山野峡大田ワイナリー ~ サミットに認められたワイナリーは30本のぶどう栽培から始まった
2023年5月、広島でG7サミットが開催されました。首脳たちの食事に提供された飲み物のリストが外務省から公開された途端、山野峡大田ワイナリー(以下、「大田ワイナリー」と記載)には、全国からワインの注文が舞い込み始めました。「富士の夢」と「北天の雫」の2本が、リストに入っていたのです。
サミットで提供されることを事前には知らされていなかった大田ワイナリーの大田祐介(おおた ゆうすけ)さんと大田恵子(おおた けいこ)さんは、「すごいねえ、うれしいねえ」と喜びあいました。
リストが公開された翌日には、さらに多くの注文が入ってきました。地域の運動会に参加していた恵子さんは、スマートフォンの通知を見て驚愕します。
「大変!いったんサイトでの販売を止めないと、地元で応援してくださる人にお売りするワインがなくなってしまう!」
運動会そっちのけで対応に追われるほどでした。
世界の首脳陣に提供できるワインだとのお墨付きを得た大田ワイナリーは、2010年に30本のぶどうの苗を植えたことから始まりました。
山野峡大田ワイナリーとは
福山市の最北端にある山野町は、人口約500人の過疎化が進む町です。一方、寒暖の差が大きいため、野菜もぶどうも良い味に育ちます。
2015年、「ふくやまワイン特区」の認定を受け、大田祐介さんは古民家の小さな蔵でワインを造り始めました。その後、2017年に現在のワイナリーの場所に移り、本格的に「山野峡大田ワイナリー」がスタートします。
山野峡ワインのエチケット(ラベル)は、山野に住むサルの顔と、ぶどう畑の隣にある郵便局をイメージした切手をデザインしたものです。裏面には、ワイナリーからの手紙も添えられています。
9種類のぶどうを栽培
大田ワイナリーでは現在9種類、約3,000本のぶどうを栽培しています。ワインの味の8割はぶどうで、残りの2割が醸造で決まるといわれています。「ワイン造りのほとんどは農業です」とワイン醸造責任者である峯松浩道(みねまつ ひろみち)さんは語りました。
ぶどう栽培には、1年を通してていねいな作業が必要です。冬の間には剪定(せんてい)や施肥、春には、余分な芽を取り除く「芽かき」や、枝の誘引。花が咲くと花の形を整える「花穂整形(かすいせいけい)」や、余分な実を取り除く「摘果」をおこないます。実が色づき始めると袋掛けや、防鳥ネットの設置が欠かせません。
峯松さんによると、ワインができるまでには、約3,000回も判断することがあるそうです。一つひとつの作業がワインの味に影響します。
糖度と酸度のバランスが最適になったタイミングでぶどうを収穫する8月から9月が、ワイナリーのもっとも忙しい季節です。ぶどう畑がワイナリーの徒歩圏内にあり、収穫したぶどうをすぐにタンクに入れて醸造を始められるのが、大田ワイナリーの強みのひとつ。ぶどうに含まれるブドウ糖は、酵母の働きでアルコールに変わります。
ワインの醸造家にできるのは、基本に忠実にワインを造ること、ただそれだけだと峯松さんは語ります。醸造が始まったら、醸造家にできることはほんの少ししかありません。ワインを造っている時間よりも、掃除をしている時間のほうが長いそうです。
「わいん農家」さんの協力
大田ワイナリーでは袋掛けや収穫などの繁忙期に、一般の人のお手伝いを募っています。手伝ってくれる人たちのことは「一緒にワインを造る仲間」として「わいん農家」さんと呼びます。
8月末のある日の収穫には、40人近くのわいん農家さんが集まりました。
2025年のぶどうは大豊作!わいん農家さんの活躍で、スムーズに収穫作業が進みます。
わいん農家さんに話を聞きました。
「自然の中で気持ちよく汗を流せて最高です」
「今日で2回目です。とにかく楽しくて」
「ずっと来てみたかったんです!ようやく来られました」
収穫後のぶどうは、すぐにワイナリーへ。
赤ワインは、ぶどうの果汁も皮もすべて使って造ります。取り除くのは、柄の部分だけです。
山野町を元気にしたい
大田ワイナリーが目指すのは、ワインで山野町を元気にすること。
毎週日曜日には、ワイナリー前で朝市を開催しています。山野の人たちが作った新鮮な野菜や加工品などを目当てに、多くの人が訪れます。
日曜日には、ワイナリー特製のカレーも登場!山野の女性たちが作るカレーは、何度食べてもホッと癒やされる味です。
同じ山野町にある藍屋テロワールと協力しながら、山野の活性化に向けた取り組みも進めています。2025年の夏は2社協同で、インターンシップの学生を募集しました。全国から来た7名の大学生や大学院生が、数週間山野町に滞在し、山野の未来を一緒に見つめます。
大田ワイナリーの代表取締役である大田祐介さん、醸造責任者の峯松浩道さん、調整役の大田恵子さんの3人に、これまでのお話を聞きました。
山野峡大田ワイナリーの3人にインタビュー
大田ワイナリーの代表取締役である大田祐介さん、醸造責任者の峯松浩道さん、調整役の大田恵子さんの3人に、これまでのお話を聞きました。
「ぶどうが作れたらかっこいい」と植えた30本の苗
──なぜ山野町にワイナリーを?
大田祐介(敬称略。以下、祐介と記載)──
山野町は、昔からキャンプを楽しんだりツーリングで来たりしていて、私にとって故郷のような場所でした。縁あって築120年の古民家と耕作放棄地を借りられることになったのが2005年です。ずっと興味があった農業に挑戦したいと思い、小麦、菜の花、落花生、じゃがいもなど、いろいろ植えました。
でも、野菜って手間がかかるんです。「果樹ならもっと楽に作れるんじゃないか、自分の好きなぶどうが作れたらかっこいいな」と思って、2010年にキャンベルアーリーの苗を30本植えました。ぶどうも楽ではないと、後から気づくんですけど。
3年ほどで、100~200kgも採れるようになりました。このぶどうは生食もできますがワインにもなります。これでワインができれば過疎化が進む山野町の町おこしになると思い、妻と一緒に全国のワイナリーを回りました。そして、山梨県勝沼市でこだわりのワインを造っているワイナリーにめぐり逢い、研修を受けました。
福山での仕事もありましたから、1週間勝沼に行って福山に戻ってきて、また1週間勝沼に行って、を繰り返してワイン造りを学んだんです。
──「ふくやまワイン特区」というのは?
祐介──
「構造改革特別区域(特区)」に認定されると、小規模の醸造ができるんです。
酒造免許は本来、6,000L以上のお酒を作らなければ取れません。でも、地域活性化のためにワインを造ろうというときに、いきなりそんな大規模の投資はできませんよね。2015年に「ふくやまワイン特区」を申請し、借りていた古民家を購入して民宿に改修し、少量のワインを造れるようにしました。
最初に造ったワインは350Lくらいでした。
その後、福山・尾道・三原・府中・神石高原・井原・笠岡にまたがる「備後ワイン・リキュール特区」の認定も受け、地域のぶどうやレモンを使ったワインやリキュールも造れるようになりました。
朝6時にかかってきた運命の電話
──そこからぶどうの種類を増やしていったんですね。
祐介──
はい。ワイン造りの情報を探してインターネットで見つけたのが、山梨県の「志村葡萄研究所」です。新しい品種の苗の販売や、ワイナリーの支援などをしていたので、「よろしかったらご指導ください」とメールを送りました。
志村さんから電話があったのは、その2~3日後の朝6時でした。農家だから朝が早いんです。その日はたまたま起きていたので、電話を取れました。
「今どんなものでワインを造ろうとしているんだ」
「キャンベルです」
「キャンベルだけか。それだけじゃダメだ。一度山梨に来なさい」って。
それで志村さんのところへ行って、面接を受けたんですね。
「金儲けでワイナリーがしたいんじゃないことはよくわかった。そんなやつはうまくいかないんだ」と、志村さんに認めていただきました。
そうして、日本の山ぶどうとヨーロッパのワイン用のぶどうを交配して作った、「富士の夢」や「北天の雫」などの苗を仕入れました。
──もし、その朝6時の電話に出ていなかったら?
祐介──
今の大田ワイナリーはなかったでしょうね。
──運命の電話ですね。あらためて、大田さんがワインを造る目的を教えてください。
祐介──
地域振興を提案するだけでなく、自分でやってみるためです。私は福山市の市議会議員でもありますが、実際に市政を動かすのは市長で、議員は大したことはできません。それなら自分で新たな事業を起こそう、ワイナリーを中心にして山野に人が来るようにしようと思いました。
──実際に、朝市で買い物をする人やわいん農家さんが山野に来るようになりました。また、山野の人からも、朝市に野菜を出せるようになって張り合いができた、という声を聞いています。
祐介──
藍屋テロワールさんと一緒になって、山野に新たな人の動きを作ったという自負はあります。まだまだこれからですけどね。とにかく山野に来てもらいたい、それだけです。
未経験で飛び込んだワイン造り
──峯松さんがワイン造りを始めた経緯は?
峯松(敬称略)──
入社は2017年です。その前は、食品製造会社で16年間、カップラーメンの具材や乾燥かまぼこなどの製造や品質管理をしていました。
たまたま大田さんと神社の清掃活動で話をしたときに、一緒にワインを造らないかと誘われ、経験はありませんでしたが地域とつながりのある仕事をしたいと思って転職しました。
──どのような思いでワインを造っているのですか。
峯松──
始めの頃はワインを造ってイベントなどでアピールすることで、地域を盛り上げているんだと思えました。しかし、コロナ禍で状況は一変します。
人が集まって飲む機会が失われ、イベントもなくなりました。できた時間で、畑に出てぶどうのようすを観察し、ワインの届けかたを考えました。
YouTubeに挑戦したのもこの時期です。たどり着いた結論は、良いぶどうを作って良いワインを造ること。ワインを造っているから来て、というだけでは人は来てくれません。いいワインだと評価して、初めてここに来てくれる。それなら品質第一でいくしかない。
いろいろなワイナリーに教えを乞い、こうしてみようああしてみようと試行錯誤してきました。
こだわりは「ぶどうの味わいを引き出すこと」
峯松──
ワイン造りでは、ぶどうの味わいを大切にしています。通常は2週間から1か月あれば終わる発酵を、低温にして1か月以上じっくりと進めると、ぶどうの果実味が残るワインができます。大手のワイナリーではコストを抑えるために、早く発酵させて早く熟成させて早く瓶詰めして早く売ることを考えるのかもしれません。けれども、僕たちはそうしないんです。
──そのこだわりが、消費者に届いているんですね。
峯松──
うれしいことに、ぶどうの優しい風味や甘みを感じる、飲みやすい、などの評価をいただいています。
僕が考えるワイン造りのポイントは、山野の気候や風土をどのように表現するか。ぶどうには育った環境が現れます。雨量や風の強さ、朝と昼の気温差などを理解し、ワインに反映させることが、僕の仕事です。
──2025年のぶどうの仕上がりはいかがですか。
峯松──
今年はすごくいい状態ですよ。樹が成長してきているし、土作りに手をかけてきた成果も出ています。
──そうなのですね!今年のワインが楽しみです。
峯松──
ここまで長かったですね。畑の土の状態も樹の状態も、よくわからないところからのスタートでした。
これからは、多くのワインがあるなかで山野峡ワインはこういうワインです、というのをわかりやすく消費者に伝えていくことがテーマです。
──ワイン造りはおもしろいですか。
峯松──
おもしろいですね。何よりもおもしろいです。難しいというか、不可能なことをしていると思ってチャレンジしています。
アクセルとブレーキを一緒に踏んでいます
──祐介さんがワイナリーを始めると言ったとき、恵子さんはどう感じていたのですか。
大田恵子(敬称略。以下、恵子と記載)──
最初は本当に山野のためになるのか、なんでわざわざ大変な畑なんかやるんだ、と反対しました。子どもたちがまだ小さくて、子育てで精一杯でしたから。
祐介さんも峯松さんも、とにかくいいワインを造りたいという思いが強い。でも、予算には限りがある。何でもできるわけではありません。
一方で、ワイン造りには、いろいろな人の力を借りています。周りの人に気持ちよく手伝ってもらうことも私の役目です。
最近、コンサルタントから「あなたはアクセルとブレーキを一緒に踏んでいますね」と言われて、とても納得しました!
わいん農家さんに楽しんでもらいたい
──繁忙期にアルバイトを雇うのではなく、一般の人に声をかけて来てもらう「わいん農家」さんのシステムが素晴らしいですよね。昨年体験しましたが、自分が収穫したぶどうがどんなワインになるのか気になるので、購入したいと思っています。ファン獲得につながっているのでは。
恵子──
そこまで狙って始めたわけではありません。ぶどうがある程度収穫できるようになったときから、知り合いに声をかけて手伝ってもらっていたんです。「わいん農家」さんと名前をつけたのは2024年からです。
ワイン造りを始めた頃、祐介さんは私を説得するために、本当にあちこちのワイナリーへ連れて行きました。北海道、山梨、長野。フランスもありましたね。
子どもたちを置いて1週間、長野に収穫体験に行こうといわれたときには、自分たちの畑もあるのに、なんでそこまでしなきゃいけないんだろうと思いました。
でも、実際に行ってみたらすごく楽しかったんです。こういう悪い実は落としてねとか、このかごにこんなふうに入れてくださいねと説明を聞いて、自然の中で黙々とハサミを動かして作業する。霧ヶ峰の山がずっと遠くに見えて、葉っぱの揺れる音とパチンパチンというハサミの音が聞こえて、それが本当に気持ちよくて。
そのとき、私たちの畑に来てくださる人もこんな気分だったのだとわかったんです。それまで私は手伝いをさせて申し訳ないと思っていたのですが、もっと楽しんでもらおうと、考えが180度変わりました。
──そのおかげで、わいん農家さんが楽しく過ごせているんですね。
恵子──
私が頑張れるのは、みなさんとの出会いが楽しいからです。
本当は、暑いなかわざわざやってきて手伝ってくださる人たちと一緒に、ワインを飲みたかったんですよ。とはいえ、みなさんに車で来ていただかざるを得ない場所ですし、おもてなしできる料理の腕もないから、あきらめていました。
ようやく実現できたのは、2024年の12月です。福山市内のレストランで「わいん農家のつどい」を開きました。みなさんが摘んでくださったぶどうがここに入っています、ありがとうございます、と言いながらみなさんと一緒にワインを飲めて、本当に幸せでした。
G7広島サミットがもたらしたもの
──2023年のG7広島サミットで、山野峡ワインが提供されるという連絡は事前になかったそうですね。
恵子──
ええ、まったく。ワインだけでなく、すべての食材が秘密裏に選ばれたようです。1日目の夜に、中国新聞の記者さんから祐介さんのところに電話が入ってきて「山野峡ワインが採用されたようですけど、お気持ちは」と聞かれて初めて知りました。外務省のホームページにその日のメニューや、食事で提供された飲み物のリストが発表されていると記者さんに聞いて、見に行って、本当だ!すごい!って。評価されたことは本当にうれしいです。頑張ってきたご褒美だと思いました。
そこからすごい数の注文が入ってきて、てんてこ舞いでした。
山野の出身で、今は東京などに住んでいる人たちも、ニュースを見て家族に「ねえ、これってあの山野峡のワイン?」と連絡して来られたそうです。故郷を離れていても一緒に喜んでくださるのだなと思うと、感慨深かったですね。
でも、なぜうちのワインが選ばれたのかがわからなかったので、SNSでつぶやきました。そうしたら、ソムリエの田崎真也さんから連絡が来て。
──えっ?世界最優秀ソムリエの田崎さん?
恵子──
そうなんです。びっくりですよ。サミットで飲み物の監修をした人が田崎さんだったんです。日本らしくておいしいワインを探した結果、山ぶどうとヨーロッパ系のぶどうを交配したぶどうで作っていて、かつ広島県産の山野峡ワインを選んだんです、と教えてくださいました。田崎さんのお眼鏡に叶ったというだけでも、もう思考停止状態でした!
ただ、サミットでのブームは1年ほどで落ち着きました。これからは、地道においしいワインを造り続け、応援してくださる人を増やしていきたいですね。
これまでの10年、そして未来
2015年からワイン造りをスタートした山野峡大田ワイナリーは、2026年の10周年に向けて、準備を進めています。
ワイナリーを増築し、今後は現在よりも3割ほどの増産を可能にしました。外壁を今までのピンクから茶色に塗り替え、トレーラーハウスでワインを販売できるように整えています。その他、新しい企画も検討中だそうです。
他のワイナリーとぶどうを交換してのワイン造りや、また新しい酵母でのワイン造りに挑戦するなど、大田ワイナリーは今も進化を続けています。
筆者も、まずは全9種類のぶどうの味をゆっくりと比べて楽しみたいと思っています。