夏目漱石は冷めていた?「富士山万歳!」と浮かれる世間に放った、文豪らしい視線とは【眠れなくなるほど面白い 図解 富士山の話】
夏目漱石、太宰治…… 近代文学のなかの富士山
文豪たちは富士山をどうとらえた?
日本の近代文学において、富士山は単なる背景ではなく、作家の自我や思想を映し出す鏡として描かれてきました。そのとらえ方は、時代や作家の死生観によって驚くほど多様です。
太宰治は、世間が称賛する富士を「風呂屋のペンキ画」と卑下しつつも、ときにその威容に引きずり込まれるなど、自身の揺れ動く心情を重ね合わせました。『富嶽百景』のなかの「富士には月見草がよく似合ふ」という一節が有名です。
夏目漱石は、富士山の美しさを認めつつも、「日本の象徴」として安易に誇る当時の風潮に冷ややかな視線を送り、人がつくったものではなく、昔からそこにあったものと指摘しています。
戦後、富士山の文学は新たな局面を迎えます。武田泰淳は『富士』において、富士山近隣の精神病院を舞台に、人間の本能と重ね合わせてこの山を描き、「象徴」としての富士山を解体しました。一方、新田次郎は山頂観測所での実体験に基づき、山の自然の厳しさと、そこで生きる人間のヒューマニズムを鮮明に切り取る「山岳小説」を確立しました。
ほかにも、富士山は多くの俳人に詠まれてきました。なかでも正岡子規は、目で見たままの自然を飾らずに描く「写生」を重視し、富士山の素顔を多くの句に残しました。過度に神格化・理想化せず、ありのままの山を捉えたのです。
近代作家たちが描いた名峰富士
太宰治 『富嶽百景』(1939年)ほか
屈折した自意識を富士山に投影し、愛憎入り混じる複雑な思いで向き合いました。
夏目漱石 『三四郎』(1909年)ほか
富士山の美しさを認めつつも「日本の象徴」と仰ぐ当時の熱狂に冷ややかな視線を送ります。
武田泰淳 『富士』(1971年)ほか
『富士』のなかで、人間の内面にある「狂気」や「欲望」が噴出する場所として富士山を描きました。
新田次郎 『富士山頂』(1967年)ほか
山頂観測所での実体験に基づき、自然の猛威に肉体ひとつで挑む、リアリズムとヒューマニズムを表現しました。
【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 富士山の話』監修:富士学会
【監修者情報】
富士学会
富士山と、その関連地域を対象として、自然科学から芸術、歴史、宗教の人文科学までを広く網羅し、富士山にちなんだ教育や、噴火を想定した防災など、総合的な領域の研究を進めている。富士山の本質と全体像の探求、関連地域の環境保全、防災、活性化などを目的として、学術大会・討論会・講習会などの開催、会誌・図書などの出版、関連教育・文化活動への協力と支援などをおこなっている。事務局は東京の日本大学文理学部地理学教室に置かれている。