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ジョン・F・ケネディの装いの秘密

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ジョン・F・ケネディの装いの秘密

サルトリアルの伝統主義者か、またはレイキッシュなルール・ブレイカーか? 史上最もエレガントといわれた、アメリカの第35代大統領のスタイルを検証してみよう。

byjosh sims

「スタイリッシュな米国大統領は?」と問われて、「ジョン・F・ケネディ」と言うのは、ほとんど反射的な反応だ。それは、もっともな話である。

 ケネディは、大統領がどのように見えるべきかについて、型破りな存在だった。彼は若くてハンサムだった。仕事でもレジャーでも、快適そうに洋服を着こなしていた。何を着ても“JFK”だった。

 それはケネディ・スタイルの神話化の象徴であった。死後数十年にわたる彼の社会への影響は、これら3つのイニシャルに帰着する。 “JFK”は、“ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ”よりも、よほど有名になった。

 ジョンと妻のジャッキーは、素晴らしいカップルだった。ケネディのスタイリッシュさは栄光を反映し、洗練され革新的なドレッサーである妻は、輝いていた。

 彼らが一緒にいると、実に見栄えがよかった。彼らはホワイトハウスのカップルとして、最初の“セレブリティ”といえる存在となった。

 彼らの写真は、ほぼ無限に供給され、ケネディのファッショニスタとしての評判も鰻登りだった。

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 しかし実際は、ケネディのスタイルは彼の世代の多くの男性がやっていたことを、代表してみせただけだった。彼は当時のハイクラスの人々がしていたように、シンプルに服を着た。それはアイビーリーグのスタイルに大きな影響を受けていた。実際、“プレッピー”は、20世紀のメンズウェアの中で、最も長く影響力を保つスタイルだといわれることがある。

 ケネディがオフタイムに着ていた、ボタンダウン・シャツ、チノーズ、グレイのスエットシャツ、サドルシューズ、レザーのパイロットジャケットなどは、メンズウェアの規範となった。だがそれらは、当時の誰もが着ていたアイテムである。

 同様に、彼のオンタイムの服装、ナローなネクタイ、スリムフィットのスーツ、ローファーなどは、彼の父親世代にとっては異質だったかもしれないが、彼の仲間にとっては、特に進歩的なものではなかった。

 時代は1960年代であったことを忘れないで欲しい。ポップカルチャー革命は、もうすぐそこに迫っていた。そのムーブメントに多くの大統領が影響を受け、何人かは自らのスタイルに取り入れた。

 いまでは忘れ去られているが、ジミー・カーターの牧場での格好は、デニムにぼろぼろのカーディガンというものだった。ジョージ・H・W・ブッシュは、ウインドブレーカーを羽織ってフィッシングに出かけた。イメージの力を知り尽くしていたハリウッド出身のロナルド・レーガンは、白いTシャツ、ビーニー、オレンジ色に着色されたサングラスという出で立ちだった。スティーブ・マックイーンも真っ青である。

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 ほぼ1世紀前に生まれたケネディという男は、たまたま幸運にも適切なタイミングで、適切な場所にいたのだ。彼の世代のスタイルの若者たちが、世の中に出て、人々の注目を集めるようになったのだ。そしてそれは文化的大変化の直前だった。

 大統領になった彼が、古臭いイメージを打ち壊したのは、彼のワードローブのおかげというよりは、ひとえに彼の世代の力だった。

 ケネディは第二次世界大戦中に従軍していたが(PTボートを指揮していた)、彼は前大統領のドワイト・アイゼンハワーのような純然たる軍人ではなく、よりリラックスした装いをしていた。

 ケネディは、より若々しい秩序の象徴であり、時代遅れの政治に取って代わった存在だった。彼は大統領選のライバルとのコントラストからも恩恵を受けた。

 彼の義理の兄弟であるピーター・ローフォード曰く「大統領選の相手、リチャード・ニクソンと比較されなければ、クリーンなスタイル・アイコンとしてのケネディの地位は、それほどのものでもなかったかもしれない」

 ニクソンは、ケネディより4歳年上だったが、1950年代風のねずみ色のボクシースーツと、剃り残しのような髭は、彼を40歳老けて見せた。ニクソンが選挙で負けたのは、髭剃りをこまめにしなかったことと、スタジオの照明の下で大量に汗をかいたせいだとされる。

 ケネディは勝利したが、当時、あるコメンテーターが言ったように、それは「非常に僅差」で、ほぼ互角と言っても良かった。

 ケネディとニクソンのふたりは、初めてテレビ時代に選挙運動をした候補者だった。ケネディは“ルックス”が大きな評価方法となった時代にいちはやく先駆けたのだ。

 しかし、ケネディは服装に関して非常に慣習的であったため、彼の報道官は「大統領はファッションでアピールするには、あまりにも保守的すぎる」と指摘した。彼の他の兄弟と同じく、ケネディは下着に至るまでブルックス ブラザーズを愛用していた。彼の結婚式の日に、彼は花婿の付添人にブルックス ブラザーズのモノグラム入りの傘を与えた。

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 そして、ブルックス ブラザーズは、装いの点では、すでにエスタブリッシュメントとして確立された存在だった。彼はほぼ常に、当時のエグゼクティブと同じく、無地の白いシャツを着て、レジメンタル・タイを締めていた。

 ケネディは帽子を着用することも拒否した。その理由のひとつは、帽子が父親や父親の世代を思い起こさせたためだ。アメリカの帽子職人から、帽子を被るよう懇願された後でも、その着用を拒否した。

 当時のファッションリーダーだったケネディが帽子を被らなかったことは、業界に深刻な影響を与えた。

 しかし、“ハットレス・ジャック”の無帽は、当時の男性ファッションに、すでに大きな変化があったことを反映したものにすぎなかった。

 室内の暖房が改善されたこと、車の移動が増えたこと、そして単に流行遅れになったことで、帽子をかぶる男性の数が減っていたのだ。

 もしケネディが帽子を被っていたなら、それはそれで、より進歩的であると考えられていたかもしれない。しかし現実には、彼が帽子をかぶっている唯一の写真は、プロトコルで指示されている通り、彼の就任式のものだ。

 彼は時間とともに、もっと進歩的になったかもしれない。彼は現在のファッショニスタとしての地位を、より盤石にしたかもしれないし、またはそうでなかったかもしれない。

 彼が在職していたのは、暗殺される前の2年間だけだ。殺されたのは、ちょうど46歳の時だった。彼のイメージは、そのまま凍結された。そして多くの世代にわたって、長く憧憬される存在へとなったのだ。

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