考 : 東大寺公式HP「奈良時代創建 聖武天皇の願い」奈良県「奈良偉人伝 行基」他
文:撮影/草の実堂編集部