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パラパラこそ「本物」?――食のエンタメ化とともに築かれたチャーハンの理想像【チャーハンという迷宮】

NHK出版デジタルマガジン

パラパラこそ「本物」?――食のエンタメ化とともに築かれたチャーハンの理想像【チャーハンという迷宮】

豪快な鍋振り、宙を舞う米――そして出来上がるパラパラのチャーハン。本物のチャーハンとはまさにこのイメージですが、「パラパラ至上主義」はいつから始まったのでしょうか。

国民食の一角にして、町中華の顔である「チャーハン」は、いつ日本にやってきたのか。いかにして、なぜ国民食となったのか。そもそも「チャーハン」とはどう定義されるべき料理なのか。『チャーハンという迷宮 なぜ国民食になったのか』では、チャーハンの謎を解き明かしながら、知られざる“日本人像”と等身大の“家庭料理史”に迫ります。

今回は、本書より「第6章 「男の料理」という呪縛 ~パラパラ論争としっとり派の逆襲~」の一部を特別公開します。

石田かおる『チャーハンという迷宮 なぜ国民食になったのか』

美味しんぼ「心技体の総合格闘技」

 「チャーハンは、炒め物の技術をみるのに一番適した料理だ。中華料理の基本は炒め物、チャーハンが満足に出来ぬ者は、中華料理の基本が出来ないということ」
 「俺が見るところ、あんたはこの強力な炎を御し切っていない、炎の主人になり切っていないんだ!」
 「それには強力な炎より強い心が必要だよ」「あんたの問題はそこにあるのさ!」

 1985(昭和60)年に出版されたグルメ漫画『美味しんぼ』4巻第1話「直火の威力」の一節だ。チャーハンの景色は一変した。「調理技術+知+ハート」の「心技体」が必要な総合格闘技の様相を帯びている。

出典:原作・雁屋哲、作画・花咲アキラ『美味しんぼ』4巻「直火の威力」(小学館)

 『美味しんぼ』は1983年に『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)で連載が始まった。東西新聞文化部に勤める山岡士郎と栗田ゆう子が主人公で「究極のメニュー」作りに携わり、士郎の父で美食家の海原雄山の「至高のメニュー」との対決が軸に描かれている。

 「直火の威力」は若い料理人・王士秀が融資を受けるため横浜中華街の重鎮の審査を受ける話だ。王は中華街の有力者・周懐徳の元お抱えコックで周の娘と駆け落ちしたことも話の伏線になっている。

 審査は順調に進むが、周が突然「チャーハンを作って来い」と言い出す。そして王が作ったチャーハンは「全然パラッとしてない、ベタベタして食べられた物じゃない」「馬脚をあらわしたなっ」と酷評される。周はこう言った。

  「チャーハンは、炒め物の技術をみるのに一番適した料理だ。中華料理の基本は炒め物、チャーハンが満足に出来ぬ者は、中華料理の基本が出来ないということ。要するに、中華料理のコックとしては失格ということだ!」

 審査は通らず、山岡の計らいで王は再挑戦することになる。肩を落として帰宅した王に、山岡はチャーハンを作ってみせる。鍋を大きく振り、米が宙に舞い上がる。

 「俺が見るところ、あんたはこの強力な炎を御し切っていない、炎の主人になり切っていないんだ!」
 「鍋の中でイジイジかき回してるだけじゃ本当のチャーハンは出来ないんだよ!」
 「それには強力な炎より強い心が必要だよ」
と叱咤した。

 えっ!? チャーハンってそんな大変な食べものだったの!? 『美味しんぼ』のインパクトは絶大で、その後のチャーハンのレールを敷いたといっても過言でないだろう。料理好きで知られる、お笑いコンビ・チュートリアルの福田充徳(ふくだ・みつのり)は2022年の朝日新聞取材でこう話している。

 「(『美味しんぼ』の)作品で特に印象的だったのは、単行本4巻の『直火の威力』です。チャーハンをパラパラにするのって、そんなに難しいんや、と。実際に食べてみたいと思い、いちばん最初に自分で作った料理はチャーハンでした」

 「チャーハンのあるべき姿」を『美味しんぼ』はこう示した。

 「飯の一粒一粒が互いにくっつき合っててはいけない、飯粒が充分に油を吸っていて、なおかつ一粒ずつがカラリと仕上がっていなければならない」

 王の作ったチャーハンは「チャーハンではなく、西洋のピラフだ」と言われる。(やっぱり、チャーハンとピラフは別ものよね!)

出典:原作・雁屋哲、作画・花咲アキラ『美味しんぼ』4巻「直火の威力」(小学館)

 米が宙を舞い、ひと粒ひと粒がくっつき合わずカラリとしている──その状態を集約する言葉が「パラパラ」。いつしか人々やメディアが口にするようになり、『美味しんぼ』的な「本物のチャーハン」を象徴するこの言葉は次第に肥大化し世を席巻していく。

“ミスター・チャーハン”周富徳登場

 「チャーハンは僕、大好き。自分で最初に作った料理がチャーハンだったから。みんな馬鹿にするけど、これうまく作れないコックは、ほかの料理もへた。

 見ただけじゃ分からない。レンゲですくったときに、プーンといい香りがする、そういうのが本当においしいチャーハン。具は問題じゃないよ。ネギと卵だけでもおいしいのできる。大事なのは料理の手ぎわ。香り炒めをよくするとか。混ぜ御飯じゃないんだから、掻き回しちゃだめよ。鍋の上で米粒が踊るようでないとね」

 話者は90年代のチャーハンブームの一翼を担った、“炎の料理人”こと周富徳(しゅう・とみとく)だ。『週刊文春』の「中国料理を変えた『美味しんぼ』のモデル コックはおカネもらって人に頭を下げられる仕事」(1989年12月14日号)のインタビュー記事だ。

 富徳は先に引用した、『美味しんぼ』の「直火の威力」の周懐徳のモデルではと見られていた。インタビューの中で「僕、あんなに太ってないし、人民服着てないでしょ」と否定しつつ「漫画のモデル料? そんなの別にないよ」と原作者・雁屋哲(かりや・てつ)との親交を語っている。

 1943(昭和18)年、富徳は横浜に生まれ18歳で料理の道に入った。東京・新橋の「中国飯店」で修業し「京王プラザホテル」副料理長、「聘珍樓」の総料理長、「赤坂璃宮」の総料理長を経て、1995(平成7)年青山に「富徳」をオープンする。

 華麗な経歴だが、ブレイクしたきっかけは料理番組ではない。1992(平成4)年に放送開始した、バラエティ番組『浅草橋ヤング洋品店』(テレビ東京系)だった。弟の富輝(とみてる)や金萬福(きん・まんぷく)などキャラの濃い中国料理人も出演し、「中華大戦争」は人気コーナーになる。富徳はスキー場で中華鍋に乗り滑降するような罰ゲームにも文句ひとつ言わず付き合った。

 自伝的エッセー集のタイトルを『チャーハン人生論』にするほど、富徳はチャーハンへの思い入れが強い。子どもの頃、中華街の父の店に遊びに行くと作ってくれた。

 「豪快に鍋を振るあの手さばきは感動ものでした。それにできたてのチャーハンの美味しかったこと。どんなに忙しくても、時間を見はからって僕のために一生懸命作ってくれたことが本当に嬉しかったですね」(『チャーハン人生論』)

 見よう見まねで、家の台所にあった冷やご飯とネギでチャーハンを作ったのが料理人の原点になる。
 
 「作ることが本当に楽しかったし、炒め方ひとつでいい香りが出せることもわかりました。何よりも自分の手でこんなに美味しいものを作り出せることに感動したのです」(同)

 90年代、「この人を見ない日はないのでは」と思うほど富徳はメディアに引っ張りだこになった。白の調理服にコック帽、手には中華鍋。そしてカメラ目線。“ミスター・チャーハン”は行く先々で鍋を振った。

 

加速するプロへの憧れ『料理の鉄人』『dancyu』

 「アレ・キュイジーヌ!」(料理始め!)

 1993(平成5)年10月には、料理をエンタメ化する斬新な番組が登場し一世を風靡する。制作者が「NHK『きょうの料理』を今ふうの記号にした」(『料理の鉄人大全』)と話す『料理の鉄人』(フジテレビ系)だ。“キッチンスタジアム”と呼ぶ闘技場が舞台で、その日の食材のお題をもとに「鉄人」と挑戦者が対決する。周富徳も鉄人・道場六三郎(みちば・ろくさぶろう)に二度挑んだ。一回目は負け、リベンジを果たした二回目の「豚対決」では「ザーサイと挽き肉のチャーハン」を作っている。

 フジテレビ編成制作局の石原隆(いしはら・たかし)は「料理番組というのは、テレビ草創期、日本でテレビが生まれたころからあるんですが、その当時からほとんどスタイルが変わっていないんです。ただ、グルメブームに乗っかってお店紹介とかそういう番組はガーッと増えていったんですけど、料理を作るプロセスそのものに焦点を当てた番組はあいもかわらず『小さじ少々』『そしてオーブンで30分焼いたものがこちらです』の世界なんですよね」と、『料理の鉄人大全』で話している。

 「例えば、キャベツがエレベーターみたいなものに乗ってせり上がってきたら面白いんじゃない?」。そんな発想から番組は生まれた。そして「料理のプロセス」はスポーツのように実況され、プロのワザや苦悶する表情が大写しにされた。視聴者は手に汗を握り、勝負の行方を追った。

 番組の影響力は大きく、老若男女の幅広い層が「料理」に興味を持つようになった。日本中がバルサミコ酢を知り、料理うんちくを語り、「うちのチャーハンはパラパラじゃないね」と子どもが無邪気に口にするようにまでなった。

 『料理の鉄人』によって「シェフブーム」が起き、1990年創刊の雑誌『dancyu(ダンチュウ)』が掘り下げさらに広めた。同誌の創刊の挨拶はこんな風だ。

 「家庭という名の劇場のメインステージは居間から食堂に移行する。──という新しい文化的状況に対応する雑誌があるべきだ、と思い立った結果がこのdancyuというわけです。平たくいえば、ちょっとウルサイ食いしん坊のための情報誌であり、気取っていい直せば、食文化人にとってのエンターテインメント・マガジンです」

 『dancyu』の雑誌名は「男子厨房に入らず」の言葉に由来する。料理をする楽しさ、プロの味を再現する楽しさ、お酒と⾷を合わせる楽しさを伝え、「厨房に入ろう」と意味を反転させた。プロのワザを徹底取材した、チャーハン特集も誌面を度々にぎわした。

石田かおる

記者、チャーハン・ヒストリアン。週刊誌『AERA』などを経て、2022年からフリー。「食」「教育」「ライフスタイル」の分野を多く手がける。2018年、『きょうの料理』の60年間のチャーハンについて、作り方の変遷を分析した記事を『AERA』に執筆。その摩訶不思議な世界を知ったことをきっかけに、チャーハンを通した歴史・時代探索にとらわれる。本書は、チャーハン沼にはまり生還した、4年間の探訪と探究の集大成である。

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