Yahoo! JAPAN

創作の守護霊、ヴェドゴニに出会う秋――【連載】奈倉有里「猫が導く妖しい世界」#8

NHK出版デジタルマガジン

創作の守護霊、ヴェドゴニに出会う秋――【連載】奈倉有里「猫が導く妖しい世界」#8

この連載では、スラヴの昔話からやって来た物知り猫“バユーン”が、ロシア文学研究者・奈倉有里さんとともに皆さんを民間伝承の世界へとご案内します。
今回はどんな不思議に出会えるでしょうか?
※2025年度『まいにちロシア語』テキスト11月号より抜粋
(スラヴ:ロシアやウクライナ、ポーランド、ブルガリアなど、ヨーロッパ東部から北アジアに広く分布する、スラヴ系諸語を話す人々の暮らす文化圏)

第八回 眠りの果て

やってきた眠気

 眠い。今年の春は「春眠暁を覚えず」なんて言葉を思いだす隙がないほど目が冴えていたのに、夏の途中からずっと眠くて、秋口になっても眠い。ぼんやりとした頭で「芸術の秋、読書の秋、学問の秋、食欲の秋とはいうものの、睡眠の秋とはいわないはずだ」と思う。
 これはひょっとしたら妖怪のしわざかもしれないぞ、などという発想をしたのはおそらくバユーンと仲良くなったせいだ。元来、私は理由を知るのが好きで、納得できないとものごとを信じられない。妖怪について考えるときもつい「人がこういう妖怪を考えだした理由はなにか」ということにいちばん関心を持ってしまい、たとえ自分の目に妖怪が見えていても「この幻が見える心理的な理由はどこにあって、その知識はいつ得たのか」などと分析しようとする。自身が妖怪の一種でもあるバユーンは、これだけバユーンと一緒にいてもそんな発想をし続ける私のことが不思議でたまらないらしいけど、仕方ないじゃない。だって私は理由が知りたいんだもの。
 ようやく起きだすと、バユーンは一階の板の間で、なにやら私の読めない言語で書かれた難しそうな本を読みふけっている。「なに読んでるの」と尋ねると、「南スラヴの妖怪の本だよ。ここんところユリがずっと寝てるから、なんかおかしなやつがついてるんじゃないかと思って。確かあっちの地域にそういうのがいた気がするんだよね」と返してくる。やっぱりだ。つまりバユーンが私の眠気を超常的ななにかのせいにしているから、そういう発想が私にも伝染したってことだ。親しい人のあくびがうつるみたいなもので、ずっと近くにいるとそういうことが起こる。
 どこから出してきたのか猫サイズの眼鏡までかけて、分厚い本に鼻先をくっつけるようにして読んでいるバユーンに「で、なにか見つかった?」と訊くと、顔もあげずに「ポーランドとかセルビアのほうに、ヴェドゴニっていう眠る人の守護霊みたいなやつがいるんだけど、それかも。たいてい秋に出るっていうし」と言う。守護霊か。じゃあ別に怖くはなさそうだ。でもそもそも家にドモヴォイがいる時点で、よく眠れるんじゃなかったっけ。ヴェドゴニってのは人を眠らせるだけじゃないんだろうか。バユーンはしばらく細かい活字とにらめっこをしていたが、やがてぱたりと本を閉じ、眼鏡を外して話し始めた。

眠りながら生まれるもの

 ヴェドゴニが秋に現れるのは、いわゆる「創作の秋」とも関係があるようで、なんでも、眠っている人の想像力を解き放ち、さまざまな体験をさせてくれるらしい。ほら、空を飛んで、いろんなところに行く夢をみることがあるでしょう。風を切る感覚が妙にリアルで、知らないはずの山や街の景色がはっきりと見える夢を。ああいうのはヴェドゴニのしわざで、この妖怪は夢のなかで人を世界じゅうのどこにでも連れていってくれるし、会いたい人にも会わせてくれる。夢から覚めた人は必ずしもそのすべてを覚えているとは限らないけど、空想の翼をひろげた感覚は残っていて、なにか新しいものを生みだしたい気持ちになる。それだけだとずいぶん善良な妖怪みたいだけど、困ったところもある。まず、ヴェドゴニはけんかっ早い。そのへんを浮遊しているうちにほかの個体に出くわすと、ひょんなことからけんかをはじめてしまう。いったんはじまると止まらなくなって、その人たちの夢の内容もしっちゃかめっちゃかになっていくうえに、あげく誤ってどちらかが命を落とすと、夢をみていた人も、それきり目を覚まさない──つまりは一緒に死んでしまう。
 バユーンはひげをピンとのばし、わざとらしく賢そうな表情を作ってみせると、「ユリ、どういうことかわかる?」と訊いておきながら、答えを待たずにそのまま続けた──「つまりヴェドゴニっていうのは独立した妖怪というより、夢をみている人間の幽体離脱のような、人の魂とか意識とかと深くかかわっているものなんじゃないかと僕は考えたんだよ。で、実際そういう解釈ができそうな伝説もたくさんある。たとえば、ヴェドゴニは小鳥の姿をしていて、寝ている人の口からでてきて夜のあいだそこらを飛びまわったあと、戻ってくるとまた人の口に飛び込んで、人はその小鳥を飲み込むと目を覚ますんだって。この小鳥っていうのも、人の魂っていうか、意識みたいなものだと思わない?」
 私は眠った自分の口から小鳥が出てきたり、毎朝その小鳥を飲み込んだりしているところを想像し、せめてもうちょっと飲み込みやすそうなものにしてくれないかな、と考えたが、確かに寝ているあいだに体から出ていって起きると戻ってくるのなら人の意識に近いというのはわかる。「それにしても似たような話をどこかで聞いた気がするんだけど……」とつぶやくと、バユーンは「ユリが聞いたのは、レーミゾフじゃない?」と応えた。

いつかは永遠になるけれど

 そうだ。作家のアレクセイ・レーミゾフ(1877-1957)が1907年に書いた昔話に、ヴェドゴニを題材にしたものがあった。私は最近この家に設置したばかりの木の本棚からレーミゾフの選集をとりだし、ひらいて読んでみる──川がざわめき、穀物は収穫され、ひんやりとした風のそよぐ季節。森の木々は赤や金に染まり、蜘蛛の巣が舞う。秋の長雨が降り、けものたちは冬眠の準備をする。けものたちには一匹一匹、みんなにヴェドゴニがついていて、巣ごもりする冬のあいだじゅう見守ってくれている。でも冬はあまりに長いから、ヴェドゴニたちは退屈をもてあましてけんかをはじめる。本来はけものの守護霊であるヴェドゴニだが、特に強運に生まれた幸福な人間にはヴェドゴニがついていて、その人が眠りにつくとねずみの姿になって世界を彷徨う。山にも星にも、世界のどこへでも行って遊び尽くし、翌朝、その人は軽やかな気持ちで目覚める。小説家は物語を思いつき、歌手は歌をうたいだす──それらはみんなヴェドゴニの贈りものだ。けれども気をつけなければいけない。眠りが深くおまえをさらっていくとしたら──おまえの日々は限られている。ヴェドゴニはけんか好きだから、互いに取っ組みあいをはじめる。もしヴェドゴニが死んだなら、おまえもまた目覚めない。こうして秋の日に、多くの「幸福な者」たちもまた、ひそやかに死んでいく。
 読むうちにいくつかの疑問とそれに対する推測がふつふつと湧いてくる。ヴェドゴニは本来けものたちの冬眠の守護霊だけど幸福な人間には創作の力をくれるっていうのは、なにかを創るための力を得るためには動物の冬眠と同じくらい深く眠る必要があるっていう解釈もできそう。創作のために深く眠ることを繰り返すと、いつしか深く眠りすぎてついには目覚めなくなるというのもわかる気がする──創る力が尽きるときは、創る人が尽きるときだ。夢が乱れるときは自分のヴェドゴニがほかの人のヴェドゴニと戦ってしまっているっていうのも──困った夢をみるときは、現実の世界になにかしらの衝突があることの暗示なのかも。
 町にお昼の12時のサイレンが鳴りひびき、鍋を出していつものトマトパスタを茹でて食べると、また眠くなってきた。バユーンはとっくに勝手口のそばの椅子の上で寝ている。バユーンだって寝てばっかりじゃないか。猫だからしょうがないけど。
 私ももう少し眠ろう。こんなに眠いのはきっと、私があまりにもたくさんの疑問と推測を抱えているから、ヴェドゴニがそれをいったんぜんぶ夢に溶かして、次の物語を創るための大がかりな旅を用意してくれているってことなんだ。そう思うと少し楽になる。(でもこの旅はまだ、永遠じゃないほうがいいな)と、私は横になって毛布をかぶりながら思った。

奈倉 有里

1982年生。ロシア文学研究者。著書に『夕暮れに夜明けの歌を』『アレクサンドル・ブローク詩学と生涯』『ことばの白地図を歩く』『ロシア文学の教室』『文化の脱走兵』、訳書にミハイル・シーシキン『手紙』、サーシャ・フィリペンコ『赤い十字』など。

イラスト 山田 緑
公式HP:http://midoriyamada.net/

【関連記事】

おすすめの記事

新着記事

  1. 【藤沢 イベントレポ】テラスモール湘南 イルミネーション - 湘南の青い海、蒼い空 7DAYS SPARKLE BLUE!2月15日(日)まで開催

    湘南人
  2. 森香澄を起用!ぬくもりを、纏う美しさに変えて「RESEXXY(リゼクシー)」最新WEBカタログを公開

    WWSチャンネル
  3. 国境を超えたラブストーリー、ミュージカル『愛の不時着』が開幕 ユ・ヨンジェ、ジョン・ユジらのコメント&舞台写真が公開

    SPICE
  4. やさしさを食べる場所 姫路市夢前町の農家レストラン『且緩々』が地元で愛され続ける理由 姫路市

    Kiss PRESS
  5. スーツアクター事務所公認エンターテイメントユニット高田JAPANとは?ユニットを始めたきっかけを語る【月刊 高田JAPAN 第1回 2025年12月号】

    アニメイトタイムズ
  6. 十勝・浦幌町で“暮らすように泊まる”。まちの魅力が詰まった秘密基地「ハハハホステル」【北海道浦幌町】

    Domingo
  7. 『処刑人』ノーマン・リーダス&ショーン・パトリック・フラナリーが東京コミコンに登場

    あとなびマガジン
  8. 2週間で品薄になった話題の「ローストビーフ丼」再登場 すき家が販売再開を発表

    おたくま経済新聞
  9. 【京都ボリュームランチ】750円でこの量は事件!学生街の名食堂で「チキンカツ」を食らう

    キョウトピ
  10. 【16年前から太陽光搭載】先駆的カーボンニュートラル実践、藤井商店(弥彦村)の意識高い取り組み

    にいがた経済新聞