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「桐島聡」名乗る男が死亡 50年の逃亡生活の全容解明は困難

文化放送

1月30日の「おはよう寺ちゃん」(文化放送)では、火曜コメンテーターで上武大学教授の田中秀臣氏と番組パーソナリティーの寺島尚正アナウンサーが、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されていた「桐島聡」を名乗る男が死亡したことついて意見を交わした。

手配写真に慣れてしまった現代に、リアリティを持って現れた名前

1974~1975年に起きた連続企業爆破事件で、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されている桐島聡容疑者(70)を名乗る男が1月29日、入院先の神奈川県鎌倉市の病院で死亡した。末期の胃がんで重篤な情だった。

警視庁公安部はDNA型鑑定などで身元の確認を急いでいる。男が本人と確認されれば、容疑者死亡で書類送検する方針。

桐島容疑者は、過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバーで、組織内の「さそり」というグループに所属していた。組織は海外進出した企業を標的に、8人が死亡した三菱重工ビル事件など爆破事件を次々と起こした。

桐島容疑者は1975年4月に東京・銀座の韓国産業経済研究所を手製爆弾で爆発させたとする容疑で、翌月指名手配された。

「交番で指名手配犯として貼り出されていた桐島容疑者を名乗る男の突然の逮捕、田中さんこれはどう受け止めていますか?」(寺島アナ)

「三菱重工ビルの爆破事件、私は小学生か中学生のころでしたが、とにかく驚きましたよね。その後に桐島容疑者たちの手配写真が貼られていて、いつの間にか街角に貼られた手配写真に慣れてしまっていた中で、いきなり昔の名前がリアリティを持って現れてきました。50年近く逃亡してどんな人生だったのか? 報道が正しいか分からないですけど“後悔している”と発言していたそうで、どういう意味で後悔していたのかも知りたいです。潜伏していた長い年月、どんな生活でどんな思いをしていたのか明らかにならないまま消えてしまうのは解せない気持ちがありますね」(田中氏)

「事件の解明も待たれるところではあったんですけどね。一方では警察の公安がずーっと追いかけていたんだけど、残念ながら“桐島です”って言わなかったら分からなかったってことですかね?」(寺島アナ)

「本人らしい晩年の写真も見たんですけど、まったく分からないですよ。やっぱり20代のときと70歳ってまったく違うじゃないですか」(田中氏)

「風体っていうのは年月で変わりますからね」(寺島アナ)

「“指名手配犯が今の歳になったら”っていうイラストを警視庁とか貼ってますけど、これは分からないですよね」(田中氏)

捜査関係者によると、男は「内田洋(うちだひろし)」と名乗り、80年代から神奈川県藤沢市の工務店で住み込みで働いていた。金融機関の口座を持っておらず、給料は現金で受け取っていた。事件後の海外への渡航歴は確認されていないという。

1年ほど前から胃がんを患い、今月入院。免許証や健康保険証は持っておらず、自費で診療を受けていた。

入院当初は内田を名乗っていたが、25日に突然、「私は桐島聡だ」「最期は本名で迎えたい」と病院関係者に伝えた。

「50年近い逃亡生活の全容解明は、死亡しましたからこれで難しくなったということですね」(寺島アナ)

「例えば支援者がいたのかいないのか? そういった人間的な関係は犯罪の解明には重要ですからね」(田中氏)

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