「いかによく生きるか」を考える一冊──山本芳久さんが読む、アリストテレス『ニコマコス倫理学』#1【NHK100分de名著ブックス一挙公開】
山本芳久さんによるアリストテレス『ニコマコス倫理学』読み解き #1
天文学、生物学、詩学、政治学、論理学、形而上学などあらゆる分野の学問の基礎を確立し、「万学の祖」と呼ばれる古代ギリシャの哲学者アリストテレス(前384-前322)。
彼が「倫理学」という学問を歴史上初めて体系化した書物が『ニコマコス倫理学』です。
「倫理学」と訳されているギリシャ語は「人柄に関わる事柄」という意味で、彼が倫理学と呼ぶものは、義務や禁止といったルールを学ぶことではなく、どのような人柄を形成すれば幸福な人生、充実した人生を送ることができるのかを考察することでした。
『NHK「100分de名著」ブックス アリストテレス ニコマコス倫理学』では、「幸福とは何か」を多角的に考え抜いた『ニコマコス倫理学』を、「正義」や「欲望」、「生き方」や「友情」などの在り方について、現代人がわが身に引き付けて考えるための「実践の書」として、山本芳久さんが読み解いていきます。
今回は、2025年7月から全国の書店とNHK出版ECサイトで開催中の「100分de名著」フェアを記念して、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第1回/全6回)。
「いかによく生きるか」を考える学問(はじめに)
二十世紀から今世紀初頭にかけて活躍したフランスの哲学史家ピエール・アドは「生き方としての哲学」(La philosophie comme manière de vivre)という論文のなかで次のように述べています(拙訳)。
古代の哲学は人類に生の技法を提供する。反対に、近代の哲学は、何よりも、専門家向けの専門用語の構築物として現れる。
哲学とは、言葉による思索を通じて物事を根本から理解し直そうとする学問です。アドによれば、近代のそれは専門家向けの難解なものになってしまっている。対して古代の哲学は、万人に対してより開かれた仕方で、人々に生の技法、すなわち「生き方」を教えてくれるというのです。
では、どのような意味において、古代の哲学は「生の技法」を説いていると言えるのでしょうか。それを知ることのできる代表的な本の一つが、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』です。
古代ギリシアの哲学者アリストテレス(前三八四~前三二二)が著した十巻から成るこの書物は、史上初の体系的な倫理学の本と言われています。倫理学は哲学の一分野で、ひと言で言えば「いかによく生きるか」を考える学問です。単に考えるだけでなく、それを実践に応用することに力点を置く学問でもある。そうした意味で、倫理学は「実践哲学」と呼ばれることもあります。
私は『ニコマコス倫理学』と三回にわたって出会っています。
一回目の出会いは大学生のときでした。私は高校時代から哲学に関心があり、様々な入門書やプラトンの対話篇やニーチェの著作など、比較的読みやすい作品を読んでいたのですが、より本格的な哲学の古典として初めて通読したのは、大学に入ってから手にした『ニコマコス倫理学』でした。「通読した」とわざわざ言うのは、その前にいくつもの挫折があるからです。たとえばカントを読もうとする。「悟性(ごせい)」という言葉が出てきて、「理性」という言葉も出てくる。何が違うのだろうかと国語辞典などを引いてみても、意味がよくわからずどうしても先に進めない。ハイデガーもスピノザも、同じように何ページ目かで読めなくなりました。
それに対して『ニコマコス倫理学』は、途中にわからない部分はいろいろとあるものの、最後まで読み通すことができた。その意味で、この本は哲学研究者としての私の出発点と言える本であり、非常に思い出深い書物なのです。わからないところがありつつ読めたというのは、そこに書かれていた「幸福とは何か」「人生の目的とは何か」といった内容が、自分自身の関心と重なっていたからだと思います。それは、たまたま私がそうだったというだけでなく、多くの人にもあてはまるのではないでしょうか。『ニコマコス倫理学』は多くの人にとって、哲学に入っていくための出発点になりうる本なのです。
二回目の出会いは、中世の神学者トマス・アクィナス研究の必読書としてでした。トマス・アクィナス(一二二五頃〜七四)は、古代ギリシアに由来する哲学と聖書に基づいたキリスト教思想とを統合して新しいビジョンを作り上げた人物です。私は哲学と並んでキリスト教にも関心があったため、研究の焦点はだんだんとトマスに絞られていきました。トマス・アクィナスは、西洋哲学二千数百年の歴史のなかで、代表的な「アリストテレス主義者」と言われる人物です。アリストテレスは時代的にキリスト教以前の人ですから、キリスト教と直接的な関係はありません。しかしトマスは、アリストテレスを深く読み、それをキリスト教の思想に統合しました。ですから、トマスをよく読もうとすると、どうしてもアリストテレスをよく読むことが必要になってくる。そのため、私にとってアリストテレスの著作群、とりわけ『ニコマコス倫理学』は、研究の専門であるトマス・アクィナスを理解するために、現在も日々読み続けている本なのです。
三回目は、大学教育のテクストとしての出会いです。大学の教壇に立つようになって二十年ほど、毎年のように『ニコマコス倫理学』についての講義をしています。私には哲学の授業をするときに常に心がけていることがあります。それは、学生に「自分も哲学書を読んでみようかな」「自分でも読めるのではないか」という手応えを少しでも持ってもらうことです。先ほどもお話ししたように、哲学においては、入門的な本と、本格的な哲学書を読むこととのあいだに大きなギャップがあり、そこを埋める機会が非常に少ないという問題がある。そこで私の授業では、こちらが一方的に本の内容を要約して説明するようなことはせず、指定した原文(翻訳)を読んできてもらい、そのうえで私が解説をするスタイルをとっています。解説を聞いてからもう一度原文を読んでみると、全部ではないにしても、書いてあることがある程度自分で読み解けるようになる。そうやって、本というものはわからない部分があってもそれなりに読み進めていくことができる、これなら授業で扱わなかった本にも挑戦できるかもしれない、という手応えを得てもらうのです。
すべての本に関してこのやり方が通用するわけではありませんが、『ニコマコス倫理学』には非常に向いています。内容の抽象度はやや高いものの、文章は明快ですし、少し手ほどきを受ければある程度読みこなせるようになるタイプの哲学書です。また二千数百年前に書かれたものであるにもかかわらず、学生たちからも「紀元前に書かれたものとは思えない」「日々の生活とつながるところがあってびっくりした」といった感想が多く聞かれます。
哲学書の特徴は、賞味期限がとてつもなく長いことです。新聞は一日、週刊誌は一週間という短さですが、哲学の本は十年、百年という単位で人々に影響を及ぼします。なかでもアリストテレスは千年単位の哲学者です。十三世紀に活躍したトマス・アクィナスにとってさえ、紀元前四世紀のアリストテレスは千五百年以上前の人物でした。実はトマスの時代の直前まで、西洋ではアリストテレスのテクストはほとんど読まれていませんでした。その理由は本編で解説しますが、ともかくアリストテレスの哲学は、トマスの時代の人々にとって非常に新しい思想として立ち現れてきたものだったのです。そしていま、同じようなことが大学の教室でも起こっている。おそらく、本書を読んでくださるみなさんにとっても、同じような驚きがあるのではないかと思っています。
著者
山本芳久(やまもと・よしひさ)
1973年、神奈川県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授。専門は哲学・倫理学(西洋中世哲学・イスラーム哲学)、キリスト教学。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。千葉大学文学部准教授、アメリカ・カトリック大学客員研究員などを経て、現職。主な著書に『トマス・アクィナス─理性と神秘』(岩波新書、サントリー学芸賞)、『世界は善に満ちている─トマス・アクィナス哲学講義』(新潮選書)、『キリスト教の核心をよむ』『愛の思想史』(共にNHK出版)、『危機の神学─「無関心というパンデミック」を超えて』(若松英輔氏との共著、文春新書)など多数。
※刊行時の情報です。
■『NHK「100分de名著」ブックス アリストテレス ニコマコス倫理学 「よく生きる」ための哲学』より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛している場合があります。
※本書における『ニコマコス倫理学』の引用は、朴一功訳の京都大学学術出版会版に拠ります。
※本書は、「NHK100分de名著」において、2022年5月、および2023年10月に放送された「アリストテレス『ニコマコス倫理学』」のテキストを底本として加筆・修正し、新たにブックス特別章「アリストテレスとトマス・アクィナス──『ニコマコス倫理学』から『神学大全』へ」、読書案内などを収載したものです。