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中山ダイスケ×稲葉俊郎に聞く~『山形ビエンナーレ』を開催したわけは「芸術祭を一つの病院みたいにしたい」との思いから

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中山ダイスケ/稲葉俊郎

全国で年間に行われる芸術祭は大小2000を超えると聞いたことがある。その狙いは芸術振興だったり観光振興だったりいろいろ。そんな中、地域の大学が主催する芸術祭があるのを知った。東北芸術工科大学による『山形ビエンナーレ』だ。教員や学生がアーティストとともにつくる芸術祭が地域の歴史や自然などさまざまな魅力を掘り下げていて面白いとうわさが聞こえていた。しかも今年から、なんと芸術監督を現役のお医者さんが務めるとか。驚いたがうれしかった。そこへ新型コロナウイルスだ。また驚いた。でも何か新たな期待感を抱かずにはいられなかった。そして『山形ビエンナーレ』は、オールオンラインで「山のかたち、いのちの形~全体性を取り戻す芸術祭~」としてスタートした。芸術祭総合プロデューサーの中山ダイスケ学長、芸術監督の稲葉俊郎さんに、芸術祭が開幕した直後に話を聞いた。プログラムの内容は公式サイトをのぞいてほしい。


■実際に人が集まらなくても、多くの注目が山形に集まることに意義がある

――まず始まっての感想を教えてください。

中山 準備段階から回線トラブルが起こらないかを心配していましたが、公に開いた瞬間にさらに不安に駆られました。でも7本のプログラムを放映するための3つの配信スタジオをうまく機能させて、なんとか無事に1週目を終えることができました。今回はオンライン開催ということで、観客がすべてのプログラムを見られるようにしました。リアルな芸術祭って移動があるのでけっこう忙しいじゃないですか。それも楽しみ方の一つですが、あれは我慢してこれを見ようと何かを捨てざるを得ない。今回はテレビ番組のようにタイムテーブルを組みました。手前味噌ですけどうまくデザインされたコンテンツ集になったなあと感じました。オンタイムですべてを見ましたが、一見無関係にみえる7つのプログラムに、きちんと一本の芯が通っていましたね。

稲葉 ウェブ開催というと、用意された素材を中継するという意味に取られがちだと思うんです。でも僕らはリアルな空間では開催できないということを前提に、ただのウェブ配信だとは思われたくないという気持ちも共有できていたように思います。それがプログラムから伝わってきましたね。単純にWeb配信することと今回は何が違うのか、その理由はいろいろとあると思うんですけど……。

中山 ウェブで流される映像コンテンツになると決まったところで、アーティストの皆さんが一回ゼロにして新たにつくり直してくださっているんですよね。だからこそ面白くなっていると思います。

稲葉 本来だったら休みを取って、ホテルを予約し、街をめぐって楽しめたら良かったんですけど、実際に山形に人が来ることができなくても、多くの注目が山形に集まるということがまた何か新しい可能性を感じさせてくれます。もちろん、それぞれのタイミングで山形に訪れるきっかけにはなると思うんですよね。


■各地の芸術祭に感じる物足りなさを打破したかった

――そもそも学生や大学がアーティストとつくる芸術祭が生まれた経緯はなんだったのでしょう?

中山 1回目が開催されたのは2014年でした。山形県には47都道府県で唯一県立の美術館やアートセンターがないため、芸工大がそれらの役目を負っていたんです。今回の芸術祭もその役割の延長であり、普段から街のアートイベントを担当している責任から始めた部分があります。最初は県や市にも働きかけたのですが大口の協力は得られず、今でも大学の持ち出しと、賛同いただけるスポンサーからの資金で開催しています。そこには当時の根岸吉太郎学長(現理事長)の想いもありましたが、震災で傷ついた東北に対してアートは何ができるかという命題でもあったのです。東日本大震災で山形は直接的被害が少なかったので、山形空港を利用して物資を陸路で岩手や宮城に運ぶという支援基地になっていたんですね。

――最初の3回は、絵本作家の荒井良二さんが芸術監督でした。今年から稲葉さんがやられるということで非常に興味を抱いていました。稲葉さんを起用しようと思った理由を教えてください。

中山 香川県丸亀市にある猪熊弦一郎現代美術館でトークイベントがあったんです。そこに美術館ゆかりのアーティストとして、僕や建築家の谷口吉生さんらが登壇しました。イベントのテーマは猪熊さんが提唱された「美術館は心の病院」。そこに稲葉さんも登壇されていたんですけど、その場でお話しされたことがすごく印象的でした。その後、僕の妻が友人を介して稲葉さんと知り合って、ご家族を食事会に招待したんです。僕はゆっくり話せてワクワクしていましたが、頭の片隅にあった『山形ビエンナーレ』のことがふと思い出されて、「芸術監督はいかがですか?」と伺ったら「やりたい」とおっしゃってくださったんです。まだ東大病院で毎日手術されているようなお立場ですよ。そんな忙しい人を起用して大丈夫かなと思ったんですけど、お考えだけでもいただければと思い、お願いしたんです。

稲葉 僕の中では医療と芸術は一つのものなんです。そして子どものころから探求していたテーマでもあった。人間が生きること、健康になること、元気になること、希望を取り戻すこと、そうしたことにおいて、医療と芸術は何が同じで何が違うんだろうと。最大のきっかけは東日本大震災の医療ボランティアに参加したときに、いろんな想いがあふれてきて、新しい価値観にシフトしないとダメだと勝手に強い危機感を感じたんです。そのあたりから猪熊さんの言葉「美術館は心の病院」は気になっていました。僕も芸術祭は好きで、よく出かけていたんですよ。でもやっぱり物足りないところがあって。それは限定されたアートファンだけではなく、農家や漁業や林業など第1次産業で生きることに直結している方々、おじいちゃんやおばあちゃんなど幅広い方が面白いと思う芸術祭があればな、ということでした。芸術祭というだけあって、ある意味ではお祭りですし、自分が何かかかわってやりたいとずっと思っていたんです。

中山 どこのビエンナーレ、トリエンナーレを見ても同じようなアーティストが招聘されていて、住民たちとのかかわりもよく似ている。つまり自分の村に有名なアーティストがやってきたことを喜び、歓迎している。過去の『山形ビエンナーレ』もメインはゲストアーティストでした。今回は僕がスタートから預かることになったので、核となる部分は山形から生み出そうと考えました。あとはアートの枠をどうやって壊すか、絵画や彫刻以外の表現者たち、農業生産者や料理をしている方なども含めたこの地ならではの芸術の姿を見せたかったんです。そんな企画を仕切れる人は、アート界の外から連れてくるしかないですよね。

稲葉 お話をいただいて最初にいいなあと思ったのは、大学がかかわっているところでした。僕も東大で臨床も研究もやっていましたが、同じくらい教育に力を入れていていましたから。現代の芸術を見せることよりも、次の世代を担う人たちに何かインスピレーションを与えたり問題提起してもらったりすることで、未来の時間軸が混じり込んできて、ほかの芸術祭ではできないことができるんじゃないかと思ったんです。

中山 残念ながら感染予防のために現在大学は封鎖していて、教員と学生も授業以外でのかかわりを持てませんでした。だからこそ今回のビエンナーレには学生限定のプログラムを設定しました。全国の医学を学ぶ学生と、芸術を学ぶ学生が未来を語るという企画もあって、稲葉さんと僕がファシリテーターになってやっています。

――見えないところで、そういう厚みのある企画もあるわけですね!

■次の世代にどういう社会の未来を提示できるのか

――稲葉さんにコロナ禍でも『山形ビエンナーレ』はやるとうかがったときに、「芸術祭を中止にすることも一つの大事な判断です。でも僕が子どもだとしたら、何もしない大人の様子を見て、何を勉強してきたんだろう。何で考えないんだろうと思ってしまう気がするんですよ」とおっしゃったんです。

中山 僕も同じようなことを感じました。常々僕は地方都市の芸術大学の学長として、芸術やデザインとはこういうものですと、わかりやすく一般の方々に啓蒙するポジションにいます。特に今回のビエンナーレでは、コロナ問題で真っ先に「不要不急」とされた芸術やエンターテインメントが、社会にとって必要なものであると言い切る責任がありました。子どもから老人まで、この街に芸工大があってよかった、アートがあってよかったと感じてもらうことは、芸工大の命題とも言えます。

――稲葉さんは新型コロナウイルスの感染が拡大していたころには、どんなことを考えていらっしゃったんですか?

稲葉 最初はショックでした。でも歴史の必然というか、社会基盤が入れ替わる時期だからこそ起こっているんだろうなとすぐに考えは切り替えていました。水害や地震などの災害も一緒だと思うんですけど、これからは緊急事態が起きたときは緊急モードで、何もないときは通常モードで、というふうにギアチェンジをするような切り替え可能な社会をつくっていくんだろうと。じゃあ芸術祭はどうするのか。広い意味での祭りをどうするのか。僕は人類の歴史的な文脈の中でこれをどう読み解くかという視点で、比較的すぐに未来との兼ね合いの中で考えました。芸工大の学生さんたちが20年後に社会を受け継いでいくとするなら、僕らはつなぎ手としてどういう社会の未来を提示できるのかということですね。また僕が医療従事者であるということも重要でした。テレビを見ていても、実際にコロナ陽性者と向き合って臨床をやっている方、現場でバリバリやっている人はあまり出てきません。だから僕は末端にいる現場の人間の感覚こそ大切にしたいと思ったんです。

中山 僕らがテレビで見ているお医者さんたちは、実際は患者さんとあまり接触していない人たちなんですね。

稲葉 だから概念的、知識的な話が多いですよね。別にそれが悪いと言いたいわけではなく、それだけでは不十分だということなんです。理論と実践、全体と部分、マクロとミクロ、そうした全体性こそが現場では大事なんです。コロナ真っただ中の現場でいろんな職種の人たちと、患者さんとやりとりしながら、医療や社会はどこへ向かっていくのかを肌感覚で、現在進行系で感じている人間が芸術祭とシンクロすることも、そのリアリティを届けることになると思っています。

中山ダイスケ

――今やコロナをどう怖がっていいのか、何を信じていいのか、よくわからなくなっているところもありますよね。

稲葉 鹿児島の与論島で集団感染が起きたんですよ。それは言ってみれば他所からの持ち込みかもしれません。しかも与論島は医療が充実していないから、みんな鹿児島本島の病院へ行かざるを得ないという大変な状況になった。だけど、感染した人には多くの人が頑張れとエールを送り、完治して帰ってきた人たちは差別されるどころか、元気で戻ってきたことを島のみんなが喜びあった。僕はそれが本当の社会じゃないかと思うんです。しかし今は差別されたとか、街に住めなくなったといった報道ばかり。僕らはどっちの社会を生きたいのか問われていますよね。つまり芸術祭も与論島で起きたことのような環境で開催されない限り、くだらないとか、価値がないとか、そう言われることに怯える芸術祭になってしまい、本当のアーティストの表現はなされないと思うんですよ。

中山 そういう意味では、今回の参加アーティストの眼差しはみんな優しいですね。マイルドという意味ではなく、真に伝わるものをつくろうとしている人たちが結果的に集まりました。

 本当にたくさんの芸術祭、ライブ、スポーツが中止になりましたが、我々も当初は東京オリンピックが中止になったらビエンナーレも中止だろうという認識でした。オリンピックは巨大な国家事業として延期にはなりましたけど、山形ビエンナーレのような小さなイベントは、コロナ仕様に切り替えていけばいいんだなと考えたんです。驚くことに大学も中止しろとは言わなかった。僕と稲葉さんで決めていいと。そこで、すでに参加を表明してくれていたアーティストの皆さんにオンライン案を提示したら、ほとんどが残ってくれた。これはやるしかないと。

稲葉 やらない理由はいくらでも言えますけど、やるからにはいいものをつくりたい、失敗するかもしれないけど恐れずにやりましょうと皆さんが同意してくれたのはうれしかった。挑戦することこそが大事なんじゃないかと。

中山 しかもコロナ前に稲葉さんがつくってくれたコンセプトと、それに応えたアーティストが提案していたコンセプトがコロナ禍でもほとんど変わらなかったんです。このテーマはコロナ禍でも通用する、むしろこのテーマだからこそ僕らのビエンナーレは中止してはいけないとなったんですよ。

 でもそれは芸術と医療を同義で考えてくれていた稲葉俊郎を芸術監督に決めていたからです。もともと芸工大は山形大学医学部と共同プロジェクトを行なったり、農業と組んだりと、都市部の芸術大学でやらないようなことをどんどん仕掛けていました。だから現役のお医者さんを芸術監督に招聘したいと言っても誰も驚かなかった。むしろ賛同されたという変わった大学なんです。

稲葉 僕は命というフィロソフィを共有していれば、病院という形態にこだわる必要はなくて、銭湯であったり、芸術祭だったり、美術館でもいいんじゃないかという考えなんです。そういうものを中心に据えたらどうなるか、ある種の社会実験というか。そうした挑戦こそが新しい場をつくる、ということですね。

中山 稲葉さんを初めて山形にお連れしたとき、「ここは病院だ」っておっしゃった。温泉があって、山があって、食べ物や水が美味しくて、芸術がある。その時に僕もビエンナーレを一つの病院のようにしたいと、稲葉さんのお考えに乗ったわけです。命を考える場を広義で「病院」と捉えてみようなんて普通のお医者さんは言わないですよ。それ自体がコンセプチュアル・アートの組み立て方です。『山形ビエンナーレ』はしばらくこのテーマで行きたいと思っています。この考え方との出会いは、すでに多くの気づきを参加アーティストにもたらしていますから。

稲葉俊郎



■生きるという営みとしての芸術

――コロナとはしばらく付き合っていかなければならないかもしれません。そのときアートはどう動いたらいいと思いますか?

稲葉 僕はコロナのことも含めて、みんなが命のことを考える時代に入ったのかなと思っています。自分が生きているというあまりにも当たり前すぎる大前提に立ち返って、生きるという営みとして、食もあるし、医療行為もあるし、芸術もあるという考えに戻っていくというか。ただ今まではあまりにもさまざまなことが細分化されすぎて、システムが個人を阻害しているのではないかと。そしてさらにお金を稼げるのかとか、まともな大人になれるのかとか、別の文脈にすり替えられていたような気がするんです。今後はそれぞれが生きるを追求することが求められていく、その中で芸術はものすごく広い器を持っている、僕はずっとそう思っていました。

中山 常々学生にも話していますが、アートもデザインもプロになったかなれなかったか、売れたか売れなかったかではなく、生き方なんだと。自分が亡くなる瞬間までつくりたかった作品があるとか、日常生活にアートやデザイン的思考があるかどうかが大事だと考えています。うちの大学は就職率が高いのですが、卒業生の多くは生業を別に用意しながら、一方で生きていくために制作を続けています。僕は芸術を自分の生き方として据えるべきだと考えています。デザインやアートを自身の人生に取りむということです。もしも全国民がアートとデザインの素養を身につけていたならば、災害やコロナへの対処もきっと変わっていたと思います。夢のような話ですが、科学技術や経済力ではなく、芸術的思考こそが世界を変えるというのは本学の理念です。もちろん僕も強くそれを信じています。

取材・文:いまいこういち

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